真希に案内された寺の大仏殿の台座には地獄・極楽めぐりがあった。
手すりをたよりに地獄絵巻のレリーフを見て歩く。
貸切状態で穴場だが、お化け屋敷よりずっと怖い。
「通路、真っ暗だな」
「手を繋ぎましょうか」
俺は思いもよらぬ真希の申し出に嬉しくなり、彼女の手を繋いだ。
驚く程ひんやりした彼女の手。
「真希、怖いの?」
「全く。地獄を見ておけば、川上陽菜への恐怖が薄れると思いましたが大した事ないですね」
俺は川上陽菜がかなりヤバイ女だということだけは理解した。
なぜならば、この地獄・極楽めぐりはかなり怖い。
極楽要素はどこにあるんだというくらい、暗い空間に様々な地獄絵図が展示される。
真希は一つの絵の前で立ち止まった。
『賽の河原』という、親より先に死んだ子が親不孝として罰を受けている絵だ。
母親を胎内にいた時、十月十日苦しめた上に親孝行もせずに死んだ罪。
親兄弟の供養になると言われて石を積み上げても、鬼が壊しにくる。
「子供達、随分楽しそうですよね。私と晴香ちゃんもこんな感じに遊んでました」
真希に言われて絵をよく見てみると、子供達は非常に楽しそうに鬼ごっこをしたり、石積みをしている。
「晴香ちゃん?」
「川上陽菜の娘で、私の父と結婚した子です。私とは保育園で同じクラスでした」
「雨のお姉ちゃんか」
「私も親の不倫を知っていましたが、晴香ちゃんも知っていたと思います。晴香ちゃんが父の事を好きな訳ないんです。でも、父と結婚したのはどうしてなのかずっと考えています」
「自分の親くらいの年齢なんて、おっさんだもんな」
「まあ、それもありますけれど、晴香ちゃんはいつも私の父を睨んでました。自分の家庭を壊す人、母親を奪った人として敵と認識していたんだと思います」
「今、自分よりも晴香ちゃんの方が悲惨だったんじゃないかって思ってる?」
真希は俺の言葉にハッとしたような顔をした。言わない方が良かったかもしれないと後悔する。
「私、晴香ちゃんに同情している訳じゃないですよ。捨てられた私より、晴香ちゃんの方が不幸だと少し安心するだけです」
いつも笑顔の真希が明らかに心のドロドロを見せて来ている。
「自分はこんな汚い事を考えてますけれど、それでも私が好きですか?」と言って俺を引き離そうとしているように見えるのは気のせいだろうか。
実際に、晴香さんや真希の父親とあった事はない。
それでも、晴香さんが親子程、歳の離れた真希の父親と恋に落ちた確率より、迫られて生きる為に拒めなかった可能性が高いのは分かる。
彼女の母親は川上陽菜。雨を捨てた事やマリアを脅したかもしれない事から考えても、自分の娘が困っていて手を差し伸べるようなまともな親ではない。
「晴香ちゃんが真希みたいにトラウマ持ちだったら地獄だな」
「トラウマ持ち⋯⋯私って聡さんから見てもトラウマ持ちなんですね。そんな面倒な相手に関わるのはなぜですか? 分かりやすく地雷女ですよ」
「人として真希が好きだから。一緒にいて楽しいから一緒にいるだけだよ」
真希は俺の言葉に困ったような顔をして、そのまま先に行こうとする。
手は繋がれたままだから、俺もついていった。
暗い道を抜けて、外に出たところで真希がするりと俺から手を離して振り向く。
「ここでお別れしましょう。このまま別れた方が綺麗に別れられる気がします」
原裕司には固執した真希が、俺とはしきりに距離をとろうとする。
(その理由は⋯⋯一体何なのか)
自分でもポジティブ思考だとは思うが、「好きな人には暗部を見られたくない」という事な気がする。
「真希も俺の事が好きなんじゃないのか?」
「はぁ?」
真希は俺の言葉に心底驚いたような顔をした。
「もう、いいです。気が済むまで着いて来てください」
後ろを向いた時、耳まで真っ赤になっている真希が可愛い。
多分、真希の「好き」の種類は俺とは違う。
それでも全く構わない。
「そうか、やっぱり真希も俺も好きなのか。一緒にいて楽しいのは俺だけじゃないって気が付いてたんだ」
「どういう育ち方したら、そんなに自己肯定感が高くなるんですか? 羨ましいです。聡さんって自分大好きですよね」
真希の言い方だと、彼女は自分が嫌い。
ならば、俺の言うべき事はただ一つ。
俺が真希を自分のことが大好きな人間にする。
「こんなカッコよくて良い男に好かれていると自己肯定感上がらない?」
「聡さんみたいに自意識過剰な人にはなりたくないです。自分を客観的に見られなくなったらおしまいですから」
言っている言葉は冷たいが声色は優しい。
しかも、真希も自分を客観的には見られていない。
見た目の事を指摘すると彼女が嫌がるから言えないが、彼女は非常に可愛い。
それなのに、自分は醜いと思い込んでいる。
女受けよりは、男受けする小動物系の見た目。
だから、俺は福岡の歓楽街の次は札幌の歓楽街に乗り込もうとしている彼女が心配。
本当は仕事をドタキャンして彼女について来てしまっていて、非常にまずい状態だが危なかっし過ぎて一人では行かせられない。
これは誰かにそう言われた言葉が心の奥に刺さっているからだろう。
トラウマと生きづらさを抱える彼女は自分を面倒だと感じているが、関わっている俺は全く面倒とは思っていない。
むしろアセクシャルのことも先に教えてくれていたら、間違ったアプローチをして彼女を悩ませる事がなかった。
彼女の洞察力は鋭いは確かだ。
しかし、人の気持ちを勝手に推測して誤解している部分も多く、実は結構勘違いしている。
「真希はめちゃくちゃ可愛いし、一緒にいて面倒だなんて一度も思った事はない」と言ってやりたいが、どうせ気を遣って嘘を言っているとまた勘違いする。
「なんか言いたい事があるなら言ってください」
真希が少しむすっとしながら言ってきた。
「なんか食べに行く? 有名な水炊きのお店がこの近くにあった気がするんだけど」
「予約がないと入れませんよ」
「ランチなのに?」
「ランチでもです。今、聡さんが思い浮かべている該当店のランチ予約は本日満席。既に調査済みです。さあ、空港に向かいますよ」
真希と一緒にいると、何だか自分が「要領の悪いモテない男」になったような錯覚に陥る。
今までモテまくってきた人生に置いて非常に新鮮だ。
「札幌って、博多からどうやって行くの? 羽田乗り換え?」
「直行便で行けます?」
「博多から札幌に直行便? そんな便あるの?」
「二時間半で到着しますよ。イッツアスモールワールド。世界は狭いです。だから、悪い事はできないって川上陽菜に教えてやりましょ!」
世界が狭かろうが、広かろうが悪い事はしてはいけないと突っ込みたかったが、少し元気を失っていた彼女が気持ちを持ち直したようだったので黙っておいた。