凍土の凶王
「ユキっ!!」
四人の侵入者がフィニスを取り囲み、口々に呼びかける。
フィニスは大きな隈の出来た目で彼らを睨みつけて、乱暴に吐き捨てた。
「何? ボク今機嫌悪いんだけど」
「それはこっちの台詞ですわ! ユキを、わたくしたちの仲間を操っておいて!」
侵入者の一人・ハタハタが叫ぶ。
オボロ、リョウマ、シイナも同調し、フィニスに言葉をかけた。
「ブリザードちゃんから知らせを受けて来てみれば……全く、見ておられんわい」
「さっさとユキを返すぜよ!」
「そうだよ! これ以上ユキくんの体で悪いことはさせない!」
四人は武器を構え、じりじりとフィニスに詰め寄る。
フィニスは彼らを嘲笑うように、自らの喉元に氷のナイフを突きつけた。
「汚い真似をするぜよ……!」
非情な人質作戦に、リョウマたちはやむなく足を止める。
冷たい緊迫の中、オボロが重々しく切り出した。
「フィニスよ、お主の目的は何じゃ?」
「ユキの願いを叶えること。即ち、この世界の滅亡だよ」
「嘘ですわ! ユキさんがそんなこと」
「本当さ!」
動揺するハタハタに、フィニスはハッキリと告げる。
脈打つ左胸に手を当てて、彼は仰々しく言った。
「体を共有しているボクには分かる。彼の心の奥底に秘められた痛みが、怒りが! ボクはこの世界を破壊することで、ユキの心を救ってあげているのさ!」
「……信じられませんわ。あの真面目なユキさんが」
「だからこそ、ということもある」
オボロが冷静に窘める。
ユキの内面の一端に触れたことがある彼にとって、フィニスの言い分はあり得ない話というわけでもなかった。
「だからって使徒の好きにさせていいわけじゃない!」
「ユキの体から離れるまで、ワシらはここを動かんぜよ!」
シイナとリョウマはあくまでも強硬な態度で望む。
気丈に立ち向かってくる彼らの姿が、フィニスを再び苛立たせた。
「お願いだから、ボクを怒らせないでよ」
ユキは氷の鎖を放ち、四人を拘束する。
異常なまでの怒りに支配されるまま、彼は掌から黒い光弾を射出した。
「自分じゃ抑えられないんだからさぁ!!」
光弾は無軌道に跳ね回り、頭上からハタハタたちに襲いかかる。
光弾が四人に命中する刹那、電撃が光弾を打ち消した。
「フィニスッ!」
爆発の中からセイが現れ、フィニスに飛びかかる。
二人が取っ組み合っている隙に、ユキが縛られた守護者たちを解放した。
「くそっ、何故次から次へと……!」
「リンが教えてくれたんだよ!」
鳥籠の中で、小鳥のリンが自慢げに羽撃く。
組みついてくるセイを投げ飛ばして、フィニスが使徒としての力を解放した。
「腹立たしい……腹立たしい!!」
「奇遇だな。思いっきりやろうぜ!」
セイも勾玉を構え、挑発的な視線を向ける。
二人は同時に城から飛び降りると、それぞれの戦闘形態に姿を変えた。
「超動!!」
「
フィニスの体に、二体の災獣の影が重なる。
かつてドローマを襲った獅子の災獣ロアイオンと、シヴァルに出現した狼の災獣シルヴァング。
二体の影を身に纏い、フィニスは一体の災獣へと変貌した。
「『ロアヴァング』。これがボクの本当の力だ!」
「面白ぇ!!」
セイ––カムイは雷の大太刀を抜き、ロアヴァングの爪牙に応戦する。
カムイに声援を送る守護者たちを、ロアヴァングの血走った眼が睨んだ。
「うるさいなぁ……!」
「やめろっ!」
カムイがすかさず回り込み、城目掛けて放たれた破壊光線を受け止める。
守勢に追い込まれたカムイに、ミカは懸命に歌を届けた。
「うるさい虫め! 歌をやめろぉおお!!」
ロアヴァングはのたうち回り、頭を抑えて絶叫する。
悍ましい悲鳴を上げながら、ロアヴァングは我を忘れて暴れ回った。
明後日の方向に放たれた光線が、氷山を一瞬にして抉り取る。
カムイは内心冷や汗をかきながら、ロアヴァングから仲間を庇うように位置取った。
「こいつ正気じゃねえ……!」
錯乱したかのようなシルヴァングの動きに、カムイは強烈な違和感を覚える。
フィニスが怒りを示した時も、同様の違和感があった。
まるで、他人の強い感情を強制的に流し込まれているかのような––。
「フィニス、あんたまさか」
「グァアアッ!!」
ロアヴァングが鋭い牙を剥き出しにして飛びかかる。
一瞬だけ反応が遅れたカムイの腹を、ロアヴァングの牙が深々と貫いた。
「クァ、クァムァ……!」
カムイもまた最後の力を振り絞り、雷の大太刀でロアヴァングを切り裂く。
鮮血を迸らせながら、両者は同時に元の姿へと戻った。
「セイっ!」
ミカたちは城を飛び出し、セイの元に駆け寄る。
多くの仲間に心配されるセイを睨みながら、フィニスが叫んだ。
「何でだ……何でお前ばっかりそんなに仲間がいるんだ!!」
「はァ……?」
「ち、違う! 今のはボクが言ったんじゃない!」
自分の口から出た言葉を、フィニスは慌てて否定する。
フィニスは頭を押さえながら、セイたちに自らの異常を訴えた。
「おかしいんだ。一度怒ると歯止めが効かなくなる。まるで、自分が自分じゃないみたいに……ううっ!」
頭痛は更に強まり、フィニスはもはや敵前であることも忘れて泣き叫ぶ。
混濁していく意識の中で、彼はこの体の真の持ち主の姿を見た。
「ユキ……?」
ユキは足音も立てずに歩み寄り、フィニスの首を締め上げる。
ぼやけた視界に映るユキの昏い顔に、彼は自分を苛んでいた感情の根源を見た。
「消えたくない! ボクはまだ、消えたくない……!!」
誰にも届かない命乞いを繰り返しながら、フィニスの精神は闇の中に呑み込まれる。
そしてユキは肉体の支配権を取り戻し、ゆっくりと立ち上がった。
「ユキ! ユキですのね!?」
「……ああ」
「みんな心配してましたのよ。さあ、一緒に帰りましょう」
ハタハタは安堵の表情を浮かべて、ユキの元に駆け寄る。
しかし彼女が差し伸べた手を、ユキは冷たく振り払った。
「僕は戻らない」
「えっ?」
「僕は、終焉の使徒ユキだ……!」
––
少年を歪めたもの
ユキは終焉の使徒を名乗り、セイたちに背を向ける。
そして黒い棘山を作り出し、追いかけようとするハタハタを拒絶した。
「ハタハタっ!」
シイナがすかさず駆け寄り、倒れたハタハタを抱き留める。
セイが息を乱しながら言った。
「どういうことだよ、終焉の使徒ユキって」
「言った通りの意味だ。僕は終焉の使徒として、シヴァルを滅ぼす」
振り向きもしないまま答えるユキを、吹雪が覆い隠す。
積もった雪の白を黒く染め上げて、ラストが姿を現した。
「素晴らしい。この世界にも、滅びを受け入れる聡明な人間がいたとは」
「ラスト! おまんが何かしたぜよか!?」
「私は何もしていませんよ。ただ……」
ラストはそこで言葉を切り、ユキの去った方をちらりと見る。
彼女は白い息を吐いて続けた。
「フィニスが彼を憑依先に選んだ時点で、この結末には薄々勘づいていました」
「それって」
「以前も言いましたが、我々は互いの情報や感覚を共有することができます。ユキさんの中に眠る怒りや憎しみを感じた時は……気持ちが昂りました」
フィニスの悦楽が、守護者たちの神経を逆撫でする。
彼らの敵意を弄ぶように、フィニスがセイを指差した。
「私にばかり構っていてよいのですか?」
「……セイ!」
腹の傷からどくどくと流れる赤い血が、ミカの手を汚す。
オボロが冷静に判断を下した。
「とにかく、セイを街に運ぶんじゃ」
ミカたちはセイを庇いながら、シヴァルの地下街に逃走する。
フィニスは追跡することなく、彼らの背中を見送った。
「いってらっしゃい。絶望の世界へ」
「……ぜよっ!」
リョウマが力を振り絞り、錆びた鉄扉をこじ開ける。
傷ついたセイを抱えて、ミカが叫んだ。
「お願い、誰か助けて!!」
地下に響いたミカの声に、道ゆく人々が振り向く。
死と隣り合わせにあるミカの目には、彼らの表情が酷く呑気なものに見えた。
まるで凶悪事件の新聞記事でも読んでいるかのような、同情と忌避感の滲んだ目。
騒つくばかりの群衆に、ハタハタが喝を飛ばした。
「怪我人がいるのよ! 早く診療所に案内なさい!!」
シヴァル国民たちはその号令でようやく動き出し、セイたちを近くの診療所へと連れていく。
それから数時間後、セイの処置を終えた医師が難しい顔でミカたちの前に現れた。
「セイの様子は?」
「暫くは絶対安静です。それと、なるべく側にいてあげて下さい」
医師はミカにそう言い残して去る。
セイの看病をしようとする守護者たちを、ミカが制した。
「みんなは自分の国に戻って。ラストたちが何か企んでるかもしれない」
「ミカさんはどうしますの?」
「セイの側にいる」
ミカはきっぱりと告げる。
短い言葉に込められた強い意志に、ハタハタたちは運命を託すことを決めた。
「……分かりましたわ」
「絶対また会おうね!」
「後は頼んだぜよ!」
「くれぐれも、用心するんじゃぞ」
守護者たちは思い思いの言葉を残して、それぞれの国へと帰っていく。
ミカは彼らの姿を見送ると、ベッドで眠るセイに寄り添った。
赤く滲んだ包帯に包まれた胸板が、深くゆっくりと上下する。
ミカは両手でセイの手を包み込み、ただ一心にセイの無事を祈り続けた。
「歌姫さん……」
「セイっ! 怪我は」
目を開けたセイに、ミカは安堵の声を上げる。
彼女の言葉を遮って、セイが体を起こした。
「ユキは、ユキはどうなった……うっ!」
傷口から痛みが溢れ出し、セイの顔が歪む。
ミカが真剣な態度で言った。
「無理しないで」
「……ごめん」
重い沈黙が、二人の間に流れる。
ミカが口を開いた。
「セイが治療を受けてる間、わたし、シヴァルの街に行った。みんなに終焉の使徒やユキのことを伝えて、避難や協力を頼んだ。だけど」
待っていたのは、軽薄なあしらいと慢心、そして事なかれ主義だけだった。
この地下都市を絶対的な安全地帯だと錯覚し、地上の出来事には徹底的に無関心を貫いている。
悲痛な面持ちのミカに、セイはその結果が分かっていたように答えた。
「だろうな。そんな風土が嫌で、俺はシヴァルを飛び出したんだ」
「でも、ユキはそれができなかった。ユキはシヴァルの守護者だから」
「……俺の責任もあるよな」
事情があったとはいえ、セイはユキを激しく敵視していた。
その蟠りが解けないまま仲間を増やしたことでユキを孤独に追いやってしまったのではないかと、セイは過去の行いを悔いる。
その時、枕元に置かれていた翡翠の勾玉が、眩しい光を放った。
「何これ……?」
光の中に映る地上の景色に、二人は思わず息を呑む。
ユキが闇を取り込み、人の姿を完全に逸脱してしまったのだ。
「まさか、またロアヴァングに!?」
「違う。この力、さっきの比じゃない……!」
勾玉を介して流れ込む力に、セイは戦慄する。
やがてユキは災獣としての枠組みすら超越し、巨大な暗黒の塊となって宙に浮かび上がる。
『怒りの星』とも呼ぶべきそれが煌めいた瞬間、地面が激しく揺れ動いた。
「地震!?」
棚が次々に倒れ、割れた花瓶が地面に散らばる。
人々が逃げ惑う中、動き出そうとするセイの腕をミカが掴んだ。
「だめ!」
「俺がやらなきゃいけないんだ! 俺には、あいつを救う責任がある!!」
セイは壁を支えにして立ち上がり、怒りの星をきつく睨み据える。
戸惑うミカに、彼は低い声で言った。
「思い出したことがあるんだ」