私の手を聡さんが力強く掴んでいる。
引き上げられた私を見て、目の前のおばさんは震えていた。
「復讐、しましょうか。その元旦那に」
「復讐?」
私の言葉に聡さんが目を見開いている。
彼はやっぱり弁護士だ。
依頼人の利益を守ることが全て。
私は違う。
この女性の元旦那が浮気した上に完全勝利宣言したのが許せない。
私は勧善懲悪の世界が欲しい。
「お名前はなんとおっしゃるんですか?」
「杉崎琴子⋯⋯。私の元夫の松前智則を懲らしめてくれるの? お金取るんでしょ?」
「まさか!? ウチのハルトが琴子さんのお心を傷付けた慰謝料と相殺です」
杉崎琴子さんは顔を顰める。
「私、ハルトくんのことは恨んでないの。夢を見させてくれただけ。本当は分かっているのよ。あの子が私に本気じゃなかったって。おばさんのお金目当てなのかなって思ってた」
杉崎琴子さんが顔を手で覆いながら的外れな事を言って泣いている。
雨くんが色恋営業をしたのはお金目当てではないのは確かだ。
ただ『別れさせ屋』としての仕事を全うしようとしただけ。
雨くんが求めているのはお金ではなく温もり。
彼くらいのルックスやトーク力があれば、夜職などもっと稼げる道はあった。
そんなものは性欲や金銭欲など欲に塗れた場所では獲得できない。
いくら稼いでも心は虚しく疲弊していくだけだ。
彼が求めていたのは私と同じ居心地の良い場所だったのだろう。
それゆえに、聡さんやマリアさんといったお育ちの良い人が与えてくれる温るま湯からいつまでも出られなかった。
「そうではありません。ハルトはただ仕事に真面目な子なだけです。杉崎琴子さんが求めているものは、本当はハルトじゃありませんよね」
確かに雨くんはルックスも良いし、母性本能をくすぐる何かがありそうだ。
でも、彼女の本心は一時の仮初の恋に惑わされた自分を認めたくない為にイチャモンをつけれる場所につけに来ただけだ。
「本来なら2年の不倫に対して慰謝料を取れるはずです」
「養育費も取れるかしら?」
「お子さんがいらっしゃるんですか?」
「2歳になったばかりの女の子がいるの。5年続けた不妊治療も諦めてやめたら突然神からの恵みのように授かれた。不妊治療中も妊娠中も慣れない育児で奮闘してた時も浮気されてたのに気がつけなかった」
自重気味に語る杉崎琴子。
雑居ビルの階段を上がっていた人が見える。
私は聡さんに『別れさせ屋』の事務所の扉を開けるように促した。
彼は戸惑ったような顔をしながらも、鍵を開ける。
「杉崎琴子さん、どうぞお座りください」
黒い革張りのソファーに座るように促すと、琴子さんは遠慮がちに座った。
先ほどまで自分が怒鳴り散らしていたのを思い出して急に恥ずかしくなったのだろう。
私が琴子さんの向かいに座ると、私の隣に聡さんが遠慮がちに座った。
「本当は不妊治療なんかしたくなったって言われたんです。智則は、私への気持ちはないから私との子供は欲しくなかったてほざいてます。今は不倫相手が好きで、その子が妊娠したからその子の父親になりたいみたいです」
琴子さんの言葉に私は寒気がした。
既に生まれた自分の子がいるのに、その子には責任を取らず不倫相手の子と家族になる。
「気持ち悪い」
思わず漏れてしまった言葉を続けないように、口をつぐんだ。
私の周辺の状況も悲惨だが杉崎琴子の周りも吐き気がする。
「本当ですよね。結局は若い子の方が良いだけの癖して自分の行動を正当化しているんです。智子って言うんです私達の娘。私と元夫から一文字ずつ取って名前をつけたの。娘の名前を付けた時さえ不倫してたのが信じられなくて」
今時、随分、古風な名前を付ける。
でも、そんな名前をつけたくなるほど、琴子さんにとって夫婦が苦楽を共にして授かった子だという意識があったのだろう。
先程からずっと聡さんの戸惑ったような視線を感じる。
私が今やっているカウンセリングを不必要だと咎めたいのだろう。
私はこの時になってやっと気がついた。
私がやっていた『別れさせ屋』としての仕事は自分と鬱憤を晴らす目的があった。
聡さんから軽蔑されても、私は不倫して人を苦しめといて勝利宣言をした松前智則を懲らしめたい。