「では、最後は内診です。このソファーで呼ばれるまでお待ちください」
「医者だけは自分のタイミングで患者を呼ぶんですね」
田辺さんの言葉に何気なく投げ掛けた疑問。
「そういえば、そうですね。でも、医者って病院の王様だから仕方ないんじゃないですかね」
田辺さんの言う通りだ。病院で働く人の中で人々は医者だけを先生と呼ぶ。採血もレントゲンも私は待たずに案内された。
でも、最後のドクターのする内診だけは医者のタイミング。
立ち位置が既に患者より上。
「山田さん。第一診療室にお入りください」
わざわざ、マイクで放送を入れる滑稽さ。
私がガラッと扉を開けるとパッと液晶画面が切り替わったのがわかった。
「内科医の笠井慎太郎です。では、心臓の音からお聞きしますね。シャツを脱いでください」
若干息づかいの荒い笠井ドクター。髪も薄いし、いかにも性欲が強そうだ。
「今の聴診器って薄手のシャツの上からでも十分、音拾えますよね」
私の言葉に驚いている笠井ドクターに畳み掛ける。
「さっきまで、そこのスクリーンでエロ動画見てましたよね」
「なっ」
一瞬映った卑猥な画像を私は見逃さなかった。
「いや、今日から働く子だよね。今、一応業務時間外で業務時間に俺が何をしていても、俺の勝手というか⋯⋯」
「成る程、確かに株取引をしようが、ゲームをしようが勝手ですね」
私の対応に安心したように笠井慎太郎が頷く。
「それでね、心臓の音。ちゃんと聞くためには、下着もとって直に聴診器を当てたいんだ⋯⋯」
眼前のはぁはぁ言っているドクター笠井の怪しさに気が付かない人間はいるのだろうか?
よくこんな人間を内診に回したものだ。
「笠井慎太郎さん。私、『別れさせ屋』の山田真希と申します」
私の言葉に彼は目を輝かせる。
「何? 急に連絡とれなくなって、やっぱ怪しいのと関わったと後悔してたけれどちゃんと来てくれたの? 今日、例のストーカーが来るんだよ。職場で暴れないように助けてくれよ」
(怪しい団体⋯⋯)
私から見れば、笠井慎太郎も社会的身分があるだけで十分怪しい。
「例のストーカーとはデパートガールの瀬川真澄ですよね」
「そうなんだよ。墨田百貨店の他の従業員が今日は一緒だから何もしないとは思うんだけどさ。本当に困ってるんだ。たった、一回セックスしただけで、離婚しろだの言われてさ」
「そのたった一回は、ここでなさったんですよね。職場ですよ。引き戸を開ければ他の人もいるのに⋯⋯」
私の言葉に笠井慎太郎がニヤリと笑う。
「興奮したな。外には沢山患者さんもいるのにさ。お互い良い思いしたのに、俺だけ責められるのっておかしいと思わない?」
「思いません。瀬川さんが、貴方から強引にヤラれたと言えば全てを失うのは貴方だけです」
ここには当然だが防犯カメラもない。
2人きりの空間で起きた、2人のことの真実なんて誰にも分からない。ただ、こういった性的な事の場合は、受け身側の女性の意見が信じられやすい。
「もう、本当に最悪だよ。別になんてことない女だったのに。誘ってきたのあっちだから、胸突き出してさ」
「ご自分が間違った行動をした自覚があありなら、これ以上女性側を責めない方が身の為ですよ」
呆れたようにため息をつく彼に、私の方が呆れたい。
駐車場の中の社用車で不倫したなどの話は聞くが、ドクターがクリニックの個室で患者に手を出すなど前代未聞。
「そもそも、患者に手を出してはいけません。大事になる前に、医師をお辞めになったらいかがですか?」
「そんな簡単な問題じゃない。俺がどれだけ苦労して医師になったと思ってるんだ。金だってかかるし、普通の人間は医師なんてなれないんだぞ!」
確かに患者に手をだす彼は普通ではない。そして本当に偉そうだ。
先生ともてはやされ続けると、ここまで痛い人間になるのかと呆れてしまう。
まず、医師である前に人としてやってはいけない事を彼はしている。
「あんなアラフォーのババアに手を出しただけで俺は全てを失うのか?! どうせなら、アンタみたいな若い子に手を出せばよかったよ」
「発言にもう少し気をつけないと、遅かれ早かれ貴方は全てを失いますよ」
笠井慎太郎は52歳。自分より10歳も年下の女性に手を出して、ババア呼ばわり。男とはどうして、こうも女の若さに拘り平気で自分を棚に上げて見下すのかと呆れる。
「今、出来ることは、誠心誠意、瀬川真澄に謝ることです。慰謝料もしっかり払ってください」
「はぁ? じゃあ、お前は何をやるんだよ。しっかり『別れさせ屋』の仕事しろよ。手段を選ばず瀬川真澄を半殺しにでもして脅して黙らせてくれよ」
私は思わず頭を抱えたくなった。笠井慎太郎は私たち『別れさせ屋』を半グレ集団と勘違いしている。
「そこまで、慰謝料を払いたくない理由が?」
「瀬川真澄が求めてるのは金じゃない。医師の妻の座だ」
人が求めているものはそれぞれ。私がそれを一番よく知っていた。