「真希、やっと出てくれた」
「裕司⋯⋯」
私を捨てようと別れさせ屋を使った男、原裕司。
今、聞きたいのは彼の声じゃなかった。
聡さんに対しては着信拒否した上でメッセージもブロックしたのだが連絡は来ないのは当然。
祐司に対しては敢えて拒否しないで無視してやろうと思っていたのに、つい電話に出てしまった。
(私って本当に意地悪だな)
「真希、大丈夫? なんか、泣いてない?」
「泣いてない」
声が掠れているから、電話越しでも泣いていると気が付かれた。
「今さ。新千歳空港にいるよね」
私は裕司がまだGPSで私の位置を確認していることに驚く。
別れた女に対してこんな事をしていたら、彼をストーカーとして通報できそうだ。
私の復讐として、彼が私を引き摺るような別れ方をわざとした。
『別れさせ屋』まで使って私と別れさせようとした事を後悔させたかった。
ドラマでは別れ際に捨て台詞を吐いたりするが、私はアレを見て愚かだと思っていた。
そんな別れ方をしたら、相手はこんな気性の荒い女と別れて良かったと考える。
だから、裕司にはあくまでも健気に寄り添って彼のいう通り仕事まで辞めた私を捨てたという十字架を一生背負わせようと思った。
「いるけど」
「この時間じゃ札幌までの電車はないよ。車で迎えに行くからそこで待ってて」
「えっ? 私、裕司に会いにきたんじゃないんだけど」
「俺が会いたいんだよ。真希。30分くらいで着くと思うから待ってて。今から車乗るから電話はできないよ」
そう言い残すと電話は切られてしまった。
裕司は車に乗りながら、電話をしたりしない。
ハンディーフリーで電話する人もいるが、彼は視覚聴覚運転に集中したいタイプ。
人生も安全運転していたはずなのに、ハニトラに引っ掛かった彼。
性欲というのは、それ程抑えられないものなのだろうか。
私は性欲が全くないので、彼のつまづきは理解できないし嫌悪感しかない。
裕司は非常に運転も安全運転をするタイプだが、外を見ると雪が降っている。
雪が降っている暗い中の運転は危ないのではないだろうか。
私は祈るような気持ちで彼を待った。
私が裕司と結婚しようと思ったのは、彼の母親が私の理想の母親だっただけではない。
裕司は、一緒にいて波長もあって楽しかった。
そして、愛されて育った人間特有の強い自己肯定感を持った人だった。
今、思うと程度は違えど聡さんと同じようなタイプの人間だ。
人をカテコライズするのは好きではないけれど、私は大らかお坊ちゃんと一緒にいるのが居心地が良いようだ。
いちいち裏を探らなくても、「人を陥れてやろう」「自分を良く見せよう」とか下心を抱きもしないタイプ。
私とは真逆な人間。
人が減っていく夜の新千歳空港の座席で待っていると、裕司が走って駆け込んでくるのが分かった。
私を見つけるなり手を振って、近寄って来る。
一瞬、逃げたくなった。
私は彼には自分がアセクシャルだとカミングアウトしていない。
裕司の表情は久しぶりに恋人に会うような表情。
「真希、会いたかった!」
私を見つけるなりギュッと抱きしめてくる裕司。
「私は会いたくなかったよ」
私の言葉に体を少し離し、まじまじと顔を見つめてくる彼。
「でも、無事に到着してくれて良かった。雪道運転大丈夫だった?」
私は口角を上げて微笑みを作る。
結局、こうやって人の顔色を伺いながらでしか生きられない。
川上陽菜は私が5歳の頃からそうだったと馬鹿にしていた。
顔色を伺わない人生が選べるなんて、無条件に愛される人間だけ。
自分はそうではないと、両親から愛された記憶もない私は昔から気が付いていた。
「チェーンつけてたけれど、結構滑った。本当に怖いな雪道運転」
「教習所で雪道運転講習でもしたら?」
「車持って来たけど、実はこっちではあんまり運転しないんだ。雪かきとかできないし札幌駅直通のタワマンに住んでる」
「裕司がタワマン?」
地元の大地主さんで土地を離れられなかったとはいえ、アラサーで実家住みだった彼が変わったものだ。
「別に流行り物に飛びついたわけじゃなくて、普通のマンションだと水道管固まったりするんだって。なんか、そういうご当地トラブルとか分からないじゃん」
やはり彼への復讐は他の私の私怨による犠牲者に比べて軽かった。
彼はいずれ本社に戻る気でいる。
実際、祐司は仕事もできたし、札幌支社の転勤は期間限定だろう。
私の手をギュッと握りしめてくる彼は私と元鞘に戻れると思っている。
私は祐司に手を握られた瞬間、聡さんにカミングアウトしないまま結婚して仕舞えば良かったと後悔した。
私が普通の女の子の演技をしていれば、聡さんの隣にいられたかもしれない。
結婚して子作りの場面になったら、何度か我慢すればなんとかなった。
今は無痛分娩とかあるし、出産だって切り抜けられた。
頭の中を後悔の念が過ぎる。
私は一生自分を誤魔化しても、聡さんの隣にいたいくらい彼の隣を居心地良いと思っていたようだ。
五十嵐美和子が私がゆくゆくは聡さんに捨てられて傷つくのを心配していたのを笑い捨ててやれば良かった。
5歳で両親に捨てられた私が今更、自分が選んだ男に捨てられたくらいどうって事ない。
子は親を選べない。
愛を求めても、愛されず、捨てられた私。
「自分の側にいるのが私の仕事」と言ってくれた聡さん。
彼の隣ではありのままでいられる事を期待した。
「真希、やり直したい。もう、絶対、真希を裏切ったりしない。俺が愛しているのは真希だけなんだ」
私の思考が遥か彼方に飛んでっているのに気付かず、祐司は私に愛の告白をしてきた。