あれから1週間。私は原裕司の監視の元上手く動けず彼との同居生活を続けている。
恋人のように接しないように、「丸川美由紀」ネタを頻繁に出し彼を牽制する日々。
一生の十字架になっても我慢できないくらい彼は浮気を自分で抑制できなかったのだろうか。
性欲のない私には理解できない話だ。
「WEB制作? バイトなんかしなくても、ここにいてくれるだけで良いのに」
私の作った朝食を平らげた祐司が言う。
「でも、また捨てられるかもしれないじゃない?」
私は意地悪を言いながら、彼の食べた食器を片付けようとした。
すると彼が私の手首をギュッと掴んでくる。
「もう、絶対裏切らない」
「この世界に絶対なんてないんだよ」
私が冷たく言った言葉に彼は一瞬目を瞑ると私が手に取った食器を取り上げた。
「『絶対』を真希に信じて貰えるよう、俺が努力する。だから見てて。この食器、俺が洗うね」
「洗うって、食洗機にぶち込むだけでしょ。ちゃんと予洗いしてね」
「もちろん」
夫婦のようなやり取りを祐司は楽しんでいる。
私が寒気を感じながら演じているなんて思っても見ないだろう。
彼は本当に「育ち」の良い坊ちゃん。悪意にも気がつけない彼に好意を持った時もあったが、今は彼がただの馬鹿に見える。
私は海外逃亡資金を貯める為のバイトを始めた。
グルメサイトのWEB制作のバイトはあっさりと決まった。
とう言うより受ければ、受かるくらいの倍率だったようだ。
このグルメサイトは数ある日本のグルメサイトの中でもそこそこのシェアを誇っている。
各地のレストランや居酒屋を紹介し、口コミやメニューを掲載している。
本社は東京にあり、私がバイトとして採用されたのは札幌支社だ。
バイト初日、ススキノにある雑居ビルの一室に私が出社すると驚きの言葉を貰った。
ススキノは完全に夜の街である中洲とは異なり、昼間稼働するようなテナントも入っている。
ここの近くで半年ほど前には爆発事故があったのに、誰も気にしていない。
皆、自分の毎日を過ごすので精一杯だ。
学校の1クラス程度の社員数。
私の面接をしてくれた若い男性は編集長だったようだ。
「編集長の飯島鉄平です。山田さんにはWEB制作以外にも、カメラマンと、ライターもやって欲しいと思ってます。できるよね? 若いから写真とか得意でしょ」
私は察した。バイトはWEB制作とカメラマン、ライターの3業種で募集していた。
私はカメラを学んだ事もなければ、ライターの経験もない。
ただ、WEBに強いからWEB制作の業種で応募しただけ。
「人が集まらなかったのですか?」
「察しが良いね。そういう訳でからよろしく頼むよ」
「カメラマンもライターも経験はありません」
「そんなのみんなそうだよ。営業さんが契約した店に行って、写真撮る時はジーンズとかカメラマンらしい格好で行ってね。今日のは事務職スタイル過ぎ!」
膝丈のスカートにジャケットを羽織ったオフィスカジュアル。
オフィス業務だから、私の格好の選択は間違っていない。
私は案内された席に座ると、隣のアラフォーくらいの女性に話しかけられた。
「私、松田智子。宜しくね。東京の人? この会社ヤバいな。地方ヤバいなって顔に出てたよ」
「出身は東京です。『レッドグルメ』は、契約店から契約料貰ってますよね」
私が小声で聞いた言葉の意図を松田智子は理解したようだ。
グルメサイトの大手は『レッドグルメ』以外にも『グルットグルメ』がある。
『グルットグルメ』はサイト表示の広告料でマネタライズしている。
「月8万円ほどね。でも、写真は素人が撮ってるし、サイトの記事は『グルットグルメ』のテニオハを変えながら適当に書いているよ」
「それって、詐欺じゃ?」
「なんで? プロのカメラマンやライターが仕事してるなんて一言も言ってないよね。勝手に相手が勘違いしてるだけ」
松田さんの言葉に心が冷えていく。
私も祐司には自分がアセクシャルだとカミングアウトしていない。
私がノーマルだと彼が勘違いしているだけ。
勘違いさせて、捨てないと復讐にならない。
「そんな顔しないで、デジタル一眼レフのカメラで、三脚立てて写真撮ったらそれなりのものが撮れるから」
「そうなんですね」
ラックに掛かっている『レッドグルメ』の雑誌を捲る。
東京版を見ても写真が下手くそ。札幌だけではなく、全国的に行われている適当な仕事。
(ああ、素人の仕事だ⋯⋯)
言われてから注意深く見ると、写真はど素人そのもの。カメラの機能が良くなったから、これくらいの写真を撮れる人はいくらでもいる。
ネットで『レッドグルメ』と『グルットグルメ』のサイトを比べる。
店の紹介文がほとんど変わらない。どちらがパクったかなんて分からないし、A Iに書かせてもこれくらいの文章にはなるだろう。
と言うより変わり映えのしない文章。この文章を読んで店に来たいかと思わせるものがない。
イタリアンらしい紹介、日本食らしい紹介、独自性が皆無だ。
アセクシャルを隠すのも、ハッキングするのも罪に感じない私。
でも、盗用には抵抗がある。私は自分が誰とも違うと思っている。私の名前で仕事をするならば、これはできない。
(結構面倒だな私⋯⋯)
私は自分のこだわりの強さに我ながら引いていると、松田さんから声を掛けられた。
「早速、居酒屋の取材に行ってくれる? カメラマンのふりして写真撮ってくれば良いだけだから。そんな嫌そうな顔しないで」
「嫌そうな顔なんてしてませんよ。では、行ってきます」
私は重いカメラと照明を担ぎ、出かける。
ノーマルな女の子のフリをして日々過ごしている私は嘘つきの天才。
本当の嘘つきの仕事を見せてやる。