「このフレンチ美味しいな」
自分の動揺を隠すような言葉に真希が笑う。
「星一つも持ってないですよ。でも、凄く美味しい」
真希がまっすぐ俺を見つめてくる。レストランを評価する星の数に動かされる大衆。俺もその一人だった。でも、確かに今この食事が今まで食べたどのフレンチよりも美味しい。
それは一緒に食事する真希のせいでもある。真希も俺の元に持って来られた皆が称賛する令嬢ではない。家庭に問題を抱えている子で、俺をはじめとする男から見れば独特な雰囲気に取り込まれるような子。それでも、大衆が美人と持て囃すようなタイプではない。
「屋上に行きましょうか。そろそろ、花火の時間です」
真希が柔らかく微笑む。彼女が一時でも川上陽菜の事を忘れて今を楽しんでくれているようで嬉しい。
「本当に美味しかったな」
真希が俺の腕にまた絡みついてくる。「花火よりも君が欲しい」俺は必死に自分に沸き起こる衝動を抑えた。彼女が俺にくっついてくるのは女が男に媚びているのとは明らかに違う。本当に子供が甘えるように人の温もりを求めている。俺も人として彼女が好きだから、情欲を隠して彼女に触れる。
「あったかい。北海道って憧れてたけど、住むには寒過ぎですね」
「でも、真希といるとあったかい」
気持ち悪い事を言ってしまったかもしれない。しかし、気持ちのままに言葉を紡げば「俺と一緒にあったまるか」と言っていた。必死に抱きしめたくなるのを耐えて屋上までの階段を歩く。エレベーターではなく、最後は階段。いつもは「これだから地方は⋯⋯」と毒つくが今はこの時間が愛おしい。一歩一歩踏みしめながら上った先で彼女と花火を見る。花火など見飽きているのに、彼女と見る花火は絶対に違う
「いつも以下⋯⋯」
俺は上がる花火を見つめながら、思わず呟いた。花火をちょっと上げる間に、提供の放送が入る。このような花火は見たことがない。
「花火って、高価な贅沢品ですよ。提供してくれる企業に感謝してはどうですか?」
俺の心を見透かすように彼女が言ってくる。
「そうだな。こんな特別な時を作ってくれた地方企業に感謝」
「めちゃ、嫌味な大企業御曹司ですね」
呆れたような顔の真希を恐る恐る抱き寄せた。寒いから、これくらいは許してくれるはず。俺は本当に彼女が好きで一緒にいたい。彼女を傷つける全てのものから守りたい程、彼女を思っている。
「スターマインみたいなのを見たかったですか?」
俺は真希の言葉にゆっくりと首を振った。
「一つ、一つ大切に作った人の顔が見えるような花火だな。そんな花火が見られてよかった」
「そうですか」
真希の見せてくれた花火は、彼女のような花火だ。見落としたら一瞬で終わる。派手に沢山打ち上げて大きな音と華やかさで圧倒する訳ではない。その存在に見入って初めて美しさに気が付く。両親に捨てられた彼女。どうしてこんな懸命に生きる彼女を身もしなかったのか。俺には分からない感覚。
俺は気がつけば、彼女を必要以上に抱き寄せていた。
嫌がられるかと思ったのに、彼女はそのままだった。
翌日、真希が行きたいと言った小樽の水族館に来る。割と普通の水族館だと思ったが、全然違った。
「トドのショーが観たいんです」
「トドはショーなんてできないだろ」
俺の言葉に真希がニヤリと笑う。こういう挑戦的な顔をする彼女も好き。ぼってり太って身動きができないようなトドにショーができるようには思えない。ショーはアシカやイルカのようなスリムな生き物がするものだ。
「できないって決めつけるなんて、ツマラナイ男ですね」
真希が何気なく言った言葉に流石にムカっとくる。生まれてから今までつまらない男などと言われたことは一度もない。
「じゃあ、つまらないショーだったら罰として真希は俺の言うことを一つ聞くんだぞ」
「そういうご趣味の方でしたか」
俺は失言をしたかもしれない。彼女に変態のSだと思われた可能性がある。俺が彼女に願うことは一つ。俺を男として好きになって欲しいという事。彼女にはできない事を願う時点で彼女と一緒にいる資格はない。どうでも良い別の願いを考えた方が良いだろう。
水族館の建物を出ると、既にトドのショーが始まっていた。
「オッーオッー」と雄叫びを上げては高いところから海に飛び込んでいる。あまりに野生的な様子に俺は圧倒されていた。
「聡さん、これが北海道です」
どやっている真希がめちゃくちゃにしたいくらい可愛い。確かにこれは本州では絶対に見られないショーだ。そもそも、実際の海に飛び込ませてしまう大胆な感覚が素敵過ぎる。
「負けました。真希が代わりに俺にお願いある?」
「余市に行きたいです。ウイスキーの工場見学をしたいんですが良いですか?」
真希がおかしい。
彼女は非常に合理的で、生き急いでいるような人だった。
そんな彼女が水族館に行きたいと言った後は、工場見学に行きたいと言っている。