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第73話 そんなくだらない理由ではありません。

「違います。そんなくだらない理由ではありません」

「くだらない!?」


 片付けの手を止めて私をまじまじと見る聡さんに価値観の違いを感じる。

でも、結婚したらずっと男と女ではいられないはずだ。


 私はずっと男と女でいたいような両親だったから、苦しい思いをした。

子供がいるのに、異性として見られたいなんて心底気持ち悪い。


「実は、私、原裕司の婚約者として聡さんとお父様とお兄様には挨拶をした事があるんです」

私は正直に今の状況を告げる事にした。


「あっ、そうなんだ。じゃあ、既に顔見知りって事なんだな。それなら、逆に良くないか?」

私は聡さんとの意思疎通がはかれていないようでムズムズした。

意思疎通というより、楽観的な聡さんと最悪の事態を予測して動く私との違い。


「そう、思われるならどうぞ。ただ、お父様が私を認めなくても責めないでください。それは聡さんを心配されての事です」

「うちの父が真希を認めない? そんなことはないと思うけどね。親に認められなくても、俺と一緒になりたいという気持ちはない?」

「ないです。周りに反対されても一緒にいて幸せになった人間知る限りはいません」


 私は逆に私と駆け落ちするような覚悟はあるのかと聞きたかったがやめた。

聡さんも私の両親がダブル不倫の末、駆け落ちした経緯を知っているのでそれ以上は追求しなかった。

色恋沙汰が理解できない私でも私の両親のした事の愚かさと、そこに変わらぬ愛は存在しなかった事は分かる。


 経済的困窮に耐えきれず自殺した私の母。

上手くいかず結局元鞘におさまるも、かつて裏切ったパートナーを許せず殺害した川上陽菜。

何だか、その場の感情に流されて行動しているようにしか見えない。

理性が働かないような動きをした結果、彼らの子供は皆不幸になり彼ら自身も不幸になった。



 ここで水掛け論をすることは無意味。

今更、誰にどう思われようと恨まれようと構わない。

そんな事を思いながらも、私はひとつまみでも残る彼の両親が私を認めてくれる可能性を捨てられてはいなかった。


 明日、心変わりするかもしれない五十嵐聡。

それでも、私が出会った中で一番一緒にいて安心感をくれる人。

だからこそ、今の彼の気持ちに縋りたくなった。


♢♢♢


 それから、5日後。

私は聡さんのご両親だけでなく、面識のあるお兄様とご挨拶をする事になった。


 銀座のフレンチレストランの個室。

私と聡さんの向かいに聡さんのご両親と兄の悟さんが座る。


 前菜の盛り合わせとビシソワーズをサーブされた後も漂う堅苦しい空気。

 ミシュランの星付きだし、おそらくかなり美味しいフレンチ。

それなのに全く味がしない。聡さんと二人で食べた小樽のフレンチは有名店でもないのにとても美味しかった。


 聡さんと食べたものは福岡のビュッフェも、小樽のウニ丼も、札幌のラーメンも全部記憶に残る味。

きっと私の脳が今食べているフレンチの味を舌に残さないように防御している。


 私は五十嵐家に歓迎されていない。この拒絶の空気が息ができないくらい苦しい。

脳裏に蘇るのは、祖父にお金を無心しに来た時に私を一瞥もしないで拒絶した母。

きっと五十嵐家と食事するのはこれが最初で最後になると、私はメイン料理が来る前から感じていた。


「真希さんは、大変な思いをして来たのね辛かったでしょう。でも、そんな中で聡と出会って恋に落ちたのは運命ね」

 下がり眉で私に語り掛けてくる聡さんの母親、美和子さん。


 いかにも苦労知らずのお嬢様として育って、大手企業の社長と既定路線で結婚した専業主婦。

正直に話した私の家庭環境に対して同情したような体を見せているが明らかに引いている。


 社会の上澄しか知らない彼女が泥水と肉欲に塗れた底辺の生活に同情するまではできる。

でも、自分の大切な息子と結婚させて、自分の身内に引き入れるかは別の話なのだろう。



 兄の悟さんが美和子さんの空いたグラスにワインを注ぎ、口を開く。


「山田さん、久しぶりですよね。すみません。記憶に寄ると数ヶ月前まで違う人と婚約してたと思うんだけど何かありましたか?」

 悟さんは弟思いな良いお兄さんなのだろう。

明らかに聞きづらい事を、冷や汗を垂らしながら意を決して尋ねている。


(『別れさせ屋』の事言っても良いのかしら?)

 私が聡さんの方をチラリと見ると、彼は別段困ったことも無いようにスープを啜りながら微笑んできた。


 本当に跡継ぎのプレッシャーもなく、好きな事をやって人に好かれ続けたお坊ちゃんだ。

今、この緊迫した空気を聡さんはあまり感じ取ってはいない。


 大企業の社長である彼の父親と、同じ女性である母親、跡継ぎとしてのプレッシャーと闘ってきた彼の兄は私を見定めるような目つきをしている。

聡さんだけが「好きになった女がいる。結婚する。紹介するから、当然認めるよね」の態度を崩していない。


「すみません。取引先にこんな事を言うのは憚れますが、実は結婚予定だった原裕司が浮気しまして私が別れに応じなかったので『別れさせ屋』を使われました。そこで働いていたのが聡さんです」

私は包み欠かさず現状を話した。


お そらく私に対して疑問を持っている彼らは黙っていても、この後私の調査に乗り出すだろう。

ならば、先に本当のことを話してしまった方が良い。


 聡さんはどのようにこの事態を潜りの抜ける予定だったのだろうか。

私の暴露に心底驚いたような顔をして金魚のように口をパクパクさせていた。


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