美和子さんは私の言葉に一瞬固まると深呼吸した。
「聡はね。昔からモテモテで、女の子が途切れた事がないの。兄の悟みたいにじっくり1人と付き合ったことのない子。だから、山田さんみたいな子をを傷つけてしまう結果になるんじゃないかと心配で⋯⋯」
美和子さんが必死に言葉を選んでくれているのは理解できるが、その言葉はナイフのように私に突き刺さる。
「私のような子」とは何だろう。
親の不倫で傷ついてトラウマ持ちの子?
普通に男女恋愛ができない欠陥品?
親に捨てられたような不幸な子がまた捨てられるのを見てられない?
正直、気を遣ってオブラートに包んで言われる方がキツイ。
「家柄が釣り合わない」とか「孫の顔が見たい」とか本音を言われた方が楽。
でも、お育ちの良い彼女はそんな風な言葉を使わない。
あくまで物腰柔らかくやんわりとした断り方をしてくる。
「お母様が心配なさらなくても、私は自分から聡さんと離れます」
「でも、あの子、山田さんに随分ご執心みたいだし。こんな風に「結婚したい人」を連れて来たのは初めてなのよ。多分、そんなに簡単には諦めないと思うの」
美和子さんは私に今すぐ聡さんの前から消えろと言ってるんだろう。
確かに私は今仕事もしていないし、東京から離れて彼の前から姿を消すことは可能。
それにしても、ここまではっきり言わないのに「察して」という態度を出されるのは嫌なものだ。
彼女は息子と私を引き離した悪役になり、聡さんに嫌われたくないようだ。
「分かりました。今すぐ私、東京から消えます。さようなら、五十嵐美和子さん。もう2度とお会いする事もないでしょう」
私は深く頭を下げて、銀座一丁目の地下鉄の駅まで走った。
今にも目から涙が溢れそうで、正直誰にも顔を見られたくない。
夜の銀座は沢山の人が行き交っているが、皆凄く幸せそうに見える。
そのまま、私は電車を乗り継いで羽田空港まで向かう。
聡さんの部屋には私の荷物が残っているけれど、放っておいてもその内捨てるだろう。
スマホを見ると聡さんからの着信があって、私は彼の連絡先を着信拒否にした。
「姿を消せって言われてもね」
夜の羽田空港。
福岡、札幌、大阪など、本日の便がまだ残っている。
空港とは眠らない場所のようだ。
窓から見える飛行機が飛び立つ風景をじっと見ていた。
飛行機などこの間乗ったばかりなのに、一度飛んだたら2度と戻って来なそうな感じがする。
「逃亡するなら北かな」
私は新千歳空港行きの便を購入し、飛行機に飛び乗った。
チケットを購入し、飛行機に搭乗した後、自分の失態に気が付く。
地方都市は人が活動する場所が限られている。
札幌には雨くんがいる。
雨くんは私よりも長く一緒に住んだ聡さんとの違いが深い。
(なんで、私がそこまで気を使わなきゃいけないの)
何だか腹が立ってきた。
五十嵐美和子に「言いたい事があるなら息子に言え」とでも言い返してやればよったかもしれない。
しかしながら、彼女は聡さんの前では息子の決定を受け入れる大らかの母親でいたいのだろう。
しきりに私に「察して欲しい」との視線を受け入れていた。
だからと言って、「今すぐ消えろ」というのは酷い話。
(せめて、片道の航空券代くらい出してよ。こっちは経済的にギリギリなんだから)
⋯⋯分かっている。
片道の航空券や手切金の小切手でも切れば、美和子さんは自分が私と息子との仲を引き裂いた事になってしまう。
彼女はあくまで私が自分の選択で聡さんから去ったという体にしたいのだ。
飛行機に乗り込むと、本当に2度と聡さんとは会えないような感覚に陥った。
私は別にそれでも生きていける。
「2度と会えないのが耐えられないくらいの好き」という気持ちは私達の間に男女の愛があれば成立したのだろうか。
深呼吸し、私は彼から離れたのは自分の選択だと言い聞かせる。
そうでなければ、正直言って涙を止められそうにない。
周りが泣いている私をチラチラと見ては見なかったフリをした。
「どうしましたか」とか親切にハンカチを渡してくる人なんていなくて良かった。
スマホの電源を切り、座席に座りシートベルトを閉める。
「宜しければ、どうぞ」
突然、CAさんが私に冷たいお茶を入れた紙コップを渡してきた。
私と同じ年くらいの髪をひとまとめにした女性。
もう、夜だというのに生き生きと仕事をしている彼女はこの仕事が好きなのだろう。
「ありがとうございます」
このタイミングでお茶を出すのはイレギュラーのはずだ。
通常飛行機は、離陸してシートベルト着用サインが消えてからサービスを開始する。
彼女は泣いている私を見て、飲み物でも飲んで落ち着いてと親切心でこんな行動を取ったのだろう。
(余計なお世話だ⋯⋯)
人の親切心を素直に受け取れない自分は本当に性格が悪い。
でも、今、喉が詰まって何も飲めそうにない。
離陸開始までに飲み終わった方が良いことは分かったので、無理やりお茶を喉に流し込んだ。
CAさんが安全性チェックをしながら、私の空の紙コップを受け取る。
「少し落ち着きましたか?」
「⋯⋯はい」
彼女の「私って気がきくでしょ、感動したサービスとしてお客様カードに書いても良いのよ」と言いたげな顔がムカつく。
それでも、私は彼女が望む答えを紡ぐ。
私の放っておいて欲しいオーラを察せなかった事を反省しろと言いたくなるが絶対言わない。
私はそうやって、ずっと生きてきた。
相手の気持ちを必死に察して嫌われないで好かれようと生きてきた。
私が自然体でいられたのは、腹違いの弟の雨くんと聡さんの前だけ。
ぼんやりと非常用設備の説明が聞こえていたと思ったら、いつの間にか離陸していた。
窓から見える東京が遠ざかる。
宝石を散りばめなような美しい夜景に再び涙が溢れてきた。
光の数だけ暮らしがあって、温かい家族を持っているのに私は1人。
分かり合える、私を愛してくれる人を見つけたのに、やっぱりまた1人になってしまった。
「お客様、到着しました。起きてください。急がないとエアポートの終電が危ないかもしれません」
私は泣き疲れててねしまったのか、気がつけば飛行機は新千歳空港に到着してCAに肩を叩かれていた。
快速エアポートは新千歳空港から札幌へ出る最速の手段。37分で到着するので、バスはおろか車よりも早くて便利。
「あっ、すみません」
私は慌てて飛行機を降りる。
そもそも、私はどこに行くのだろう。
札幌に行かなくて、空港で寝泊まりしても構わないくらい行き場所がない。
薄手のコート姿で新千歳空港に到着したからか、非常に寒い。
バッグの中のスマホの電源を入れた途端、掛かってきた着信に咄嗟に出た。