「晴香ちゃんはね。私と一緒によく晴人くんの面倒を見てたよ」
「そうなの? 連絡帳には晴香姉ちゃんのことは何も書いてなかった」
雨くんが斜め上を見ながら考えているそぶりをする。
溌剌に元気そうに振る舞っている時とは全く違う、少し寂しそうな表情。
「お姉ちゃんが弟を面倒見るのは当たり前って考えが保育園の先生方にあったからね」
「当たり前か。そんな訳ないのにな」
「本当だね」
保 育園の先生だって、その後、晴人くんが姉と会えなくなり、彼女の影を追って連絡帳を読むなんて思っていない。
当時5歳だった私と晴香ちゃん、それに乳児だった晴人くん。
大人の欲望の犠牲になった私達は間違いなく何の罪もなかった。
「雨くん、『別れさせ屋』の時に「ハルト」って名乗ってた? どうしてか聞いて良い?」
「もしかして、俺を探して過去のターゲットが事務所に辿り着いた? 真希姉ちゃん以外にも真相に辿り着いた人がいるんだね」
「確かにいたけど、その人の事は聡さんが解決したから雨くんは気にしなくて良いよ」
「なるほど、流石聡さん。あの人、ほんと良い人だよな。ええと、質問の答えね。俺は悪いことする時は「ハルト」って名乗ってるの」
私は『別れさせ屋』を楽しんでいるように見えた雨くんに罪の意識があった事に驚くと共にホッとした。
彼に川上陽菜の面影を見る事があっても、彼は罪の意識を持たないサイコパスな彼女とは違う。
「『別れさせ屋』は悪いことって思ってやってたんだ。意外」
「人の気持ちを弄ぶのは悪いこと。その辺の善悪の区別はあるから安心して」
私の肩をトントンと叩くと、雨くんはその場を立ち去ろうとして振り向き口を開く。
「真希姉ちゃん、明日、結婚式体験行かない?」
「はい? 結婚式体験? 私と雨くんが?」
雨くんと私は腹違いの姉と弟。
そんな2人が結婚式体験とは一体どういう事だろう。
「ここの近くのホテルであるんだよ。フランス料理のコースがタダで食べられるの。行ってみたい!」
「ああ、そういう事か。でも、それって結婚式のセールスだと思うよ」
「そんなの適当に聞けば良いじゃん。とにかく、そのオシャレホテルのフランス料理のコースが食べたいから行こう!」
「分かった」
実はそういったものには行った事がないから興味がないわけではない。
私は好奇心は旺盛な方だ。そして、祐司との結婚式場はすでに原家が代々お世話になっているホテルに決まっていた。
(結局、私達は結婚しなかったけどね)
(それにしても、フランス料理か⋯⋯)
私は銀座で五十嵐家とフレンチを食べた夜を思い出して苦い気持ちになった。
五十嵐美和子に拒絶され、札幌では慕っていた裕司の母親に拒絶された。
自分の息子と私のような人間を引き離したいという母親の強い思い。
その愛情は私にとってはキツイものだった。
「真希姉ちゃん、今日はゆっくり寝るんだよ。おやすみ」
「おやすみ、雨くん」
♢♢♢
「何で? 私の味方だって言ったよね」
雨くんに連れられたホテルには聡さんが待ち構えていた。
スーツ姿の聡さんを見て、雨くんは私と彼のお膳立てをしたのだと理解した。
「味方だよ。客観的に見て真希姉ちゃんは聡さんといた方が良い」
「何があったか知らないくせに、適当な事言わないでよ」
雨くんが私の言葉に顔を顰める。
「真希、何か会ったの? 母と夜パフェを食べた事までは聞いてるんだけど、それ以降は消息不明だって聞いて探してたんだ」
聡さんが私の腕を掴みながらいう言葉に溜息が漏れた。五十嵐美和子は本当に狡い女。自分で私を遠ざけたのに私のせいにしようとしている。きっと、それができてしまうのは私が聡さんを想っている事を分かってて利用しているのだ。男女の想いではない人間的な好き。一緒にいて楽しくて一生一緒にいたくて。そんな気持ちを抱いている私。私とノーマルな女の違いは性欲の有無だけ。それだけで、どうしてこんなに世の中から掃き出されるのか。
「どんな夜パフェを食べたか、まずはお母様に聞いてみたらどうですか? 聡さん、会いたありませんでした」
聡さんがスマホを開きメッセージを送っているのが見えた。
言葉を言葉のままに捉える。本当に育ちの良い人だ。
「雨くん、騙し討ちはやめて。私はそういうのに喜ぶタイプじゃないの」
私の言葉に2人が息を呑む。雨くんは顔を顰めた。
「ごめん。うちの母が何か真希に言った? 俺、何も分かってなくて。俺と一緒にいるのが不安だから逃げたの? じゃあさ、期間限定の契約結婚でもしてみない?」
「もしかして、今、私を笑わそうとしてます? ネット広告によく出てくる漫画を鵜呑みにする程バカじゃないでしょ?」
昨今、スマホをひらけばしつこいくらい出てくる漫画の広告。「女よけに俺と契約結婚してみない?」イケメン御曹司のセリフから始まる陳腐な物語。女よけなら地味女は選ばない。誰にも勝てない女ではないと女よけにならない。そして、商社にもお預かりの御曹司はいたが、お坊ちゃま達はいつだって恋愛より家業をみている。
「バカになりたい。真希と一緒にいる時間が楽しいから。俺の母から嫌な事言われた? でも、母なんて関係ないし、俺はお気楽な次男坊だから後継ぎ作らなきゃいけないプレッシャーもない」
「本当に何も分かってないんですね」
五十嵐美和子は聡さんに何も求めていない。求めているとすれば、彼が幸せになること。私では彼を幸せに出来ないと判断され、私は切られたのだ。