晴れを願う宴
「セイ、退院したんだな」
診療所を後にしたセイの元に、アラシとシナトが駆けてくる。
二人が抱えた大荷物を見て、セイが尋ねた。
「おう。ってか何だその荷物」
「シヴァル土産だ。部下たちにあげようと思ってな」
「ミリア様のご機嫌取りも、だろ」
シナトが冷めた目で言う。
彼は憂鬱そうな口調で続けた。
「この間の戦いでクーロンG9を派手にぶっ壊したからな。これから塔大で説教されるんだ」
「ミリアの説教は長そうだな……。ま、頑張れよ」
セイは二人に手を振り、ミカの待つ広場に向かう。
ベンチでリンと遊んでいたミカが、セイの気配を感じて振り向いた。
「セイ!」
「歌姫さん、リンちゃん。……凄かったな、ヤタガラ」
行きがけに買ってきた串焼きをミカに手渡しながら、セイはミカの隣に座る。
ミカの手の上で、リンが自慢げに鳴いた。
「うん。リンちゃんがヤタガラだったのには驚いたけど、一緒に戦えて嬉しい」
「はっはっは、こりゃカムイももうお役御免かもな!」
「わたしはセイとも一緒がいい!」
ミカは頬を膨らませてセイに詰め寄る。
串焼きを食べながら、彼女は話題を切り替えた。
「ユキはどうしてるの?」
「俺と入れ替わりで入院したよ。謝罪行脚を終えたら力尽きたように倒れちまって。残った仕事は、市民の中の有志が持ち回りで担当してる」
「え、それって大丈夫なの?」
「仕事のやり方とかを纏めた資料を残してたらしくてな。真面目な奴だよ全く」
「……少しずつ変わってきてるんだね」
「ああ。みんな変わりつつあるんだ。変われないのは……」
セイは遠い目をして広場の壁を見つめる。
暫く沈黙した後、彼は徐ろに提案した。
「なあ、『晴れ祭り』に行かないか?」
「晴れ祭り?」
「ミクラウドのお祭りだよ。太鼓の音に祈りを込めて、気候の安定を願うんだ」
「面白そう、行ってみたい!」
ミカは身を乗り出して言う。
軽やかな気持ちのまま、二人はよく手入れされた鉄扉を潜って地上に出た、
「超動!!」
セイはカムイに変身し、ミカを肩の上に乗せる。
いつも通りに彼女を乗せて飛び立とうとするカムイから、ミカはふわりと身を投げた。
「クァ!?」
「超動!!」
ミカの声に応えて、リンがヤタガラに姿を変える。
柔らかい羽毛で覆われたヤタガラの背に乗って、ミカが満面の笑顔を見せた。
「一緒に行こう!」
「……クァイ!」
二人は並んで雪空を行き、雲海を越えてミクラウドへと辿り着く。
『ハッピー』と書かれた法被を羽織ったオボロが、にこやかにセイたちを出迎えた。
「二人とも、よく来たのう。……その小鳥は?」
「リンと申します。よろしくお願いしますね、オボロさん」
「うむ。よろしく頼むぞ」
リンと握手のように羽を重ねて、オボロは好々爺そのものの笑みを浮かべる。
オボロがセイたちを祭りの会場に案内しようとしたその時、遠くから元気な声が響いた。
「オボロ様ー!」
オボロと同じ法被を着た少女が、大きく手を振って駆けてくる。
短い茶髪に巻いたねじり鉢巻を締め直して、少女は大声を張り上げた。
「会場の設営! 無事に完了致しましたっ!!」
「ご苦労じゃった。『ヤコ』は相変わらず元気がいいのう」
「それしか取り柄がございませんので!」
ヤコと呼ばれた少女は誇らしげに胸を張ると、今度はセイとミカに顔を向ける。
一際印象的な真円形の目で二人を観察しながら、ヤコが尋ねた。
「この方たちは?」
「セイとミカ、当代の巨神と歌姫じゃ」
「何ですとぉ!?」
ヤコは丸い目を更に丸くし、慌てて二人の前に跪く。
セイが困った様子で言った。
「そんな畏まらなくていいって」
「うん。普通の感じでいい」
ミカもセイに同意する。
ヤコは慌ただしく立ち上がると、過剰なまでに快活な口調で言った。
「では不肖ヤコ、早速お二人をお祭りの会場へご案内します!」
ヤコはセイとミカの手を引き、会場へと連れて行く。
リンは呆れながらも、やいやいと騒ぎながら会場に向かう三人を追いかけた。
「随分と強引な方ですね。何事もなければよいのですが……」
雲の浮き島を渡ると、周囲が俄かに騒がしくなる。
屋台に囲まれた広場の中心に聳え立つ櫓を指差して、ヤコが叫んだ。
「見えますでしょうか!? あの櫓に置かれた太鼓が!」
不思議な重厚感を放つ和太鼓を見上げて、セイたちは頷く。
ヤコが胸を張って続けた。
「実は私、明日の祭りであの太鼓を演奏するんです!」
「凄いじゃないか! 晴れ祭りの太鼓なんて、相当な大役だぞ」
「ハルさんと約束しましたからね!」
突然出てきたハルの名前に、セイは目を丸くする。
彼は恐る恐る尋ねた。
「……まさかあんたが、お師匠の話に出てきた女の子か?」
「あなたこそ、手紙に書いてあったお弟子さん?」
「二人とも、話が見えないんだけど」
勝手に納得して通じ合うセイとヤコに、ミカが困惑して言う。
セイは後頭部を掻きながら言った。
「初耳だっけか? お師匠はミクラウドの出身なんだ」
「そして私は、幼い頃ハルさんにお世話になっていたんです!」
ハルの人脈の広さに、ミカは思わず感心する。
ヤコが続けた。
「旅に出てからも、ハルさんは定期的にお手紙をくれました。そのお手紙に書いてあったお弟子さんと実際に会えるなんて、感慨深いですね」
「俺の方こそ、あんたのことはたまに聞いてたぜ。頑張り屋で元気者なんだってな」
「ふふっ、ハルさんを介すれば、初対面でもすぐ仲良しになれてしまいますね!」
「ああ。やっぱりお師匠って……」
「ハルさんって……」
「偉大だなぁ〜!!」
セイとヤコは声を揃え、青空に向かって叫ぶ。
ヤコが不意打ち気味に質問した。
「それで、ハルさんは今どこに?」
「えっ」
「もうお祭りまで時間がないのに、影も形も見せないなんて変です。お弟子さんなら何か知ってますよね?」
「それは……」
返事に窮して口ごもるセイに、ヤコはぐいぐいと詰め寄る。
セイは悩んだ末、今回も常套句を口にした。
「お師匠は……凄く大事な用があって、来れない」
「そんなっ」
「でも約束を忘れたわけじゃないぜ。証拠に俺を遣わした」
セイはそうフォローするが、ヤコの表情は晴れない。
ミカがセイの腕を引き、彼を建物の陰まで連れ込んだ。
「やっぱり本当のことを伝えよう。ヤコだけじゃなくて、ジュウジやみんなにも」
「……それはできない。お師匠は希望なんだ。真実を伝えたら、みんなに絶望を突きつけることになってしまう」
「例え絶望しても、立ち上がることはできる」
ミカはきっぱりと断言する。
暗い目を遠くに投げながら、セイが冷たく呟いた。
「みんながみんな強いわけじゃないんだよ」
「セイ?」
「……何でもないよ。さっ、戻ろうぜ!」
セイは笑顔に戻り、会話を切り上げる。
ぎこちない空気のまま、二人は今夜の宿を探し始めるのだった。
––
死の国への扉
「全く君たちは、いつもいつも無茶ばかりして!」
塔大の研究室に、ミリアの怒った声が響く。
普段の様子からは想像もつかないほど弱り果てたアラシが、懐からおずおずと小箱を差し出した。
「すみません、あの、これでどうか」
「物で有耶無耶にしようとしても無駄だぞ」
と言いつつもミリアは小箱を受け取り、開けて中身を確認する。
小箱の中には、肝油ドロップがギチギチに敷き詰められていた。
「何故……?」
「あ、一粒だけグミが入ってます」
「本当に何故……?」
奇怪すぎる贈り物に、ミリアはただ戸惑う。
しかし正気に戻るなり、彼女は怒りを再燃させた。
「って! 奇行でやり込めようとするなこのたわけ!!」
「悪かったって! ほら肝油ドロップ舐めて機嫌直せよ!」
「貴様が舐めんか〜!」
ミリアはアラシの頭を掴み、肝油ドロップを小箱ごと口に捩じ込む。
そして説教を切り上げると、彼女はようやく平常心を取り戻した。
「全く……。さて、本題に入ろうか」
「本題?」
「そうだ。私が君たちを呼び出したのは、何も説教のためだけではない。着いてきたまえ」
ミリアはかつてG9を開発していた地下室まで二人を案内し、部屋の中心に置かれた一つの発明品を差し示す。
開発装置に繋がれたその発明品を見て、シナトが率直な感想を告げた。
「……扉?」
「そう。これはソウルニエに繋がる空間転移装置だ」
扉の先に待つ死の国を想像し、アラシとシナトは息を呑む。
ミリアが得意げに続けた。
「調査の結果、終焉の使徒はこの世の存在でないことが分かってね。奴らを完全に殲滅するには、ソウルニエまで出向くしかないと考えたのだ」
「一体どういう仕組みなんだ?」
「いい質問だアラシ君。転移のメカニズムは、以前マガツカムイが発生させた時空の穴を参考にした。そして座標の特定には、これを使った」
ミリアは壁にかかったウェディングドレスを指差す。
酷くほつれたドレスの裾を撫でながら、彼女は続けた。
「以前セイ君とミカ君から寄贈された物でね。このドレスにはソウルニエ人の強い思念が込められていた。それを使うことで、ソウルニエへの道を開いたのさ」
「おおっ、凄え!」
「というわけで、君たちにはこの扉の最終調整を手伝って貰う」
「それが目的かよ! 何でオレらが……」
「いつもクーロンG9を直しているのはどこの国の技術者だ?」
その話を持ち出されると、さしものアラシも言い返せない。
アラシとシナトは頷き合い、ミリアと共に作業に取り掛かった。
三人が作業に没頭している間に、空の太陽は月にその座を明け渡す。
そして再び太陽が昇り、ミクラウドは晴れ祭りの日を迎えた。
「セイーっ!」
浴衣を纏って祭りの会場にやってきたセイに、同じく浴衣姿のミカが駆けてくる。
履き慣れない下駄のために躓いてしまった彼女を、セイが颯爽と抱き止めた。
「大丈夫か? そんなに焦らなくても、祭りは逃げないぞ」
「ありがとう。……セイ、浴衣似合ってる」
「歌姫さんもな。さ、何処から回る?」
「金魚すくい!」
「よしきた!」
二人は無邪気に笑い合い、金魚すくいの屋台に並ぶ。
祭りの喧騒の中で、ヤコは一人寂しげに佇んでいた。
「ハルさん、やっぱり来ないのでしょうか……」
ハルのために練習を重ねてきたのに、彼がいなければ意味がない。
それに気が乗らない中での演奏が、祭りに相応しいものになるとも思えない。
重い溜め息を吐いていると、セイとミカが元気よく走ってきた。
「よっ、ヤコ!」
「セイさんにミカさん……。お祭りは楽しんでますか?」
「勿論だ!」
セイは笑って、金魚の入った袋や射的で取った景品を見せる。
安堵するヤコに、彼は笑って言った。
「でも、メインはやっぱりヤコの太鼓だな」
「わ、私にできるでしょうか……」
「ヤコならできる。自信を持って」
ミカが励ましの言葉をかける。
ヤコが何か言おうとしたその時、不快な高音がセイたちの耳をつんざいた。
「災獣だ!」
セイとミカは戦士の顔になり、人々を迅速に避難させる。
誰もいなくなった祭り会場の上空に、蝙蝠型の災獣『怪音災獣ノイズット』が姿を現した。
口から超音波を飛ばし、その圧で屋台を薙ぎ倒す。
無秩序に暴れ回るノイズットに、セイとミカは怒りを燃やして叫んだ。
「超動!!」
セイがカムイとなって先陣を切り、リン––ヤタガラに乗ったミカが続く。
暮れかかった空を舞台に、三つの旋風が幾度となく交差した。
「攻めまくってます! これなら!」
ヤコは拳を握りしめ、戦闘の行方を見守る。
近衛兵に抱き返えられたオボロが、冷静に呟いた。
「分からぬぞ。よく見るのじゃ」
「えっ?」
オボロに指摘され、ヤコはより慎重に戦いを観察する。
そして彼女はあることに気がついた。
「災獣に攻撃を全部いなされてる!?」
「そうじゃ。そしてそれを成しているのは、奴の超音波じゃ」
ノイズットは超音波の反射からカムイたちとの間合いを読み取り、機敏な動きで猛攻を掻い潜る。
更にノイズットは牙を光らせ、音の塊を吐き出した。
「え……? きゃあああっ!!」
超音波を内包した膜がミカの全身を包み、鼓膜と平衡感覚を破壊する。
そしてミカは体勢を崩し、ヤタガラの背中から転げ落ちた。
「歌姫さん!」
「ミカ!」
カムイとヤタガラを擦り抜けて、ミカは雲の地面に墜落する。
堪らずヤコが駆け寄り、彼女の体を助け起こした。
「ミカさん、大丈夫ですか!?」
「平気。でも、まだ頭ががんがんしてる……」
ミカは苦しそうに頭を押さえる。
上空で未だ繰り広げられている戦いの衝撃が、和太鼓を櫓から突き落とした。
落下の弾みで和太鼓が鳴り、重く低い音色が響く。
その音を聴いた瞬間、ミカを苛んでいた頭痛は跡形もなく消え去った。
「……ヤコ、太鼓を叩いて」
「えっ!?」
「太鼓の音を聴いたらわたしの中の音波が消えた。ヤコの太鼓なら、災獣の超音波を打ち消せるかもしれない!」
ミカは太鼓を持ち上げ、ヤコに叩くよう促す。
ヤコは葛藤の末、バチを構えて叫んだ。
「分かりました! 不肖ヤコ、叩きますッ!!」
ヤコはバチを振るい、和太鼓の音色を響かせる。
腹に響く重低音を聴いた瞬間、上空のノイズットが悲鳴を上げた。
「キシャアアアア!!」
ノイズットは標的をヤコに絞り、強力な音波を浴びせかける。
二つの音のぶつかり合いを、オボロたちは固唾を飲んで見守った。
「クァムァ……」
「音に対抗できるのは音だけ。信じましょう。彼女の力を」
ヤタガラに諭され、カムイもヤコの奮闘を見届ける。
しかしノイズットの音は、ヤコを容易く吹き飛ばしてしまった。
「ううっ……!」
倒れたヤコの手からバチが離れ、軽く乾いた音を立てる。
再び立ち上がろうとする彼女の目の前で、ノイズットが音波砲を乱射した。
カムイとヤタガラの決死の防衛も敵わず、皆で設営した祭りの会場がなす術なく破壊されていく。
絶望と無力感の中、ヤコはハルの名を呼んだ。
「ハルさん……!」
当然のことながら、返事はない。
姿を現すこともない。
奮闘を続けるカムイたちとそれを見守る人々の不安げな目線に挟まれて、ヤコは拳を握りしめた。
「今、私の太鼓を待ってるのはハルさんじゃない! セイさんとミカさん、そして、ミクラウドのみんなです!!」
ヤコはバチを掴み、大地を踏み締めて立ち上がる。
そして渾身の雄叫びと共に、和太鼓を叩き鳴らした。
「はあーッ!!」
真紅の炎と化した音色が爆裂し、ノイズットを大きく怯ませる。
全身全霊を出し切ったヤコに、ミカが力強く言った。
「ありがとう、後はわたしたちに任せて!」
ミカを背中に乗せ、ヤタガラは天高く舞い上がる。
カムイとヤタガラの同時攻撃が、祭りの夜空に煌めいた。
「神威一刀・鳴神斬り!!」
「ヤタガラ飛翔斬り!!」
両断されたノイズットが爆散し、花火となって夜空を彩る。
オボロたちの歓声に迎えられて、二人は地上へと帰還した––。
「セイ、ミカ。祭りを守ってくれたこと、本当に感謝する」
翌朝。
ミクラウドの民たちを代表して、オボロがセイたちに礼を言う。
セイは微笑んで言葉を返した。
「礼を言う相手はもう一人いるぜ。なっ?」
セイに顔を向けられ、ヤコは照れくさそうに頭を掻く。
ミカも本心から感謝を告げた。
「ヤコがいなかったら勝てなかった。本当にありがとう」
「二人の言う通りじゃな。ご苦労じゃったぞ、ヤコ」
「ど……どういたしましてッ!!」
ヤコは胸を張って、セイたちからの感謝に応える。
堂々たる彼女の姿には、かつて自信のなさを空元気で誤魔化していた頃の面影はもうなかった。
「頑張れよ、太鼓の奏者さん」
セイはそう呟き、ヤコに別れを告げる。
そしてセイとミカは惜しまれながらも、ミクラウドを後にするのだった。
「……終焉の使徒も、とうとう私だけになってしまいましたか」
同じ頃。
死の国ソウルニエの荒野で、ラストはぽつりと呟く。
しかしその声に寂しさはなく、むしろ状況を喜んでさえいた。
「運命が定めたシナリオに抗うことはできない。この私も、そして巨神カムイも……!」
歪んだ笑みを浮かべるラストを、降り始めた雷の光が照らす。
カムイ神話の最終章が、静かに幕を開けようとしていた。