私が部屋に戻ると、丁度同じタイミングで聡さんが帰ってきた。
彼は私にGPSをつけて位置確認をしているから、私の帰るタイミングに合わせたのだろう。
彼だって本業が忙しいのに、私の生活に合わせようとしてくる。
あまり気を遣われるぎると、そんな無理がいつまで続くのかと心配になる。
ある日突然、私の面倒さに気がつき離れて行きそうだ。
「聡さん、めちゃくちゃ美味しいキッシュを頂いたんで食べましょう」
私はキッチンに行き、キッシュに合うようなミネストローネとニース風サラダを作る。
(ちょっと、朝食みたいになっちゃったかも)
「美味しそう。豆沢山だな。俺、ミネストローネ大好き」
気がつけば、聡さんはスーツから部屋着に着替え私の後ろに立っていた。
「聡さん、好き嫌いとかあるんですか? ちなみに一番好きなものは?」
なんでも美味しそうに食べている印象がある彼。私は手をマイク型にして、彼の口元に突き出す。
こんな事を聞いても、この同居生活がいつまで続くかは不透明。でも、居心地が良くてこの生活を失いたくない。
「一番好きなのは、おま⋯⋯おでんかな」
聡さんがしどろもどろになっている。
恐らく彼の口説きモードのスイッチが自然と入ってしまい、「一番好きなのはお前」と言いそうになったのだろう。
「おでんで一番好きな具は?」
「おたまご!」
動揺が隠せないのか玉子に「お」をつけてしまっている聡さんが可愛い。私は笑いを堪えながら、テーブルに料理を運んだ。
「いただきます」
聡さんと向かい合って手を合わせて食事をする。
私は家族を得たような錯覚に陥っていた。
「このキッシュ、本当に美味しい。どこの店の?」
「今日の依頼者の服部百合子さんの手作りです」
「前の上司の妻だよな。料理の腕、エグいな」
「離婚して士業に復帰するようですよ。聡さん同業者です」
「そうなんだ。えっと、浮気相手と別れさせて夫婦再構築したい方じゃなかった?」
聡さんの疑問はもっともだ。私は『別れさせ屋』として依頼を受けたのに、いつの間にか違う仕事をしてしまっている。
ハニートラップは掛けられないと言い訳をして、私怨のままにターゲットを社会的に抹殺していた私はどこにいったのか。
「百合子さんは、夫の裏切りを許せなかったようです。再構築なんてできませんよ。辛い記憶が邪魔するから」
百合子さんは私と同じように忘却の救いがないと聞いた。それが、どれだけ辛いことか私は知ってる。
「俺が真希の辛い記憶を上書きしたい」
聡さんが私の頬に触れて涙を拭ってくる。私はいつからこんなに涙脆い人間になったのだろう。もっと、心を殺すのが上手かったはずだ。
「今は百合子さんの話をしてるんですよ。弁護士として独立したら、私を雇ってくれるみたいです」
「そうなの? 他の弁護士事務所で働くくらいなら、俺の事務所で働いて!」
「お断りします。一緒に暮らしてるのに、仕事も一緒だとメリハリがなくなりますよ」
私の言葉に聡さんが残念そうにしている。
私は聡さんと一緒にいられる生活に温かさと居心地の良さを感じている。
彼と職場まで一緒になったら、一緒にいる時間が多くなって飽きられるのが早くなる気がする。
「真希、変わったな。以前の真希なら俺と一緒に働いてって言ったら、無言で顔を顰めていた」
「そんな感じ悪かったですか?」
「感じ悪いというか、俺を突き放そうとしているのはわかったよ」
聡さんの言う通りだ。私は最初は女として彼に求められているのが分かり、それが気持ち悪かった。
最近、居心地が良いのは聡さんが気を遣って、友達に接するように私と一緒にいるからだ。
「変わらない人なんていませんよ」
私の言葉に聡さんが目を輝かす。私はその表情に不安になった。確かに私は変わったが、それでも彼が望むように彼の前で女にはなれない。
「ミネストローネも美味しい。真希と結婚できる男は幸せだな」
「温かいうちに食べてください」
家族を望んで結婚を求めた。
それでも、私みたいな問題を抱えた女と結婚して幸せになれるとは思えない。幸せなのは聡さんのような優しい人と結婚できる女だ。
「今日で、『別れさせ屋』の仕事は終わりにして良いんだよな」
私は聡さんの言葉に大きく頷いた。