雨くんが私に与えた部屋はピンクを基調とした可愛らしい部屋。
机の上にはピンク色のパソコンと筆立て。
筆立ての中の、ハンコ付きのボールペンが気になって手に取る。
かぱっと開けると「まき」の文字。
(こういうの小さい時に欲しかった)
いわゆるお土産やさんに置いてある名前付きハンコ。
欲しいと思っても使い道もない贅沢品に思えて買わなかった。
私の為に用意したとは本当のようだ。
嬉しくて私は、メモ帳に沢山「まき」ハンコを押す。
そんな事をしているうちに、母親のように慕っていた原香澄に詐欺師呼ばわりされて殴られた痛い記憶も薄れてった。
「これは、明らかに女の子の忘れ物じゃなくて私の為に買ったものだよね」
私はカバンにハンコ付きボールペンを入れる。
ピンクのパソコンも私用に用意したものだろうか?
私はパソコンを持ち歩いているし、雨くんのことだから何か仕込んでそうで怖くて使えない。
彼は自分の母親を逮捕させても、私を守った人なのに未だ私は彼を信用していない。
私より過酷な人生を送ったはずなのに、溌剌としている彼。
母親が姉と父親を殺すというとんでもない怪物なのを笑ながら話す彼。
(でも、人をよく見てる⋯⋯)
可愛すぎる部屋だけれども、ずっと祖父の古い家に住んでいた私からすると憧れの自分の部屋。
祖父は私が小学生の頃にはボケ初めてしまい、中学生の頃には介護状態だった。
ベッドがあって、机があるような部屋は祖父の家にはなく、私はいつもちゃぶ台で勉強していた。
扉をノックする音と共に雨くんがヒョコっと顔をだす。
いちいち行動があざとい。流石は年上キラーだ。
「お夜食におにぎり作ったよ」
お皿にのったおにぎり二つは形も歪だ。
(それよりも⋯⋯)
「雨くん、薄手の手袋か、手を水で濡らしてからおにぎり握ろっか」
彼の手はご飯粒がベタベタについていた。
「注意されたの初めて。前にターゲットの家でおにぎり握ったら、このご飯粒も食べて良いって言って舐められた事あった」
「もしかして、杉崎琴子?」
「あの人は危険だから家には行ってない。でも、塩握り食べさせられて、手にご飯粒ついてるって言われて指をしゃぶられた」
「⋯⋯」
『別れさせ屋』が危険な仕事過ぎて私は震撼した。目の前の可愛い男の子が沢山酷い目に遭ったと思うと心配になった。
私は男性の指をしゃぶりたいと思わないが、そんな風にむしゃぶりつく怖い女も存在する。
雨くんには真っ当な道を進んで欲しい。
「真希姉ちゃん、おにぎりいらん?」
「いる」
私は雨くんの握ったおにぎりを食べる。私は実は人が作ったご飯を食べるのが好きだ。
愛情が込められていて、美味しく感じる。
(でも、これは⋯⋯)
「具、入れ忘れた?」
塩握りでさえない。ご飯を丸くしただけのオニギリ。
「何の具が好きか分からなくて。入れなかった。でも、真心は入ってるよ」
「ありがとう」
本当に雨くんは不思議な子だ。
とりあえず、サケフレークや梅を入れたりしない。
⋯⋯大雑把に見えて、不確定なことはしない。
大らかな素敵奥様に見えて、周囲の人間を操っていた川上陽菜。彼女の行動も言動も全て計算し尽くされていた。
そんな彼女に味方であるフリをして擦り寄り、逮捕して決着をつけた雨くん。
「真希姉ちゃん、俺の事、なんか疑ってる? 俺は真希姉ちゃんにとって無害だし味方だよ」
「そうだよね。何も企んでなんかいないよね」
「企んでない? それは分からないな。洗面所に歯ブラシ置いといたから使ってね」
空いた皿を持ったまま、雨くんはまた部屋を出ていった。
おにぎりを食べ終わり、歯を磨きに洗面所に行く。
私を見るなり、お風呂上がりの雨くんが髪をドライヤーで乾かしてた。
ドライヤーは最近発売された10万円以上するもの。
プログラマーになりたいとは言っていたが、現段階で収入があるとは思えない。
「真希姉ちゃんもお風呂入る?」
「私は、疲れたから、今日は歯を磨いて寝よっかな」
「了解! はいどーぞ」
可愛いピンク色の電動歯ブラシを渡される。
ネームシールで「まき」と貼ってあった。
「ありがとう」
私が遊びに行くと言ったので、色々と用意してくれていたのかもしれない。
この4LDKの高級マンションのに住める理由が気になるが、聞いてもはぐらかされそうだ。
ドライヤーの音が止まると、電動歯ブラシの音だけが響き渡る。
私は視線を感じて隣を見ると、雨くんが真剣な目で私を見ていた。
(これは、彼の素だ)
「真希姉ちゃん、俺、完璧な復讐をするよ。だから見てて」
「⋯⋯見てるよ。HARUTOを超えるシステムを作るんだね」
親の不倫によってめちゃくちゃにされた私たちの人生。
逮捕されても、川上陽菜はまだこの世の中に「天才」として生きている。
今多くの企業で使われている、社内管理システム「HARUTO」。
殺人犯の作ったものだとしても、その利便性と安全性はピカイチでどの企業も使用をやめることはなかった。
川上陽菜は3人も殺した殺人鬼なのに、彼女の功績は讃えられ続ける。
承認欲求が人一倍強い彼女にとって、一番の罰は忘れられる事。
「うん。絶対に成し遂げる。クズい女はいっぱいいるけどさ。やっぱり陽菜さんは許せないんだ。俺、晴香姉ちゃんにも会って見たかったよ」
おそらく今、私の弟は初めて私に本音を漏らしていた。