神話の崩壊
終焉の王ジエンドラの手により、世界は滅んだ。
ただ一人、セイだけを残して。
光の消えた勾玉を握りしめながら、彼は未だ歪んだままの空を見上げた。
「まだ壊し足りないっていうのか……!」
空の歪みは、終焉の王がまだこの世界に残っているという証だ。
世界を救えないのだとしても、せめてそれだけは倒さなくてはならない。
力を振り絞って変身しようとするセイの前に、待ち望んだ人影が姿を現した。
「ミカ!」
「セイ、こっち」
手招きするミカに、セイは疑うことなく駆け寄る。
ミカは冷たい笑みでセイを出迎えると、無防備な胴体を蹴りつけた。
「がっ……!?」
何が起こったかも分からぬまま、セイの体が地面を転がる。
腹を押さえて見上げた彼女の眼は、終焉を象徴する禍々しい黒色に染まっていた。
「素晴らしい。歌姫ミカの肉体、実によく馴染むぞ」
「……体を乗っ取ったってのか」
「ならば、何だ?」
「ミカを元に戻せ!!」
ミカ––否、終焉ミカは遮二無二掴みかかってくるセイを躱し、苛烈な反撃を叩き込む。
再び地に伏したセイを踏みつけて、彼女は満足げに言った。
「その顔だ。千年前の初代カムイも同じ顔をしていた。愛する者を奪われ、無力感に歪んだ絶望の顔をな」
「……初代の歌姫にも、同じことを」
「初代の歌姫? ……はははっ」
「何がおかしい!」
「どうやら人間は、我の想像以上に神話を歪めてしまったようだな」
「……何だって?」
「初代カムイに、歌姫などいなかったということだ」
予想だにしない真実に、セイは目を見開く。
終焉ミカは寝物語でも聞かせるかのように、千年前の真相を語り始めた。
「千年前、我はこの星に顕現した。終焉を齎すために」
聴き慣れた優しい声色と尊大な口調の乖離が、どうにも気持ち悪い。
そんなセイの嫌悪感にも構わず、終焉ミカは続けた。
「この星は運命に抗うべく、一人の男に巨神カムイの力を与えた。戦いは永久とも思えるほどに続いたが、遂に最後の時が訪れた」
全てが滅び去った世界でセイと終焉ミカが対峙する様は、まさに千年前の再演。
セイに初代カムイの姿を重ねて、終焉ミカは自身の余りに残酷な所業を明かした。
「初代カムイには恋人がいた。我はその体を乗っ取り、カムイに心中を迫ったのだ! 今と同じようにな!」
愛する者か、世界か。
初代カムイは世界を選び、恋人ごと終焉を討ち果たした。
そして初代カムイの戦いは、神話となって語り継がれることになった。
「だがこの時、人間たちは思わぬ行動に出た。奴らは初代カムイの恋人を歌姫として祭り上げ、神位の列に加えたのだ!」
「それが、歌姫の真実……」
「そうだ。カムイ神話など、所詮は後世の創作に過ぎん。最後に残るのは終焉という摂理のみだ!」
千年分の嘲りを込めて、終焉ミカが勝ち誇ったように笑う。
悔しげに呻くセイの眼前で、彼女は両腕を広げてみせた。
「我を殺せ。そうすれば、また千年の安寧が手に入るぞ」
「ミカの体から出ていけば、すぐにでも殺してやるよ……!」
「下らない意地を張るのはよせ。皆、貴様が世界を救うのを待っているぞ?」
セイの苦悶を見透かして、終焉ミカは挑発を続ける。
彼女の言葉を何度も反芻する中で、セイは一つの事実に気がついた。
「……ってことは、アラシたちは生きてるんだな?」
でなければ、他者を利用して決断を迫る筈がない。
セイの鋭い推測を、終焉ミカは動じることなく肯定した。
「そうだ。彼らは生きている。高き空と、深き海の最果てで」
乾いた風が、二人の間を吹き抜ける。
終焉の王の手に落ちた歌姫を、セイは震える目で見つめていた––。
「……シ、ラシ」
何者かに体を揺さぶられ、アラシはゆっくりと目を開ける。
シナトが視界に映ったかと思うと、彼は思い切りアラシを抱きしめた。
「アラシっ!! この野郎、死んだかと思ったぞ!」
「痛い痛い一旦離せ! 今オメーに殺されかかってる!」
「あっすまん」
シナトの腕から解放されて、アラシは深く呼吸をする。
改めて周囲を見回すと、ここがハタハタが住まう宮殿の医務室であることが分かった。
つまり、アラシとシナトは今ドトランティスにいるということになる。
「こうしちゃいられねえ、急いで地上に戻るぞ」
「……その前に、見せるべきものがある」
シナトに連れられて、アラシは宮殿近くの広場に出る。
そこに広がっていた光景に、彼は目を疑った。
「なっ……!?」
避難民だけでなく、ジエンドラ撃破作戦に参加していた者、果てはミリアやユキの姿もある。
文字通り世界中の人間が、ドトランティスに集まっていた。
「おいハタハタ、こいつは一体どういうことだ!?」
「わたくしにも分かりませんわ!」
アラシはハタハタを捕まえて尋ねるが、彼女も事態を理解できてはいない。
混乱する気持ちを抑えつけて民衆の統率に動こうとした刹那、ミリアの声が広場中に響いた。
「落ち着け!」
波が引くように群衆が捌け、ミリアと民たちの間に見えない壁が生まれる。
ミリアは右手を掲げて言った。
「守護者はこちらに集まってくれ」
ミリアの招集に応じて、アラシ、シナト、ハタハタ、ユキが彼女の元に歩み寄る。
あまりに落ち着き過ぎているミリアの様子を見て、アラシは単刀直入に問いかけた。
「何か知ってんだな?」
アラシの追及に、ミリアだけでなくユキも顔を逸らす。
長い沈黙の末に、ミリアはぽつりと呟いた。
「超動勇士の皆には黙っていたのだが……私たちは、神話の真実を見た」
「神話の真実?」
「そうだ。『カムイは世界を救えなかった』と、神話の書の原本には記されていた。それは恐らく、このことを指していたのだろう」
地上がジエンドラに滅ぼされたと同時に、かつて初代カムイが作り出した二つの国の中に世界中の人々が転移させられた。
そして終焉の使徒は、ミクラウドとドトランティスに一切手を出してこなかった。
その事実から推測される結論を、ミリアは淡々と告げた。
「恐らく千年前にも、ジエンドラは地上を壊滅させた。初代カムイはその被害から人々を逃すために、空と海に結界を張ったのだろう」
「その結界が、ミクラウドとドトランティス……」
ユキが信じられないという風に呟く。
ミリアの仮説を立証するかのように、ドーム状の結界にミクラウドの景色が映し出された。
同じように強制転移された人々を、オボロ、リョウマ、シイナが中心となり落ち着かせている。
シンが水晶玉に向かって呼びかけた。
「状況を伝える。現在、セイと我が妹ミカを除く全人類がドトランティスとミクラウドに分かれて収容されている。そして地上は、壊滅状態に陥った」
「全員? 事前に避難していた奴らはともかく、俺たちのように戦っていた者だって相当数いたんだぞ。それを一瞬で……一体どうやって」
シナトが訝しげに尋ねる。
シンは淡々と答えた。
「初代カムイが張った結界の力だ」
アラシたちは意味深長に結界を見上げる。
それまで黙り込んでいた民衆たちが、徐々に声を上げ始めた。
「どういうことですか! 説明してください!」
彼らの声は瞬く間に大合唱となり、アラシたちをもたじろがせる程の圧力を放つ。
ミリアが深く息をして、よく通る声で叫んだ。
「静粛に!!」
群衆は静まり返り、全員の視線が守護者たちに集まる。
最も栄えた国の代表として、ミリアは真実を公にした。
「全ては千年前に遡る」
初代カムイと終焉の王の戦いで、地上は完全に荒廃した。
地上はもはや人間の領域ではなくなってしまった。
だから初代カムイは国を作った。
海底と天空に。
「初代カムイは希望を託したのだ。千年前の人類に。我々は彼らの意思を受け継いで、ここに立っている」
千年かけて再び築き上げた文明が、今また破壊されている。
受け入れ難い現実を前に、リョウマが声を上げた。
「じゃあ、今のワシらはどうするぜよ!?」
その声にいつもの快活さはなく、オボロを抱える腕も震えている。
ミリアは長い葛藤の末、結論を告げた。
「我々は、千年を繰り返す」
––
神と人の選択
巨神カムイと終焉が千年周期で織り成す、破壊と再生の輪廻。
地上でも、セイが終焉ミカからその話を語り聞かされていた。
「さあカムイ、貴様も千年先の未来に希望を託せ。我に壊されるための希望をな」
「ふざけんな。誰がそんな……ぐっ!」
「無理をするな。それとも、耐えていれば救援が来るとでも思っているのか?」
終焉ミカは見透かしたように言う。
彼女の冷淡な態度が、不意に狂的な熱量を帯びた。
「カムイ、諦めて共に摂理の一部となれ! それが我に唯一刃向かった貴様の取るべき責任だ!」
終焉ミカは壊れたように笑い、セイの体を揺さぶる。
セイは激情に押し流されるまま、彼女を抱きしめ叫んだ。
「目を覚ませミカ! 戻ってこい!! ミカ!!」
「くどい!」
終焉ミカに何度痛めつけられても、その度に立ち上がって呼びかける。
土埃と傷に塗れたセイの首を締め上げて、終焉ミカが怒りをぶつけた。
「巨神カムイが、我の前でこれ以上無様を晒すな」
「うるせえ! 俺はカムイである前にセイだ! ミカのことが好きなセイなんだ!!」
終焉の力を宿した腕は、細さに反して万力のように強い。
体中の酸素が搾り取られていくのを感じながらも、セイは途切れ途切れに訴えた。
「思い出してくれ、ミカ……」
「まだ言うかァ!」
終焉ミカは腕に力を込め、セイの首をへし折ろうとする。
しかしその瞬間、彼女の腕を強烈な痺れが襲った。
終焉ミカの意志に逆らうように痺れは全身に広がり、苦痛となって体内を暴れ回る。
彼女が堪らずセイを手放すと、セイはようやく呼吸を取り戻した。
小刻みに荒い息をして、ぼやけた意識を鮮明にする。
心の奥底に追いやられたミカの意識が、セイに手を伸ばして訴えかけた。
「セイ……!」
ミカは懸命に抵抗し、終焉の王を自分の中から追放しようとしている。
彼女の自我を無理やりに封じて、終焉ミカは忌々しそうに言った。
「ええい! いかなる対抗も無意味であることを、その目で確かめるがいい!」
終焉ミカはセイの勾玉を掴み、初代カムイが遺した結界と勾玉を同期させる。
瞬間、セイと終焉ミカの脳内にミクラウドとドトランティスの景色が流れ込んだ。
「見ろ。今まさに人類が、自らの意思で戦いを諦めようとしている」
集まった人々に闘志はなく、終焉ミカの言葉は真実なのだと嫌でも思い知らされる。
ドトランティスのアラシが、セイの言葉を代弁するかのようにミリアに詰め寄った。
「どういうことだよ、千年を繰り返すって」
「言葉通りだ。我々はここで、カムイと終焉の戦いが決着するのを待つ。そして全てが終わった後で地上に引き返し、文明を再興する」
「セイとミカを見殺しにしろってのかよ!」
アラシに責め立てられ、ミリアは俯く。
彼女は自分に言い聞かせるように言った。
「客観的事実として、我々がいかなる攻防を行おうとも勝利は見込めない。やむを得ない措置だ」
ミリアの言葉に、守護者たちの間にも少しずつ降伏する雰囲気が出来上がっていく。
いつの間にか、徹底抗戦を訴えるのはアラシだけになっていた。
「……お前はそれでいいのかよ」
「いいわけないだろう!!」
叫ぶミリアの頬を、一筋の涙が伝う。
ミリアはアラシの胸ぐらを掴み、秘めた想いを曝け出した。
「我々は死力を尽くして戦った! クーロンを建造し、大災獣を退け、神話の真実まで暴き出した! それでも駄目だった!!」
結局地上は壊滅し、千年前と同じ選択を迫られている。
不甲斐ない気持ちを剥き出しにして、彼女は続けた。
「これ以上の抵抗は、無駄な犠牲を増やすだけだ。我々はここで脅威を凌ぎ、次の文明の礎を作る。終焉の王を倒せるほどに強い文明の礎を。それこそが……我々にできる唯一のことだ」
そこで景色の共有は終わり、セイと終焉ミカの意識は元の地上に戻ってくる。
終焉ミカが憐憫の笑みを浮かべながら、セイの顔を覗き込んだ。
「守ろうとした人間たちに見捨てられるとは、哀れなものだな」
「……それでも戦う!」
セイは終焉ミカに拳を振るうが、いとも簡単にいなされる。
セイの腕を明後日の方向に曲げながら、終焉ミカが尋ねた。
「そんなにこの女が大事か?」
「ああ……大事だね!」
「そうか。では一つ提案をしよう」
終焉ミカは巧みにセイの腕を取り、社交ダンスのような動きでセイを岩壁に追い詰める。
そして触れそうな距離まで顔を近づけて、思いもよらないことを言い放った。
「我と
「……は?」
あまりにも突飛な発言に、セイは思わず気の抜けた声を出す。
終焉ミカは至って真剣に語った。
「別におかしな話でもあるまい。我らは謂わば一対の存在なのだから、その立場を明確にするというだけのことだ。……それに、貴様も悪い気はしないだろう?」
終焉ミカが残酷に口元を歪める。
次の瞬間、彼女はミカそのものの穏やかな表情で微笑んだ。
「我の気が向けば、ミカの『ふり』ぐらいはしてやる。ねっ、セイ?」
上辺だけを真似た終焉ミカを拒絶しようとするセイの脳裏に、ミカとの記憶が蘇る。
思えばセイも、長らく自分を偽ってきた。
その報いならば仕方ないと、セイの心の脆い部分が顔を出す。
セイがセイである限りどうしようもなく付き纏う弱点を、終焉ミカは容赦なく抱き潰した。
「ハハハハ……結婚しようよ、セイ!」
滅びた世界の中心で、歪んだ愛が弾ける。
セイが、そしてこの星に生きる人間たちが、最大最後の決断を下そうとしていた。