アレックスは首都の賑やかな通りを歩いていた。手をポケットに入れ、仮面で顔を隠しながら、ギルドでの会話を思い返していた。しかし、それ以上に、彼はある決断を下していた。—— 誰にも知らせずに、探索に出ること。
避けたかったわけではない。ただ、アリアの監視、セレナの冗談、エミのコメントから離れ、静かに考える時間が欲しかったのだ。
「ちょっとした小旅行だ、大したことはない」
そう自分に言い聞かせ、装備を確認する。
アリアからもらった魔法のカプセルのおかげで、冒険者の装備、短剣、最低限の食料を持ち歩くことができた。戦うつもりはなかった。ただ、少し探索するだけ。
首都にはいくつかの出口があったが、アレックスは目立たぬように人通りの少ない門を選んだ。装備を見た衛兵たちは彼を冒険者と判断し、特に質問もせず通してくれた。
首都を出ると、景色は一変した。
石畳の道はやがて土の小道となり、周囲には広がる草原と小高い丘が見えた。澄んだ空気が心地よく、彼の心を軽くした。
「思ったより悪くないな」
アレックスは、最近噂になっていた魔力異常の発生地点の一つへ向かうことにした。
数時間歩いた頃、彼は異変に気づいた。
「…急に寒くなった?」
深い森ではなかったが、異常なほど気温が低下していた。冷たい風と静寂が、嫌な予感を呼び起こす。
引き返そうかと考えた瞬間、誰かの気配を感じた。
木々の間に、一人のフードを被った人物が立っていた。
アレックスは即座に短剣へと手を伸ばす。
「…誰だ?」
相手は沈黙したまま一歩前に出た。光が差し込み、その顔の一部が露わになる。
青白い髪と、氷のように冷たい瞳。
「…お前か…」
女性は驚いたように呟いた。
「ここにいるべきではない」
アレックスは眉をひそめる。
「なぜだ?」
彼女は静かに剣を抜き、構えを取る。
「ここは…単なる冒険者の来る場所ではない」
アレックスはため息をつく。
「話し合いで済む相手じゃなさそうだな」
次の瞬間、彼女は影のように横を駆け抜けた。
襲いかかる怪物
「…?」
突然、耳をつんざくような叫び声が響く。
振り返ると、巨大な蛇のような怪物が地面に崩れ落ちていた。
狼の頭を持ち、筋肉質な四肢と鋭い爪を備えた異形の獣。
(こいつ…気配を完全に消していた…!)
「一人なら、もう死んでいたぞ」
女性は血の滴る刀を軽く振り、鞘に収めた。
アレックスは彼女を警戒しながらも、短く言った。
「…助かった」
「別に、お前を助けるつもりはなかった」
冷たく言い放つ彼女。
「このあたりでは、こういう魔物が増えている」
アレックスは目を細める。
「どういう意味だ?」
彼女は静かにため息をついた。
「もし何も知らずにここへ来たなら、お前は部外者だ」
張り詰める空気。
「お前は誰だ?」
アレックスは短剣を握り直し、慎重に尋ねた。
女性はしばし沈黙し、まるで彼を見極めるかのように視線を向ける。
そして、無表情のまま答えた。
「…私はキヨミ」
その名前を聞いた瞬間、アレックスはなぜか寒気を感じた。
どこかで聞いたことがある気がする。しかし、思い出せない。
"英雄"への疑念
キヨミはじっとアレックスを見つめると、静かに問いかけた。
「…お前も、"英雄"の一人か?」
その言葉に、アレックスは不快そうに顔をしかめた。
「そう呼ばれるのは好きじゃない」
キヨミは目を細め、その反応を観察する。
彼女の口調には、まるで「英雄」という言葉に嫌悪を抱いているかのような響きがあった。
「…なら、お前は敵ではないかもしれない」
「もし敵だったら?」
キヨミは微かに微笑んだ。だが、それは友好的な笑みではなかった。
「その時は…お前が困るだけだ」
言葉に潜む鋭い殺気。
襲いくる影
その時——
森の奥から、不気味な唸り声が響いた。
アレックスの背筋に悪寒が走る。
——二人は、囲まれていた。
キヨミはゆっくりと刀を抜き、鋭い眼差しで周囲を見渡す。
「…まだ、終わりじゃないようだな」
アレックスは短剣を構え、深く息をつく。
彼の小さな息抜きは、思いもよらぬ戦いへと変わろうとしていた。
—六…いや、七匹。そして、一匹は他のよりも大きい。
アレックスは眉をひそめた。彼女は見もせずにそれを感じ取れるのか?
—生き延びたいなら、私の後ろにいなさい。
アレックスは鼻を鳴らした。
—戦えるさ。
キヨミは横目で彼を見たが、疑わしげな表情を浮かべるだけで何も言わなかった。
張り詰めた空気がさらに重くなる。
そして、木々の影がうごめき始めた。
ーーシュッ!
茂みの中から一斉に飛び出す獣たち。
それらは先ほどキヨミが斬ったものと同じ、狼の頭を持つ蛇のような怪物だった。
しかし、その中でも一際大きな個体がいた。
体は傷だらけで、頭の中央に光る一つの目が鋭く輝いている。
—面倒ね…
キヨミは冷めた声でつぶやいた。
群れのリーダーが咆哮を上げ、戦闘の合図を送る。
そして、混沌が幕を開けた。
二匹の怪物が猛スピードでキヨミに襲いかかる。
だが、彼女は瞬時に反応した。
シュバッ!
一閃。
それだけで二匹の怪物が空中で真っ二つになり、地面に転がる。
アレックスも負けてはいない。
一匹が飛びかかってきたが、咄嗟に横へ転がり、持っていた短剣をその喉元に突き刺した。
黒い血がマントに飛び散る。
さらに、素早く距離を取り、ベルトからもう一本の短剣を取り出し、それを狙いすましたように別の怪物の目に投げつけた。
ーーグギャアア!
鋭い悲鳴を上げ、怪物がのたうち回る。
だが、その間も群れのリーダーは動かない。
キヨミは次々と敵を斬り伏せながら冷静に言った。
—あの一番大きいの、私たちの様子を見ている。私たちが疲れるのを待っているのよ。
アレックスはその巨体を見つめ、背筋に冷たいものが走った。
その目には知性が宿っていた。まるで戦況を分析しているかのように。
—なら、その前に仕留めるしかないな。
キヨミは薄く笑った。
—いい判断ね…でも、あなたに届くかしら?
アレックスも笑みを浮かべる。
—試してみるか?
次の瞬間、アレックスの姿がかき消えた。
風を切る音が響く。
リーダーの怪物は鋭く目を光らせ、迫り来る人間を見据えたが、恐れはなかった。
ーー以前、人間を甘く見た。
だが、今度は違う。