「寒い! まだ冬じゃないのに」
真希は新千歳空港に着いた途端震え上がっていた。
俺は彼女に自分のジャケットを被せる。
「聡さんは寒くないんですか?」
「俺は大丈夫。鍛えてるから」
「体脂肪率、低い方が寒いはずですよ」
真希が俺の腕を何度か絞るように掴んできて、うっすらと笑う。
本当は同じ国とは思えないくらいアホみたいに寒いと感じている。
北海道出身の友達が、東京はあったかいと冬にコートも着ないでジャケット姿だったが強がりではなく本当だったようだ。
真希が寒がっていて俺のジャケットであったまってくれるなら、心はほっこり温かい。彼女とは会って半年も経ってないのに、俺にとって彼女は特別。自分より大切な誰かと出会える事があると教えてくれた女性。
「本当にあったかい。聡さんのジャケット、気密性バッチリですね。とりあえずコンビニでホッカイロ買ってから出陣しましょ」
俺の痩せ我慢は彼女にバレていたようで、彼女がホッカイロを買うなり俺のジャケットにカイロを仕込んで返してきた。
彼女が気を遣わなくて良い存在になりたいのに、また気を遣わせてしまった。
「川上陽菜を網走刑務所に入れられるといいな」
「もう、網走刑務所は観光地になってますよ。修学旅行で行きませんでしたか?」
「俺、修学旅行はロンパリローマだったから」
俺の返答に「セレブですねー」と揶揄うように彼女が笑う。
俺は彼女の笑顔を守りたいと強く願った。
ススキノにつくなり、真希は俺の肩にもたれかかるように静かに甘えてくるようになった。
昼間のススキノはいかにもここは夜の街だと示すように、人が少ない。
地面に散らばった風俗店のチラシが落ち葉と共に風で舞うのが見えた。
「夜のK点越えですって。看板1つとっても地域性があって面白いですね」
「本当にくだらないな」
俺は彼女が欲望に溢れる街にいるだけで傷つく気がして、居た堪れなくなっていた。
「聡さん。そんなに気を遣わないでください。私、結構強い子ですよ」
真希が小首を傾げながら俺に笑いかけるので、俺もそれに合わせて笑顔を返した。
「あの店だな」
全焼して周囲の店にまで被害を及ばせた真希の父親が死んだ店の前まで来た。
「昼間来ても、あまり意味ない場所ですね。出直しましょうか」
泣きそうな顔をしているのに笑顔を作る彼女に胸が締め付けられる。俺の前で泣いて欲しいのに、気丈な彼女は絶対にそんな事はしない。
「そうだな。どこか観光でもする?」
「私、いっぱい行きたい所あるんですけど、良いですか?」
「もちろん」
正直、真希は川上陽菜のことで頭がいっぱいなのかと思っていた。それなのに、予想外の提案。
「先に今日の宿泊先、決めた方が良いですね。今日は札幌で某アイドルの5大ドームツアーがあるらしいです。元々、ホテルの少ない土地なので札幌宿泊は諦めましょう。小樽のホテルを探しませんか?」
「小樽?」
「実は行ってみたい水族館もあるんです」
真希が戸惑ったような顔で告げてくる。自分の願望を告げるのを躊躇うように⋯⋯。彼女はいつも自分が役に立たなければならないと考えていて、利益のある事をしようとする節がある。そんな彼女が行ってみたい場所。絶対に連れて行くに決まっている。水族館に行きたいとか可愛過ぎる。
「見つけました! このホテル予約しても良いですか? 水族館からも近いですし」
「もちろん」
俺が真希の可愛さに悶えていた時、彼女はスマホで調べ物をしていた。今まで、「お魚かわいー」「動物かわいー」「赤ちゃんかわいー」と言いながら自分の可愛さを強調する女は経験済み。真希は違う。そもそも、彼女は可愛いのに自分を醜いと思っている。
「真希は福岡も札幌も随分詳しいんだな。もしかして、旅行好き?」
「旅行は贅沢品ですよ。私のような貧乏人がするものではありません」
親に捨てられた彼女に俺はどうしてこんな無遠慮な質問が出来たのだろう。自分の浅はかさを鑑みると反省しかない。
「福岡は私の母が逃げた場所。札幌は父が逃げた場所なんです。私、いつか自分が呼び寄せられるんじゃって夢見ちゃってたんです。だから、色々調べてて⋯⋯馬鹿ですよね。捨てられている時点で望みなんてないのに⋯⋯」
真希が今初めて、俺の前で弱みを見せてくれている。彼女を抱きしめて、これからは俺がいるから大丈夫だと告げたい。俺がどんなことがあっても彼女を守ると言いたいのに彼女の反応が怖くて言えない。俺は人として真希が好きだが、女としての彼女を愛している。敏感な彼女は当然のようにそれに気が付いていて、俺の好意は彼女にとって不快。
「俺は色々詳しいガイドさん付きの観光ができてありがたいけどね」
俺の言葉に真希が柔らかく微笑む。きっと俺は正解の回答を導き出した。彼女の負担にならない、自分の好意を隠せる回答。
真希の予約してくれた小樽のホテル。夕食もついているプランだったが、予想外に料理がうまかった。
「フレンチ? 小樽でフレンチ?」
「小樽といえばニシンですが、このホテルはフランス料理が評判です」
北海道といえば海鮮で勝負しているという俺の固定観念は崩れ去った。そんな俺を楽しそうに真希が見ている。彼女が楽しそうにしているだけで、これ以上にない幸せを感じる。
「今日、花火大会があって屋上から見られるらしいですよ」
「花火大会? よくそれで部屋が空いてたな」
感覚的に花火大会の日は周辺ホテルは割増料金でも埋まる。
「奇跡だな」
「奇跡か⋯⋯きっと、私と雨くんが再会できたのも奇跡ですよね」
真希が言っている話の意味は理解できた。幼少期に別れた腹違いの弟との再会。真希は襲われたと思ってないようだが、俺は彼が真希を襲ったように見えていた。
『別れさせ屋』で多くの女に関わってきた雨だからこそ、真希の特別さに気が付く。姉弟とはいえ腹違いで、一緒に生活していた訳でもない。雨は真希をどう思っているのか考えるだけで気が狂いそうになる。