「真希ちゃん、会いたかった。ごめんね。本当にごめんね」
扉を開けるなり、私を抱きしめてきたのは祐司の母親。
抱きしめられると共に伝わってきた暖かい温もり。少しも逃したくなくて私は抱きしめ返す。
「お母様が謝れられる事ではありません」
私の言葉に祐司の母親、原香澄は私の頬を手で包み込む。
「謝らせて。娘のように思ってた真希ちゃんを傷つけたんだもの。私は一生祐司を許さないわ」
私の心に温かいものが流れ込んでくる。
原家に挨拶に行った時から、彼女は私を娘のように扱ってくれた。
私を近所の人にも娘だと紹介してくれて胸が熱くなった。
「まぁ、母さんも真希も早く中に入りなよ」
祐司の声に私は急に現実に戻ってくる。
私は自分でも母親世代の女性に依存しやすいと自覚していた。
商社に入社した時は、人事総務部の渡田さんに懐いた。
裕司と婚約してからは、彼の母親に娘のように扱われるのを気持ちよく思った。
今日だって、居酒屋の店主でしかない高杉さんに理想の母親像を見て贔屓した。
男に依存する女はいるだろうが、自分の母親と同年代の女性に依存する自分は病んでいると思う。
「お母様、実は告白したい事があります」
私はアセクシャルである事は裕司には黙っているつもりだった。
でも、彼の母親にはありのままを知って欲しいという欲が出た。
私は聡さんが自分を受け入れていくれた事で、考えが甘くなっていた。
「何? 裕司からまたプロポーズ受けたって事。その話は聞いてるのよ。散々、真希ちゃんを傷つけたのに図々しくもプロポーズしたいってね」
祐司の母親は睨みつけるように祐司を見た。
「でも、俺にはやっぱり真希だから。丸川美由紀の件は事故にあったようなものだから」
祐司の言葉を聞くと心が冷えるのが分かる。
その事故にあった時の対応が彼の本質を表していた。
妊娠したと聞き、邪魔になった私を排除しようとする自己中さ。
有事の時ほど、人の本質が分かる。
パシン!
乾いた音が部屋に響き渡る。
祐司の母親が彼を引っ叩いていた。
「祐司が悪い。最悪よ。大切なものを失ってから気がついても遅いのよ。貴方の行動がどれだけ真希ちゃんを傷つけたか⋯⋯」
祐司の態度に冷え切った心がまた温かくなるのが分かった。
彼女のような母親が欲しかった。
悪い事は悪いと叱責してくれるくらい、自分をしっかり見つめてくれる母親。
(カミングアウトしよう)
「温かいお茶を淹れたから飲んで。外は寒かったでしょう」
原香澄が出したお茶を一口飲むと、私は深呼吸した。
「お母様、祐司、私、結婚はできません」
私の言葉に祐司の母親が私の手を握ってくる。
「どうして? 祐司のした事が許せないのは分かるけれど、こうして戻ってきてくれたじゃない」
私はそっと首を振った。
私は彼の元に戻ってきた訳じゃない。
「私、アセクシャルなんです」
私のカミングアウトに場の空気が固まった。
「アセクシャル? 何のこと?」
祐司の母親が祐司の顔を覗き見る。
「最近流行りのLGBTQ? 確か、アセクシャルって男も女も好きになれないって奴だよな」
空気が一瞬にして変わった。
どこか温かさがあったのに、2人が私を見る視線は異質なものを見るように冷たく変わった。
「真希って、俺のこと好きじゃなかったって事?」
困惑した表情を浮かべる祐司の問いかけに私は言葉に詰まる。
彼のことを気が合う人として好きだと思って結婚したい気持ちがあった。
しかし、今は人としても彼の事が嫌い。
「そう、なるのかな」
突然、頬に痛みを感じて私は驚く。
目の前には私を引っ叩いて涙を流す原香澄の姿があった。
「最低! 騙してたの? ゲイがカモフラージュ婚するようなものよね」
ジンジンする頬を手で押さえながら、鬼のような形相をした彼女を見た。
私は勘違いしていた。彼女は祐司の母親であって、私の母親ではない。
口でなんと言おうと自分がお腹を痛めて産んだ息子が大事。
「そうですね。香澄さんのおっしゃる通りです。私と息子さんが結婚しなくて良かったですね」
私は歯を食いしばり泣くのを我慢して、カバンを抱えながら外に出た。
追いかけても来ない原親子はある意味事故物件の私と結婚しなくて済んでほっとしているのだろう。
私は雪がシンシンと降り積もる寒い街をひたすらに歩いた。
原親子と関わった事で、23歳で定職も失ったのに私が加害者にされてしまった。おかしな情に流されず、しっかり復讐をすれば良かった。
私は気が付けば光に吸い寄せられるように、ススキノまで歩いて来ていた。
夜の街は明るい。そして、私の正体も知らず声をかけてくるキャッチに辟易する。
「質屋?」
私は自分がお金を持ってない事に気が付き、質屋に入った。
「これ、幾らになります?」
祐司が私に買った芸能人も婚約時に買うブランドものの婚約指輪200万円。
やっと今、これを売る気になれた。