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第81話 すごい、流石プロですね。

ススキノから駅方面に12分歩き、雑居ビルの階段を降りていったところに店はあった。

「『こだわり酒場高杉』ね」

 降りていく階段の横を見るとメニューが掲示をしてある。

どうやら、北海道の新鮮な食材を使った居酒屋のようだ。

 店の扉を開けようとするも、閉まっている。


「こんにちは。『レッドグルメ』から参りました。山田と申します。撮影に参りました」

大きな声を出したら、急に後ろから声を掛けられる。

「すみません。今、トイレに行ってました」

手をパタパタさせ水飛沫を払う初老の女性。

私はカバンからサッとハンカチを出して、微笑む。


「トイレ大事です。メニューを見たら美味しそうで、私が張り切って早く来てしまっただけなのお気になさらないでください」

「あら、嬉しい事おっしゃってくれますのね。。ハンカチもありがとうございます。どうぞお入りください」


 階段横に貼ってあるメニューを見たばかりの癖に、本当に私は口が回る。


 中に入って電気をつけると、店の全貌が明らかになる。

4人掛けテーブルが2つにカウンター席。非常に小さな店だ。

 日本ハムファイターズのユニフォームを着たご男女の写真が飾ってあるのが目に入った。


「野球お好きなんですか?」

「えっ? 野球?」

 とりあえず、仲良くなろうと会話の糸口を探そうと思ったが間違った。

改めてルート検索をしようと周囲を見渡す。今度はコンサドーレ札幌のユニフォームを着た男女の写真。

女の方は先ほどの初老の女性の若い頃だろう。


「ご夫婦、仲良いんですね。スポーツ観戦に良く行かれたんですか?」

「はい。うちの旦那がスポーツ観戦が趣味だったんです」

 女性はキッチンに入り業務用の冷蔵庫から、お刺身盛りを出して来た。過去形の語り口調から察するに夫は死別している可能性が高い。


 テーブルの上に置かれたお刺身盛りは美しく感嘆の声がもれた。


「うわ、美味しそう。北海道って感じですね」

「ありがとうございます。そんな風に言ってもらって嬉しいです」

「お店の名前、『高杉』は苗字ですか?」

「そうなんです。夫が亡くなっても私は『高杉』としてこの店を守って行きたいんです。でも、常連さんも次々と亡くなって、新しいお客を獲得しなきゃと思って今回契約したんです」

 目に涙を浮かべながら語る高杉さん。

確かにこの店の契約書には「新規」とあった。


このような個人経営の店の月8万円はその辺のチェーン店とは違い大きい。

そして、今まで常連相手だけに商売をしてきたこの店。

高杉さんは広告を出せば、沢山お客が来ると期待しているだろう。


 一方、『レッドグルメ』側は契約を取ることしか考えていないのは明白。

溢れる情報の中に埋もれてしまって、大した結果も出ない店があるといった可能性については話してもいない。

(私がやる以上、そんな事にはさせないけどね)



 ライトを当てて、私はお刺身を見る。

「すみません、霧吹きありますか?」

「は、はい。了解です」

 霧吹きを当てると瑞々しくお刺身が見えるようになった。


「ジョッキにビールを入れて来てください。お刺身に添えたいです」

「分かりましたわ」

 高杉さんがビールを注いでるのが見える。


「ビールは3度つぎすると、泡が良い感じになりますよ」

「そうなのですか?」

「ビール工場で聞いた情報なので確かです」


 お刺身の横にビールを置いたら良い感じになった。

もう少し北海道らしさが欲しい。

「メニューにあったうにグラタンって今出せますか?」

「出せる。今出しますわね」

 冷蔵庫から出されたうにグラタン。これが、980円は安い。

そもそも、常連客を相手にしていたこの店は周辺の観光料金の店に比べて価格帯がお手頃だ。


 三脚を立て、ホワイトバランスを調整し写真を撮る。

「すみません。割り箸ください」

「どうぞ、お使いください」

 高杉さんがサッと出してきた割り箸で、泡がへたってしまったビールの泡を復活させる。

そして、新たに何枚か写真を撮り、彼女に見せた。


「すごい、流石プロですね」

 私は彼女の言葉に少し申し訳ない気持ちになる。

「高杉さんって言葉がとても綺麗ですね。お嬢様だったりしますか」

 最初にトイレから手をパタパタさせて出て来た時は、飲食業としてそれはどうかと首を傾けたくなった。

 しかし、長く接していると彼女の言葉遣いや所作から育ちの良さが伝わってくる。


「こんなおばちゃん捕まえてお嬢様だなんて、山田さんってお上手ですね」

「いえいえ、感じた事を言ったまでです」


「お疲れ様です。ふふ、良かったら、これ食べてください。丁度、お昼時ですしね」

 私の前に美味しそうな海鮮ぶっかけ丼が置かれる。

「もの凄い美味しそう。これも、写真に撮っても良いですか?」

「これは、メニューにないんです。まだ、お昼営業もやってた頃は従業員も雇っていて、まかないとして出してたんですよ」

「まかない丼⋯⋯」

 私は手を合わせて、まかない丼を一口食べる。

「お刺身の漬け込んでいる汁が、さっぱりして美味しい! レモンですか?」


「はい、実は瀬戸内の実家から送られてきたレモンを入れてるんです」

「瀬戸内レモン、名産じゃないですか。このまかない丼をメニューに加えたらどうですか?」

「北海道で、瀬戸内って大丈夫ですかね?」

「北海道の海鮮はいくらでもこの辺りで食べられます。『こだわり酒場北海道』ではなく『こだわり酒場高杉』なのだからアリです」


 私はそれから、英語、韓国語、中国語のメニューを加えることを提案し、作成した。

「山田さん、カメラマンなのにメニューの作成までして頂いて、本当になんとお礼を言って良いか分かりません」

「月に8万円も払ってるんです。どんどん、要望を言ってください。費用対効果がなければ契約は解除することをオススメします」

「ふふっ、山田さん『レッドグルメ』の社員さんなのに、そんな事言って良いんですか?」


 高杉さんの言葉に私は一瞬顔が曇りそうになった。当然、社員が来てくれたと思っているだろうが、私は今日初めて働き始めたバイト。

そんなバイトにカメラを背負わせて派遣するような会社が『レッドグルメ』


「私、近々『レッドグルメ』は辞めるつもりです。でも、『こだわり酒場高杉』は私のお気に入り店なので贔屓して魂を込めて、最後まで応援します。期待していてください」



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