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第30章 雪解け

怒りの星



 それはまだ、セイが少年だった頃。

 セイは地下都市の広場にできた長蛇の列に並んでいた。

 先頭から悲鳴が聞こえてくると同時に列が動き、セイも一歩進む。

 列の先で待ち構えているものを思い浮かべて、彼は大きな溜め息を吐いた。


「嫌なんだよなぁ、あれ……」


「そんなこと言うな。守護者を決める大事な儀式だぞ」


 セイの前に並んでいた男が、振り返って窘める。

 やがて列は進み、セイの番が訪れた。


「うぇ……」


 台に置かれた二つの器を見て、セイの顔が嫌悪に歪む。

 煮え滾った熱湯と氷水が張られた器に同時に手を入れることが、シヴァルの守護者選定方法だ。


熱冷あつめたっ!!」


 特異体質でないセイはすぐに器から手を出し、苦悶を剥き出しにして飛び上がる。

 待機していた職員がセイを椅子に座らせ、火傷と凍傷を負った手の処置を始めた。


「ん?」


 不意に職員の手が止まり、セイは彼の顔を覗き込む。

 彼が向いている方を見てみると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 セイのすぐ後ろに並んでいた子供が、熱湯と氷水に手を入れて平然としていたのだ。


「特異体質だ……」


 誰かが呟く。

 どよめきは波紋のように広がり、遂には大喝采となった。


「特異体質の子供だ! やっと新たな守護者候補が生まれたぞ!!」


 子供は職員に手を引かれ、人混みの向こうに連れて行かれる。

 心細そうな子供の目を見た時、セイは友人から聞いた話を思い出した。

 守護者は寒い地上で、孤独な暮らしを強いられる。

 その瞬間、セイの体は考えるより先に動き出していた。


「おいっ!」


 セイは人混みを掻き分け、火傷を負った右手を伸ばす。

 子供を孤独にさせまいと、彼は喉を枯らして叫んだ。


「こっちだ!」


 しかし声は届かず、子供は路地の向こうに消えていく。

 その子供がユキだと知ったのは、それから少し後のことだった––。


「俺はユキに手を差し伸べてやれなかった。俺もみんなと同じだったんだ! だから!」


「セイ!」


 ミカはセイの腕を引き、彼を強引に振り返らせる。

 勾玉を握りしめて、彼女は力強く言った。


「セイの想いはわたしが届ける。一人じゃないってユキに伝える。だから、セイはみんなをお願い」


「歌姫さん……」


 ミカの揺るぎない瞳を見つめるセイの目に、一筋の涙が溢れる。

 長い葛藤の末、セイはミカの肩を掴み言った。


「ユキを、頼む……!」


 ミカは大きく頷き、地上に向かって走り出す。

 猛吹雪に迎えられて地上に出ると、怒りの星の禍々しい光がミカの目を突き刺した。


「まるで全てを拒絶してるみたい。だけど!」


 ミカは黒い光から顔を背けることなく、怒りの星に向かって走り出す。

 その時、突如現れたクーロン城がミカの視界を遮った。


「やっとメンテが終わったぜ! さあ、大暴れしてやるか!」


「だめ! あの中にはユキが!」


 怒りの星に砲撃を仕掛けようとするクーロンを、ミカが咄嗟に制止する。

 アラシは慌てて攻撃を中断すると、正面モニターに映るミカを見て言った。


「何ぃ……ってミカ! お前、セイはどうした?」


「大怪我で動けない。だからわたしが戦ってる。ユキを助けるために!」


「相変わらず面白え、乗れ!」


 ミカはクーロン城に乗り込み、アラシ、シナトと共に怒りの星へと進撃する。

 白い壁を裂いて突き進むクーロン城の前に、ラストが立ち塞がった。


「させませんよ」


 ラストはドーム状の障壁を展開し、クーロン城の行く手を遮る。

 城砦の向こうのアラシたちを睨んで、ラストが叫んだ。


「世界が滅ぶというこの善き日を、貴方たち如きには邪魔させません!」


 ラストは雪原に手を翳し、地底深くに闇の魔力を送り込む。

 地の底に眠る災獣の亡骸が、仮初の命を与えられて地上へと姿を現した。


「暴れなさい、『剣竜災獣けんりゅうさいじゅうケントロス』!」


 ケントロスは四つ脚でしかと大地を踏み締め、廃部に備えた剣型の突起をミサイルのように射出する。

 クーロン城も砲撃で応戦し、爆煙が全員の視界を塞いだ。


「ここはオレたちが引き受ける。お前は今のうちに急げ!」


「ありがとう。アラシ、シナト」


 ミカはクーロン城を降り、爆発する凍土の中を駆け抜ける。

 煙が晴れた時、既にミカの姿は戦場から消えていた。


「……無駄な足掻きを」


「無駄かどうか試してみるか? 超動!!」


 アラシはクーロン城を戦士クーロンG9に変え、ケントロスに殴りかかる。

 ユキを救うための決戦が今、幕を開けた。

––

聖なる鳥、羽ばたく



 ケントロスの尾が唸り、クーロンG9を打ちのめす。

 右腕に突き刺さった棘から毒液が染み出し、不快な音を立てて龍戦士の金属部品を溶かした。


「にゃろう!」


 クーロンG9はすかさず棘を引き抜き、ケントロスの目に突き立てる。

 怯んだケントロスに猛攻を仕掛けながら、操縦席内のアラシが叫んだ。


「ダブルドラゴンキック!!」


 渾身のドロップキックが炸裂し、ケントロスを大きく吹き飛ばす。

 雪崩れの下敷きになった災獣を見て、アラシとシナトはガッツポーズを交わした。


「ユキ……!」


 同じ頃。

 ミカは怒りの星に接近し、敢然と光の向こうを見上げる。

 星核となったユキに、彼女は懸命に呼びかけた。


「もうやめて! これ以上はあなたが保たない!」


 しかし、怒りの星はミカを無視して力を暴走させ続ける。

 ミカは星が放つ重力場の影響も厭わず、ユキの元に歩み寄ろうとした。


「わたしたちは敵じゃない……ううっ!」


 内臓を捩じ切られるような感覚に襲われ、ミカは膝から崩れ落ちる。

 這ってでも前に進もうとする彼女を、ラストが冷酷に見下ろした。


「いい加減に諦めたらどうです?」


「嫌だ、わたしは諦めない!」


 ラストは返事代わりにミカの背中を踏みつける。

 靴跡を刻み込むように脚を動かしながら、彼女はミカを責め立てた。


「そういうのが不愉快だと言っているのですよ。非力な人間の分際で自然の摂理を妨げるなど言語道断。その罪、命で償いなさい」


 ラストの蹴りがミカの腹に突き刺さり、逆流した胃酸が喉を灼く。

 幾度も蹴りを打ち込まれながらも、ミカは強気にラストを睨み返した。


「あなたが負けを認めない限り、苦痛は続きますよ」


「それでも諦めない。セイもアラシも、ユキも! みんな戦ってるから!」


「……やはり、あなたは『彼女』とよく似ていますね」


 ラストは拷問の手を止め、遠い目で空を見上げる。

 そして普段の落ち着いた態度に戻り、ミカに微笑みかけた。


「いいでしょう。あなたにチャンスを与えます。より美しく、完璧な終焉のために」


 ラストはミカに手を翳し、妖しい笑みを残して姿を消す。

 未だ残る痛みから逃れようと身をよじったその時、ミカは自分の体が重力から解き放たれていることに気がついた。


「もしかして、ラストの力……?」


 いずれにせよ、これでユキの元に近づける。

 ミカは光と熱の壁を突っ切り、遂に怒りの星の内部へと突入した。


「ユキ!!」


「ミ、カ……」


 巨大なエネルギー体そのものとなったユキの声が、四方八方から反響する。

 超重力場によって歪められた周囲の空間は、ユキの嘆きを反映したかのように暗く荒れ果てていた。


「歌姫さん……!」


 診療所の壁にもたれながら、セイは勾玉を握りしめる。

 痛みは引く気配すら見せないが、それ以上にミカたちの身を案じて胸が痛んだ。


「俺に何ができる? 戦えない俺が、あいつらのためにできることは何だ?」


 自分がカムイとして戦う裏で守護者たちはずっとそれを考えてきたことに、セイは改めて思いを巡らせる。

 そして一つの案を思いつき、セイはシヴァルの民たちが逃げた避難所に向かった。


「セイ!」


 セイの姿を見るなり、シヴァル民たちが心配そうに駆け寄ってくる。

 彼らの言葉を遮り、セイが叫んだ。


「みんな今すぐ地上に出るぞ!!」


「えっ?」


「見届けるんだ! ユキの戦いを!」


 シヴァルの民たちはどよめき、互いに顔を見合わせる。

 国民の一人が呟いた。


「見届けるって……」


「俺たちがユキを見ようとしなかったからあいつはああなった。ユキを変えてしまったのは俺たちなんだ! 俺たちにはその責任がある!!」


 セイの言葉が、少しずつシヴァル民の頑なな心を動かしていく。

 そして彼らはセイに連れられ、極寒の大地へと足を踏み入れた。


「アラシ、あれを見ろ!」


 シナトが眼下のセイたちを指差して叫ぶ。

 ケントロスの怪力を操縦レバー越しに感じながら、アラシが目を見開いた。


「セイ!? お前怪我してたんじゃ」


「説明は後だ、こいつらをユキの所まで連れて行く!」


「ハッ、任せな!」


 アラシは残存動力を全て使い、クーロンG9をフル稼働させてケントロスを押し倒す。

 そしてケントロスの頭部を鷲掴み、吹雪の向こう側まで災獣を引き摺り込んだ。


「逃がさねえぞォ……クーロン砲!!」


 極限まで肉薄したクーロンG9の砲口が、ケントロスの腹部に突きつけられる。

 反動も負荷も度外視の必殺砲撃が、極北の地で炸裂した。


「最強爆裂波ァ!!!」


 爆炎が銀世界を呑み込み、セイたちに災獣の撃破を伝える。

 彼らの気配を察知して、怒りの星が大きく波打った。


「あれは、セイ?」


 シヴァルの民たちを引き連れて進むセイの姿を見て、ミカはすぐにその意図を汲み取る。

 彼らを拒絶せんと荒れ狂う怒りの星に、ミカはきっぱりと告げた。


「違う。セイたちはユキを責めに来たんじゃない。ユキと向き合いに来たの」


「何故、分かる……」


「ずっと一緒にいたから。セイならこうするって、セイならみんなを連れ出せるって、信じてたから」


 ずっと一緒。信じる。

 無縁な筈の言葉が残響し、怒りの星が苦悶するように唸る。

 徐々に輪郭を帯び始めたユキの姿が、唇だけを動かして呟いた。


「ブリザード……!」


 孤独を分かち合った友にして家族の名を呼んだ瞬間、ユキの姿は完全なる実像となる。

 しかしユキが伸ばした手を、怒りの星は幾つもの触手で無慈悲に絡め取った。


「ユキっ!!」


 ユキは懸命に体を動かし、自らが生み出した怪物に抗う。

 だが、あと一押しが足りない。

 目の前の少年に勇気を与えるため、ミカは深く息を吸い込んだ。


おもいよ、届いて……!」


 優しい旋律に乗せて、ミカは歌を唄い始める。

 その歌は、シヴァルに古くから伝わる民謡だった。

 身を寄せ合って寒さを耐え抜き、春の実りを分かち合う、険しい環境だからこそ育まれる命の尊さを雄大に歌い上げた曲。

 それは常に、ユキの人生の中にあった。


「この歌、僕の大好きな……」


 幼い頃は、祭りで大勢の人と一緒にこの歌を合唱した。

 綺麗なオーロラを見た日、ブリザードにこの歌を聞かせてあげた。


「もう一度みんなで歌いたい。やり直せるなら、もう一度……!!」


 ユキの強い願いが光となって瞬き、怒りの星の拘束を打ち破る。

 そしてミカはユキを抱き留め、星の影響下から脱出を果たした。


「歌姫さん!」


「ユキ様!!」


 戻ってきた二人に、セイたちが笑顔で駆け寄る。

 無事を喜び合うのも束の間、怒りの星の光がセイたちを襲った。


「核を失った星が墜ちてくる……! 下手すりゃ世界が吹っ飛ぶぞ!」


 セイは変身しようとするが、消耗しきった体に勾玉は反応を示さない。

 ケントロス撃破と引き換えに大破したクーロンG9にも、これ以上は頼れない。

 誰もが死を覚悟したその時、セイとミカの耳に涼やかな声が聞こえてきた。


「私の力を使って下さい」


 小鳥のリンが、淡い光を放ちながらミカの肩に止まる。

 リンは切実に続けた。


「貴方たちの献身が、私に本来の力を取り戻させてくれました。その恩に報いたいのです」


「リンの本来の力!?」


「どうすればいいの?」


「ただ一言、超動と唱えて下さい。そうすれば、私たちの心は繋がります!」


 リンはそう言ってミカの疑問に答える。

 ユキとシヴァル民たち、そしてセイに背中を押され、ミカはリンに頷いた。


「分かった、やってみる」


 ミカとリンは共鳴し、互いの力を極限まで高め合う。

 そして力が臨界点に達した時、ミカは戦士の合言葉を唱えた。


「超動!!」


 リンの体が光に包まれ、カムイやクーロンG9にも劣らぬ巨体へと姿を変える。

 雪よりも雲よりも白いその姿を、ミカはかつて目撃したことがあった。


「この姿は……これがリンちゃん?」


「今はこうお呼び下さい。聖なる鳥、『超動勇士ヤタガラ』と!!」


 ヤタガラはミカを背中に乗せ、怒りの星目掛けて飛翔する。

 怒りの星が放つ幾重もの光線を掻い潜り、二人は星の中核へと突貫した。


「ヤタガラ飛翔斬り!!」


 二つの光が激突し、真夜中の空が真昼の眩しさに照らされる。

 終わりなきぶつかり合いの中、セイが叫んだ。


「いけ! 歌姫さん!!」


「……うん!」


 声援を背に受けて、ヤタガラは怒りの星を貫く。

 ユキの孤独から生まれた破壊衝動の塊は、とうとうその役目を終えて砕け散った。


「天使……」


 舞い散る星屑の中で飛び回るヤタガラとミカを見上げて、ユキは思わず呟く。

 ようやく生まれた心の余白を、大粒の涙が埋め尽くした。


「ブリザード……僕っ」


 セイたちが言葉をかけるより早く、音もなく現れたブリザードがユキの涙を拭う。

 愛してくれる者の温もりに包まれながら、ユキは穏やかな涙を流し続けるのだった。

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