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第32章 かみしばい

本当のカムイ



 晴れ祭りから三日後。

 ミリアは読んでいた論文を置き、塔大の地下室にやってきたセイとミカを出迎える。

 彼女はいつもと変わらぬ尊大な調子で言った。


「よく私の招集に応えてくれた。要件は手紙で伝えた通りだ」


「ああ。その扉を開ければ、ソウルニエに行ける」


「わたしの故郷……」


 ミカは左胸に手を当てて、扉の先の故郷に想いを馳せる。

 期待の裏に滲む僅かな恐怖を読み取ったセイが、恐る恐る尋ねた。


「一応聞くけどさ、行くのはクーロンじゃダメなのか?」


「クーロンでは質量オーバーだ。それに、一国の城を死の世界に向かわせるわけにはいかないだろう」


「俺たちならいいみたいに言うなよ……」


 セイの苦情を華麗に躱して、ミリアは扉を開ける。

 尚も心配するセイに、ミカが明るく言った。


「わたしたちなら大丈夫。さ、行こう!」


「……そうだな、行くか!」


 セイとミカは手を繋ぎ、扉の向こうに広がる闇の中に飛び込む。

 そして二人は時空のうねりを潜り抜けて、死の世界へと足を踏み入れた––。


「ここがソウルニエか。……なんか、想像してたのと違うな」


 目の前に広がるソウルニエの街並みを見渡して、セイは拍子抜けしたように呟く。

 それは血の池や針山がひしめく地獄ではなく、さしずめパッチワークのような光景だった。


「建物はレンゴウっぽくて、畑はラッポンみたい。ねえセイ、色んな国の特徴が混ざってるのもあるよ。ほら!」


「お、おう」


 それもそうか、とセイは思い直す。

 ここは死者の国だ。

 どこの国に生まれても、結局最後はこの国の住人になる。

 ソウルニエの文化は、死者たちが生前に得たものの積み重ねでできているのだ。


「死んだ命もまた命、ってことか」


「どうしたの?」


「何でもない。取り敢えず、まずは終焉の使徒の手掛かりを探ろうぜ。観光はその後だ」


 セイとミカは二手に別れ、ソウルニエの住人たちに聞き込みを開始する。

 しかし彼らは冷たい眼差しで二人を避け、何も語ろうとはしなかった。

 通行人は息を潜め、家にいる者はカーテンを閉め切り扉に鍵をかける。

 セイとミカは困惑を抱えたまま、ファイオーシャン風建築の噴水で合流した。


「何か変。みんな、まるでわたしたちを恐れてるみたい」


「ああ、薄情な連中だぃ全く。しかしこの様子じゃ、情報どころか、飯にも宿にもありつけなさそうだな……」


「心配はございませんよ」


 聞き覚えのある悍ましい声が、ソウルニエの街を汚染する。

 黒く染まった噴水の水から、終焉の使徒最後の一人が姿を現した。


「貴方たちはもうすぐ物言わぬ屍になるのですから」


「ラ……ラスト!」


「そう睨まないでください。本日はソウルニエ守護者としてご挨拶に来たのですから」


 守護者を僭称するラストに、セイとミカは険しい目を向ける。

 ラストは涼やかに二人の敵意を受け流すと、光弾を放って街への無差別攻撃を開始した。


「やめろ! 街の奴らは関係ない!」


 セイはそう叫ぶが、ラストは攻撃を止めない。

 街を焼け野原に変え、ラストが凶悪に顔を歪めた。


「肉体という器を離れた魂が、災いの獣に再び力を与える! 蘇りなさい!!」


 上空に幾つもの人魂が集い、巨大な業火となって燃え盛る。

 そして炎塊を切り裂いて、新たな災獣が現れた。

 三つの首を持つ地獄の番犬、『凶犬災獣ドルベロス』。

 その眼光に射られた途端、ミカはかつての記憶を思い出した。


「あの災獣は……!」


 カムイがドルベロスを倒す光景を見て、ミカは希望を持つことができた。

 今度も勝てるだろうと、ミカは横目でセイを見る。

 しかし青褪めたセイの顔からは、一切の闘志が消えていた。


「……歌姫さんは先に逃げろ」


「えっ?」


「いいから逃げろ! こいつは俺たちの勝てる相手じゃない!!」


「ちょっと、セイ!」


 ミカの制止も聞かず、セイ––カムイはドルベロスに向かっていく。

 我武者羅に攻撃を繰り出しながら、彼は絞り出すように叫んだ。


「お師匠は、こいつに殺されたんだ……!!」


 カムイは雷の大太刀を振り回し、ドルベロスを遠ざける。

 そして拒絶反応のままにトルネード光輪を乱射した。


「俺の前にっ! 出てくるなぁ!!」


「おやおや。無闇に攻撃しても体力を消耗するだけですよ?」


 ラストの忠告は的中し、カムイはよろめいて膝を突く。

 無傷のドルベロスが牙を光らせ、カムイの喉笛に噛みついた。


「セイ! ……わたしも!」


「させませんよ」


 ラストが音もなくミカの背後に迫り、頭蓋を掴んで加勢を阻む。

 電流で彼女を苦しめながら、ラストが言った。


「そこで見ていなさい。巨神カムイの最期を」


 ドルベロスが三つの口にエネルギーを集中させ、紫炎として放射する。

 灼熱の業火に焼かれて、カムイはとうとうセイの姿に戻ってしまった。


「セイ!」


「う、歌姫さん……」


 互いに手を伸ばすセイとミカを嘲笑うように、ドルベロスの眼が二人を見下ろす。

 口腔内の灼熱が全てを焼き尽くす刹那、眩い光がセイたちの視界を埋め尽くした。


「あれは……!」


 光の向こうに懐かしい気配を感じて、セイは遮二無二手を伸ばす。

 眩しさが消えた時、そこには巨神カムイの勇姿が立っていた。


「どうして。セイはここにいるのに」


 ミカが呆然と呟く。

 セイとミカの視線の先で、カムイが強烈な蹴りを放った。


「ハアッ!」


 電流を纏った右脚はしっかりとドルベロスを打ち据え、その屈強な肉体に一つ目の傷を与える。

 そしてカムイが刀を構えると、ミカの瞳から光が消えた。


「っ!?」


 神話の書が独りでに開き、取り憑かれたような歌声がカムイに力を与える。

 歌の力を受けて輝く刀を、カムイは渾身の力で振り下ろした。


「神威一刀・鳴神斬り!!」


 閃く太刀筋が稲妻を描き、次いで落雷のような衝撃音が驚く。

 堪らず撤退したラストとドルベロスを深追いすることなく、カムイは竜巻に包まれて変身を解いた。


「怪我はなかったか?」


 カムイだった男はセイたちの前に駆け寄ると、昔馴染みのような口調で話しかける。

 神官のような装いをした銀髪の彼は、どこかセイに似た雰囲気を持っていた。


「お師匠……本当にお師匠なのか!?」


 セイが叫ぶ。

 興奮した様子のセイを宥めながら、男は苦笑して言った。


「落ち着けセイ。それじゃ、改めて自己紹介だな」


 男は咳払いを一つして、頭の中で話す内容を纏める。

 そして彼はセイたちに、自らの名前を明かした。


「俺は『ハル』。セイの師匠だ。よろしく!」


「この人がセイの……」


 快活なハルに、ミカは恐る恐る自己紹介を始める。

 ふと師弟の格好を見比べて、彼女が言った。


「ハルさん、やっぱり凄い似てる。髪型も服も、セイそっくり」


「違う違う。俺がお師匠に似せてるの」


 自慢げに言うセイに、ハルとミカは思わず苦笑する。

 立ち込めた微妙な空気を、ミカの質問が打ち消した。


「ねえ、どうしてハルさんはカムイに変身できるの?」


 その言葉を聞いて、セイの表情が凍りつく。

 彼は一瞬だけハルの方を見ると、大罪を懺悔するかのように言った。


「……俺は本当のカムイじゃない」


 ミカは絶句し、ハルは苦々しい表情でセイを見る。

 壊れた街の中心で、セイは最大の秘密を明かした。


「お師匠こそが、本当の巨神カムイなんだ」

––

二人の決裂



 全ての始まりは、半年前に遡る。

 その日、ハルとセイはファイオーシャンの山岳地帯を歩いていた。

 ハルは悠々と険しい山道を歩いていくが、セイは着いていくのが精一杯である。

 ハルは平らな場所で立ち止まると、息を切らして追いついたセイに笑いかけた。


「ここらで昼飯にしよう」


「うん」

 二人は手頃な岩に座り、包みに巻かれた握り飯を取り出す。

 同時に『いただきます』と言って握り飯を頬張ると、米の甘さが口いっぱいに広がった。


「美味いよ、お師匠。天下一」


「へへっ、ありがとな」


「……なあ、お師匠はどうして疲れ知らずなんだ? こんなに歩いたのに、息切れ一つしないなんて」


 セイは握り飯を食べながら尋ねる。

 ハルは空を見上げて答えた。


「あっちに綺麗な花があった」


「えっ?」


「向こうには山羊の群れがいて、木の上には鳥の親子がいた。変わる景色を楽しむのに夢中で、疲れる暇がなかったんだよ」


 ハルの言葉に同意するかのように、首に提げた翡翠の勾玉が輝く。

 勾玉を指差して、セイが呟いた。


「それ、巨神カムイの」


「生まれた時から持ってたんだ。でも、出来るならこいつは使いたくないな」


「俺は見てみたいけどな。お師匠がカムイになるとこ」


「おいおい。カムイがいるってことは、災獣もいるってことだぞ」


「平気だって! どんな災獣が出てきても、お師匠なら一発だ!」


 危機感のない弟子に呆れながらも、ハルは自分の握り飯を食べ終える。

 再び出発しようとしたその時、不吉な地響きが足元を揺らした。


「災獣だ……!」


 凶犬災獣ドルベロスが三つ首を正面と左右に向け、獰猛な眼で捕食対象を探している。

 セイとハルは頷き合うと、決して音を立てないよう静かに撤退を開始した。

 危険生物から逃げる術は嫌というほど叩き込まれている。だから今回も大丈夫。

 小枝の踏み折れる音が、セイの油断を白日の下に曝け出した。


「っ!」


 ドルベロスの首が一斉に動き、六つの眼でセイたちを睨み据える。

 ハルはセイを庇うように突き飛ばすと、勾玉を掲げて叫んだ。


「超動!!」


 ハルの体を風と雷が包み、彼は巨神カムイに変わる。

 ドルベロスと戦い始めたカムイを見上げながら、セイは急いで逃げ出した。

 カムイは鮮やかな動きでドルベロスを翻弄し、確実に戦闘を進めていく。

 いよいよカムイが鳴神斬りの構えを取ったその時、走るセイの視界に何かが過ぎった。


「仔山羊だ……」


 親と逸れてしまったのだろうか、逃げることもせず崖の上で不安げに佇んでいる。

 もしカムイが必殺技を放てば、その余波で間違いなく死んでしまう。

 そう思った瞬間、セイは既に動き出していた。


「ダメだお師匠ー!!」


 喉が千切れるほどの声量で叫び、韋駄天の速さで崖を駆け上がる。

 そして仔山羊を助け出すと、セイはどこか誇らしげな気持ちでカムイを見上げた。


「ぇ」


 目に映った光景を見て、セイは口角が上がったまま立ち尽くす。

 刀を構えたカムイの体は、ドルベロスの牙によってズタズタに食い散らかされていた。


「そんな……」


 青褪めるセイの目の前で、カムイはハルの姿に戻る。

 セイは居ても立ってもいられぬまま、血と傷に塗れた師匠の元に駆け寄った。


「お師匠!!」


「セイ……」


 ハルは優しく微笑んで、セイの頭をそっと撫でる。

 セイの目をしっかりと見つめて、彼は告げた。


「よく、あの小さな命を守ったな。俺から教えることは、もう何もない」


「何言ってんだよお師匠! 俺、もっとお師匠と一緒にいたいよ!!」


「……セイ」


 泣き喚くセイの掌にハルはそっと何かを握らせる。

 手の中で輝きを放つのは、巨神の証である勾玉だった。


「これをお前に託す。今日からお前が、巨神カムイだ」


「お師匠、しっかりしろお師匠! なあ! お師匠!!」


「……頼んだぞ」


 その言葉を最期に、ハルは力なく崩れ落ちる。

 師匠の亡骸を抱きながら、セイは悍ましいまでの慟哭を上げた。

 叫びが豪雨と風を呼び、遠くに雷鳴を響かせる。

 そして次に目を開けた時、セイは巨神カムイとなっていた––。


「そんな……」


 セイから全ての話を聞いて、ミカは愕然とする。

 大切な記憶の裏に隠されていた悲劇を受け止めきれないまま、彼女は呟いた。


「わたし、その戦い見てた。災獣に立ち向かうカムイの姿が、わたしに生きる希望をくれた。でも、裏にそんなことがあったなんて……」


「……俺にとっては絶望の記憶なんだ。ごめん」


 どうしようもない断絶を感じ、セイとミカは互いに目を逸らす。

 二人の肩に手を置いて、ハルが慰めの言葉をかけた。


「今日まで、辛い思いをさせたな」


 だが次の瞬間、それは衝撃的な提案に変わった。


「これからは俺がカムイとして戦う。だから、勾玉を渡してくれないか?」


 ハルはセイと向かい合い、掌を差し出す。

 ミカが慌てて二人の間に割り込んだ。


「待って! 勾玉を渡すって、じゃあセイは?」


「戦いから離れてもらう。君だって、彼を危険に晒したくはないだろう?」


「……そうだけど、わたしにだって力はある。いざとなったらわたしがセイを守る」


 ミカは怯まず言い返し、セイの目を見据える。

 重力のような圧の中、セイは呆気なく答えた。


「分かった!」


 セイは首に提げた勾玉を外し、ハルに手渡す。

 呆然とするミカの背中を叩いて、彼はあっけらかんとした態度で言った。


「というわけで、今日からお師匠が歌姫さんのパートナーだ」


「……セイはそれでいいの?」


 微かに抱いていた期待を裏切られ、ミカは声を震わせる。

 彼女の気魄に圧されながらも、セイはあくまで飄々とした態度を見せた。


「い、いいに決まってるだろ。お師匠といれば、歌姫さんもこの世界も安心安全だ」


「でも、私はセイと旅がしたい」


「それで死んだらどうすんだよ。……さっきの戦いで分かっただろ。本当のカムイはお師匠なんだ」


 確かに、戦闘力ではハルの方が上かもしれない。

 しかし自分にとってのカムイは、やはりセイ一人だけなのだ。

 それがどうして分からない。

 焦りはやがて苛立ちとなり、セイを見つめる目に現れる。

 ミカの視線から目を逸らして、セイはぽつりと呟いた。


「……分かってくれよ」


「分かりたくない。セイと離れ離れなんて認めない!」


 両者の主張は平行線のまま、微塵も交わる気配を見せない。

 ミカを守りたいセイと、あくまでセイとの旅を望むミカ。

 真実を隠し続けた代償を、セイは最悪の形で支払った。


「……ウザいんだよ」


「えっ?」


「そういう風に執着されるの、ハッキリ言って迷惑なんだよ! 金輪際顔も見たくねえ! 歌姫さんなんか……大嫌いだ!!」


 誰より側にいたい人に吐き捨てられた、『嫌い』という言葉。

 それは災獣のどんな攻撃より破壊的な衝撃となってミカの心を引き裂いた。

 凶暴な爪や牙より、言葉一つがこんなにも痛い。

 その痛みから逃れようとして、ミカもまた同じ悪意に身を落とした。


「わたしだって、セイなんか嫌い!!」


 ミカはそう吐き捨て、この場を走り去る。

 セイもまたミカに背を向け、酷く蒼い顔で逃げ出した。


「……これはセイたちの問題だ」


 ハルは自分に言い聞かせるように呟く。

 セイとミカの間に走った深い亀裂から、黒い闇が噴き出そうとしていた。

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