鑑定士が指輪をまじまじと見る。
「80万円ってところかな?」
「待ってください。これ、今も200万円で売ってますよ」
「でも、これ、名前彫ってあるでしょ」
指輪の内側を見るとY to Mの文字。
「祐司から真希へ」という要らぬメッセージが彫ってある。
「Y to Mなんて名前じゃないですよね。YOU to ME とか Young to Matureとか汎用性あるじゃないですか」
「よく分からないけれど、80万円だよ。金なら良かったんだけどね。プラチナより、金の方が今、価値があるから」
「トップブランドですよ。海外セレブも御用達の」
「でも、名前彫ってあるから」
最後の最後まで祐司は私を苦しめた。
結局、私に仕事を辞めさせ、浮気をして一方的に婚約破棄をしたクズ男は、ほとぼりが冷めれば何事もなかったように東京本店に戻る。
優しい母親は「あんな詐欺師と結婚しなくて良かった」と彼を慰めるのだろう。
胸がギュッと締め付けられるように痛い。
「80万円で良いです」
私は婚約指輪をお金に変えた。今すぐ、この呪われた指輪を手放したい。
質屋から出ると、急に走ってきた誰かに抱きしめられる。
体格から察するに男だ。
(何? 怖い。夜の街って本当に怖い!)
「ごめん、真希姉ちゃん。そんな震えて怖がらないで」
「⋯⋯雨くん? 何で?」
「散歩してたら、懐かしい顔を見かけたから捕獲しただけだよ」
「散歩? ススキノを?」
色々、納得いかない。雨くんはもしかしたら私にGPSをつけて監視しているのかもしれない。
私はカバンの中をゴソゴソ探る。
「本当に偶然なのに、何を疑ってるの? 真希姉ちゃん、こんな夜に1人で危ないよ。もしかして行くとこない?」
「いや、私は⋯⋯」
「うちに今日は泊まりなよ。この辺りのホテルめちゃ高騰してるよ」
「そうなんだ。じゃあ、泊まろうかな。あのさ、聡さんには私がここに居たこと言わないでくれる?」
「ふふっ、もしかして聡さんと喧嘩した。距離をとりたくなる時もあるよね。もちろん。俺は真希姉ちゃんの味方だよ」
雨くんはニコッと笑うと私の手首を掴んで手を引いた。
今、この世界にいる唯一私と血の繋がった人。
だけれども、私は彼の考えている事は全く分からない。
札幌駅の南口の大通り付近のマンション。
いわゆるデザイナーズマンションだろうか。
彼は予想外にそこそこ良いマンションに住んでいた。
モノトーンで統一された洗練された空間。ロビーに置いてあるソファーは有名なスペイン人デザインのもの。
「オシャレなマンションんだね。タワーマンションじゃないのに扉、内側だし」
「俺、タワーマンション苦手。エレベーター長いじゃん。閉塞感がある。誰も知らない人と2人きりで長時間いるとか、よく耐えられるよね」
タワーマンションの最上階に聡さんと住んでいた雨くん。苦手なエレベーターに毎日乗ってたという事だろうか。
「タワーマンションが苦手? それに聡さんと住んでたよね」
「聡さんは知らない人じゃないでしょ。俺、人間が嫌いだけど、聡さんは好きなんだ」
私が企みを含んだような雨くんの視線にドキッとする。
(な、何?)
「もちろん、真希姉ちゃんも好きだよ。それから、聡さんは好きだけど俺はゲイじゃありません。真希ちゃん、俺たちの仲疑ってた時会ったでしょ」
「あったかな。よく気がついたね」
私は聡さんには2人の仲を疑っている事を伝えたが、彼には伝えていない。
「相手が何を考えているか察せないと、『別れさせ屋』はできないからね」
私は朗らかに笑う雨くんが、『別れさせ屋』として聡さん以上に活躍していると聞いたのを思い出した。
扉を開けると広い玄関が見える。
「玄関、広い! ここで、寝られるんじゃない?」
「そんな事、真希姉ちゃんにさせられないよ。ちゃんと、遊びに来た時の為に部屋作ってあるからおいで」
「う、うん。ここ3LDKくらい」
「違うよ。4LDK。俺と、マリアさんと聡さんと真希ちゃんで住めるね」
「えっと、私、近々、海外に行こうかと」
「冗談だよ」
また歯を出してにっこり笑っている雨くん。
最初に彼を見た時は聡さんが落とそうとしている私を冷めた目で見ている気がした。
その後、私が出会った雨くんは溌剌としている。
今も、溌剌としている彼だが私はこの彼が素だとは思っていない。
「そういえば、マリアさん、勘当されたって聞いた?」
「勘当?」
「娘がレズビアンなのが認められなかったんだろうね」
私は自分の浅はかな彼女への言動を呪った。
「人が愛せるだけ羨ましい」と彼女を煽り、彼女を元の恋人に繋げるようにした。
「大丈夫だよ。」
「えっ?」
「俺たちのマリアさんは違うもん。結局、マリアさんの親は彼女を捨てられない。ただ、頭を冷やさせる時間を作っただけだよ」
「マリアさんの親に会ったことあるの?」
「ないよ。ただ、普通の親は自分の子供を愛してて、結局は欠点も受け入れるってこと」
何気なく言った彼の言葉は私の気持ちにモヤをかけた。
レズビアンが欠点と言えてしまう彼はノーマルなのだろう。
私がアセクシャルであることに悩んでいることもきっと理解できない。
「じゃーん!」
扉を開けた先にあったのは本当に私向けに作ったような部屋だった。
「ここにある。服もバッグも、パソコンも、文房具も全部使って良いよ」
「私の為に揃えたの?」
「ううん。元カノの忘れ物?」
「彼女いるの!?」
私の言葉に雨くんがニヤリと笑う。
「いません。冗談に決まってるでしょ。『別れさせ屋』なんかやってたせいで、女には懲り懲りだよ」
私は雨くんのターゲットとなり、彼を訪ねてきた女がいたのを思い出していた。
私は雨くんのような男にはハマらない。でも、こういった自由人で何を考えていないかのような男に沼る女はいる。
「この部屋は女の貢物だったり」
「半分当たりで半分ハズレ」
「えっ?」
「お風呂とか、冷蔵庫とか、洗濯機勝手に使って。また、真希姉ちゃんの作ったご飯食べたいな」
小首を傾げながらおねだりしてくる雨くんは、女の私より可愛い。
こうやって年上女を沢山落としてきたのだろう。
「それより、質問に答えてくれる? この部屋って⋯⋯」
雨くんが私の唇に人差し指を当ててくる。
「ご想像にお任せするよ。ちなみに俺の母親は3人殺してる犯罪者! その血を引いてる俺は何でもありかもしれないね。じゃあ、ゆっくりくつろいでね」
妖しく微笑むと私を置いて部屋を去る雨くん。
(えっ? めちゃくちゃ怖いんだけど⋯⋯何考えてるの? 雨くんー!!)
私は世界一理解できない男の家に流れ着いてしまった。