「よし、できた」
私は聡さんが仕込んでいたGPSの位置情報をいじった。
現在、私はブラジルのリオデジャネイロにいることになっている。
昨晩、銀座にいた私が、地球の裏側にいるのは不可能。
聡さんはGPSが壊れたと思って、私の位置を確認するのをやめるだろう。
ただ、北海道にいるのは危険だ。
雨くんとバッタリ会う可能性がある。
次の行き先を決めるにしても、お金を貯めないと厳しい。
ふと、スマホを見ると商社時代、親切にしてくれた渡田さんからメッセージが来ていた。
私は一瞬、彼女の職場のパソコンを遠隔操作した事がバレたかと思ったが、首を振る。
(ないな⋯⋯)
商社の人間はパソコンにそこまで強くない。ちょっとしたトラブルでもシステム管理に連絡するレベル。ましてや、彼女のいた人事総務室はアナログ世代の集まり。
『先日、会社を早期退職しました。念願のカナダ留学に来てます。冬のトロントは極寒だよ、でも、大好きな観劇鑑賞して楽しんでます。真希ちゃんも遊びに来てね』
私は、唐突な退職報告に目を丸くする。
彼女は退職したら留学したいと言っていた。あと3年で定年退職だと思ったが、計画を前倒ししたのだろう。
『是非、遊びに行かせてください。私の事、忘れないでくれて嬉しいです。渡田さん、大好きな真希より』
相変わらず寒気がする程、媚びたメッセージ。
でも、私が彼女を好きなのは本当だ。
彼女は母性のある優しい人で、私の境遇を知るなり「私をお母さんだと思っても良いのよ」と気にかけてくれた。
「退職したら、留学する!」という夢を持てる彼女は私にとっては憧れだった。
私はいつも自分が本当は何をしたら良いのか分からなかった。
ただ、家族がいて安心して明日が迎えられる生活が欲しかった。
それが夢だというならば、皆が当たり前に持っているのに私にだけは叶えるのも難しい。
世界は本当に不公平。
(海外か⋯⋯)
私は祐司の駐在について行くつもりだったから、パスポートを作っていた。
私の年齢だとワーキングホリデービザで渡航できる。円安だから、お金を貯めてくる意味で1年海外逃亡するのもありかもしれない。
1年もすれば、聡さんも私の事を忘れて他の女と付き合い出しそうだ。
昨今、海外に行くワーホリがバイトが見つからないとニュースになっていたが、あれは英語ができない場合。
私は英語が話せるから、仕事を選ばなければ見つけるのに苦労はしないだろう。
聡さんと出会って、私は自分でも変わったと思う。
前は自分が人と違うところや、できないところばかりに目を向けていた。
引け目ばかり感じる私が、自己肯定感の塊のような男と過ごした事で考え方がポジティブになった気がする。
自意識過剰かもしれないが、聡さんは私を探してくれている気がした。
そして、彼の為にも私は見つからないことが大事。とりあえず、ワーホリのビザ申請をしている間は札幌でバイトをして稼ぐ。
扉をノックする音がする。
「どうぞ」
「真希、よく寝れた? なんか、幸せだな。朝起きたら、真希がいるなんて」
胸に手を当てながら、頬を染めている祐司。
どうして、私は自分の正体を隠しながら彼と結婚ができるなどと甘い幻想を抱いたのだろう。
私のありのままを受け入れてくれた聡さんと関わった後だと、私への好意を隠さない祐司と接するのがキツイ。
「ブランチでも食べに行こうか? それから、靴と真希の寝巻きと冬服買いに行こう。あ、あと、下着とかもか⋯⋯」
祐司は明らかに浮き足立っていた。私は彼をソウルメイトと思っていた時もあったが、今は見ててイライラする。
「お気遣い。ありがとう。祐司」
祐司は私とやり直せると思ってそうだ。
期待させて、逃亡して、私が味わった地獄を思い知らせてやりたくなる。
私は相変わらず思っている事とは真逆の言葉を吐きながら口角を上げて微笑んでいた。
札幌駅から地下道をススキノ方面に歩く。
外は吹雪いているのに地下は暖かい。
「地下道なら、その靴でも大丈夫だろ? ブランチしたら、札幌駅のデパートで服と靴買おう」
「ありがとう。駅でブランチしないって言うことは、こっちに祐司のおすすめでもあるの?」
「赤レンガテラスっていう、比較的新しい施設があるんだ」
「なるほどね。祐司は新しいもの好きだものね。新しい女とか、会社に入ってきたばかりの新入社員とか」
私はわざと含みのある言い方をした。彼に自分が浮気した事実を思い出させる為だ。
確かに昨晩は迎えに来てくれて嬉しかったが、自分の罪を忘れたような態度が目にあまる。
彼が浮気しなければ、私は原家のお嫁さんになり今頃スペインで駐妻になっていたはず。
美味しい手作りのムール貝やエビといった海鮮具沢山のパエリャを囲んでカヴァでも飲んで楽しく過ごしていた。
それ以前に、彼が入社したての新人の私にロックオンしなければ、今頃、東京の大手商社の正社員として良い給料を貰っている。
新卒採用でなければ、入れない会社だ。
「真希の怒りは当然だよ。そうやって、一生俺を責めて欲しい」