「ごめん、無理」
「でも、ここでそんな姿でいるのは五十嵐さんとダメになったからだよね。俺の事思い出して北海道に来たんじゃないの?」
「⋯⋯」
裕司が明後日の方向の事を言っていて、なんと弁明して良いか分からない。
ただ、彼には弱みを見せたくなかった。
聡さんの母親から拒絶され目の前から消えてくれと暗に言われて飛行機に飛び乗ったなど知られたくもない。
「理由は何でも良いよ。こんなところに大切な女の子は置いておけない。俺の事、男としてもう見れないというならそれで良いから、兎に角うちにおいで」
祐司は私が小さなバッグしか持っていない事に気がついたのだろう。
明らかに旅行予定で飛行機に乗った格好じゃない。
しかも、明らかに泣いた後の顔をしている。
おそらく聡さんと別れて、裕司が恋しくなって飛行機に乗ったと勘違いされている。
(そもそも、彼のこと、男として好きになった事がないって言ったら驚くだろうな)
「ありがとう」
私が言った言葉に裕司が頬を染めて嬉しそうにする。
「真希、今日の格好凄く可愛いけど、靴、それだと滑ると思う。明日、一緒に雪道歩けるようのブーツ買いに行こう」
私は今日は上質な白い膝丈までのワンピースを着ている。
聡さんのご両親に気に入られる可能性なんてないと分かっていたのに、一張羅を着てほんの少しだけ期待していた。
聡さんのご家族も彼のように私を両手を広げて受け入れてくれるなんて夢物語。
当然、息子の相手として相応しいか厳しいジャッジをする。
しっかりと判断されれば、私が聡さんの相手として相応しくないなんて分かっていた事だ。
「買い物なんて、一人で行くよ」
「靴どこで売っているか分からないでしょ」
駅ビルに行けば靴なんてどこでも買える。
とにかく、私と一緒にいようとしている彼の思惑が丸分かり。
以前ならそんな相手がいる事を嬉しく思ったが、今は煩わしい。
私が一緒にいたいのは彼ではないと明確に分かっている。
「仕事行きなよ。異動したばかりで流石に舐めすぎって反感買うよ」
「大丈夫だから。こんな時に俺の心配はしないの。今年度も有給全然使い切ってないし休む。引っ越し作業がまだ残ってるって言えば快く休ませてくれるよ。札幌支店って、東京と違って割とみんな休み取ってる感じだったし。真希、目を離すとどこかにいなくなりそうだから、明日は一緒にいる」
流石に私のことをよく分かっている。
真夜中の今、泊まるところもないから裕司の家に今晩はお世話になろうかと思ったが、彼が仕事行っている間に消える予定だった。
空港の駐車場まで行き、車に乗り込む。
「知らない番号⋯⋯」
ちょうど知らない番号からの着信があり、電話を出るか迷った末に切った。
聡さんはきっと私がいなくなって家にも帰ってなくて心配しているだろう。
一緒に先に店を出た五十嵐美和子に連絡をとっているだろうが、彼女がどのように彼に状況を説明をするかは不明。
いずれにしろもう私には関係のないこと。
聡さんの声を聞いたら、なんとなく涙腺が緩くなってしまいそうだ。
気がつくと車は発進していた。
「裕司、あのさ」
「ゴメン、到着するまで話し掛けないで。暗くて、雪で、全集中しないと事故る気がする。札幌来てから運転するの2回目なんだ」
「えっ? 雪道運転は?」
「⋯⋯初めて⋯⋯」
私は流石に黙った。慣れていないからか、明らかに少し滑りながら運転している。
いくら落ち込んでいても、このまま死んでしまいたいと思ったことはない。
天国へのドライブにしても、裕司と一緒は絶対嫌。
まっすぐな道だけど、想像以上に雪が降っていて視界も悪かった。
突然、鹿でも出てきたら轢いてしまいそうで怖い。
しばらく黙って変わり映えのしない風景を見ているうちに、また私は寝てしまっていた。
気がつくと背中にふかふかした柔らかさを感じる。
うっすらと目を開けると、裕司の顔が近くにある。
私は思わず手で彼を押し退けた。
「何! 気持ち悪い」
心臓がバクバクする。
いわゆる少女漫画のキュンとは真逆のお化け屋敷に入った時のような恐怖のバクバク。
多分、寝ている私に彼はキスをしようとしていた。
裕司が傷ついた顔をしているが、一体何の権利があってそんな顔をしているのだろう。
浮気して自分勝手に別れようとした癖に、私がまた彼を受け入れると思っている。
その傲慢なくらいの自己肯定感は絶対に私には手に入らないもの。
「ごめん、真希が嫌がるようなことした。浮気した俺なんて穢らわしいよな。真希、ベッド使って良いよ。俺はソファーで寝るから」
どうやら私は車で寝てしまって、そのまま祐司にベッドまで運ばれていたようだ。
彼が浮気した話なんて、私の中で四半世紀前くらいの事のように感じている。
「おやすみ。祐司。迎えに来てくれてありがとう。助かったよ」
「全然、真希こそ、電話出てくれてありがとう。また話をしてくれるだけで嬉しいよ。おやすみ」
祐司は私の言葉に照れたように笑うと部屋から出て行った。
祐司は言葉を言葉の通りに受け取る人だ。
私はそれを彼の母親が愛情深く彼を育てた結果で、育ちの良さというものだと思っていた。
私のような育ちをした人間は当然言葉に裏があるだろうと思って会話をする。
「妊娠した」と言われたら、言葉の通り信じてしまったのも彼の育ちが良すぎるからだ。
そんな倫理的に問題のある嘘をつくクズのような人間が存在すると思っていない。
世の中嘘ばかりのクズだらけなのに、彼はまた騙されている。
私が自分の事を男として好きだったと騙されたまま今も復縁に期待して、真夜中に往復二時間も極度の緊張の中で運転した。
私はまだ彼に復讐している最中なのかもしれない。
将来的に男として愛せないし、子作りもできないと暴露したら、彼は私と結婚しなくて良かったとホッとしそうだ。
祐司を喜ばすようなことは言いたくないのに、察して媚びたようなことを言うのは私の癖。
そして、人の顔色ばかり伺う自分は大嫌い。
聡さんの前では、私は人の気持ちを察する事なんてまだできないような子供のようでいられた。
自然体でいられる心地良さなんて知らなければ良かったと後悔しながら私は再び眠りについた。