私は随時募集の港大学予防医療クリニックの面接に来ていた。
ここは港大学病院に併設した人間ドックや健康診断をするクリニック。
割と大手の企業もこちらに健康診断を委託していたりする。
私は特に医療資格を持っていた訳ではないが、人材不足のようで直ぐに採用になった。
求人を随時募集するような勤め先は基本離職率が高い。
今回、『別れさせ屋』に依頼して来たのは、こちらのクリニックで週二回勤務しているという内科医の笠井慎太郎。
週に三回は隣の港大学病院で勤務しているらしいが、そちらはバイトを募集していなかった。
「明日から、勤務できる? これ、前に辞めた人の制服だけどサイズ合うかな」
面接をしてくれた眼鏡の男性は事務員らしい。それにしても、クリーニングのカバーも掛かってないような前任者の制服を渡してくるとは、医療機関としては完全アウト。
「明日からで大丈夫です。マニュアルを頂ければ、明日まで業務を覚えておきます」
制服を受け取りながら営業スマイルを浮かべる。明日はちょうど笠井慎太郎の勤務日で彼とトラブルがある瀬川真澄が健康診断に来る日。彼の話では、デパートガール瀬川真澄が昨年会社の検診でこちらを訪れた際に関係を持ったらしい。いわゆる内診を行う小部屋での出来事。それだけで、笠井慎太郎と瀬川真澄が如何にまずい人間か分かる。一回限りと思っていたが、瀬川真澄は関係を継続することを希望。笠井慎太郎はこの一年彼女に関係を暴露すると脅されるまま(?)に関係を続けたらしい。そして、明日彼女がまた健康診断で彼の勤務先に来る。彼は藁をも掴む思いで『別れさせ屋』に駆け込んできたというわけだ。ちなみに、笠井慎太郎の相談を受けたのはマリアさん。吐き気に耐えるように、私に資料を渡してきた。
(嫌な予感しかない⋯⋯)
私は『別れさせ屋』の山田真希ではなく、事務員の山田真希として彼に接触するつもりだ。なぜならば、私は当然ながら依頼主の笠井慎太郎自身に問題を感じている。
職場、しかも病院で、初対面の患者と行為に及ぶ。その情報だけで、まともな人間ではないことが分かる。
「いやいや、ご案内係なんて大した業務じゃないから、他のパートさんから教わって」
この職場は非常に問題がある。おそらく、マニュアルさえ存在していない。パートが口伝いに仕事を教えさせているということだ。
「分かりました」
「あぁ、それと契約書類、大学病院の方に置いて来ちゃったから、明日の勤務後とかで良い?」
「構いませんよ」
この職場のヤバさが既に見えて来ている。以前の私なら、こんなクリニック潰れてしまえとネガティブポイントを集めに掛かった。
私は『月の光こども園』を廃園に追い遣ったのを思い出していた。どうして私はあそこまでしたのだろう。
社会の歪みを正す? 私自身が社会の歪みなのに、何様のつもりだ。
今思うと、あんな腐ったこども園でもなくなって困った人はいたはず。性善説の坊ちゃんと暮らしているせいか、私は歪んだ世界に牙を剥く山田真希ではなくなってきていた。
翌日、勤務初日。
朝、言われた通り7時半という早い時間に出勤すると、紺の制服を着たアラフィフくらいの白髪混じりの女性が待ち構えていた。
「今日から、宜しくね。山田さん。パートの田辺小百合と申します」
「よろしくお願いします」
彼女は恐らく長くここで勤めるパート。
不満を感じても淡々と働くタイプの人間。
「こっちが更衣室、案内するわね」
私は田辺さんに連れられるがままに更衣室に向かう。
「ここでタイムカードを押す。時給制だからね」
私はタイムカードを渡され、機械に通す。
ガシャン、という昔っぽい音。このような方式を採用している場所がまだあった事に驚く。
「ここが、更衣室。山田さんはこのロッカーを使って。着替えたら、顧客が来る前に人間ドックを受けてみない? バイトでも年に一度は無料で受けれるの。お得な職場でしょ」
田辺さんの目には私を繋ぎ止めたいという気持ちを感じた。
ここは入れ替わりの早い職場なのだろう。
「ありがとうございます。人間ドック受けてみます」
とりあえず、流れに任せてみる事にした。人間ドックの最後には内診がある。依頼者である笠井慎太郎にも会えるだろう。
紺色のブレザーの制服に膝丈のスカート。商社は制服がなかったし、このような服を着るのは久しぶりだ。
「私がご案内係のお手本を見せるね。私を見て学んでくれる? ちなみにアクセサリーや時計は外してもらってね」
「了解しました」
「では、こちらに上がってください。身長、体重一度に測れます」
私は田辺さんの指示に従い、身長計に乗る。
「身長と体重はこちらになります」
田辺さんが身長計から出てきた紙を見せてきた。
「⋯⋯はぁ」
私は自分がまた痩せたことに溜息を吐く。