私は今まであった事で話せる事をできるだけ渡田さんに話した。
「原裕司、相変わらずね」
渡田さんが溜息を吐く。彼女は元々裕司をあまりよく思ってなかった。
「でも、確かに祐司の母親の気持ちは分かるんです。祐司の母親からすれば、わたしは詐欺師で⋯⋯」
どうして私は原家の嫁として上手くやっていけるなどという幻想を抱いていたのか。
何度か我慢して性交渉をして子供を産めさえすれば、彼の家の嫁として受け入れられると思っていた。
ニコニコ裕司の婚約者としてやっていた時は理想の嫁だと受け入れてくれた原一家。
アセクシャルだと黙っていたのは悪かったが、仕事を辞めさせ『別れさせ屋』まで雇って私の尊厳を傷つけた罪はなかったように私だけを責める。
(悔しい⋯⋯)
「詐欺師は原裕司の方よ。私が真希ちゃんの代わりに復讐しておいたから大丈夫。原裕司は来月には東京に戻ってくる事はないと思うよ。厳重注意されて、もしかしたら自ら退職するかもね」
「えっ? 裕司が? どうして?」
「私、原裕司が会社の経費横領しているのをリスト化した上に、残業代月100時間以上申請してますが、半分以上喫煙室にいる事を密告したからね」
「なるほど、まあ本店に戻れないだけで十分復讐になっていると思います」
祐司は注意されても、退職する事はない気がする。
ただ、東京の本店に戻れない事は、原家への復讐にはなっている。
原家は地主であの家は祐司が継ぐことになっていた。
「ちなみに服部倫也室長も依願退職したよ」
「どういう事ですか?」
私は頭の中でクエッションマークが浮かび続けた。
「さっき、真希ちゃんが札幌の会社が緩すぎで無理だったって話をしてくれたじゃない? 地方ってそんな感じよ。私も自分が地方出身者で親が小さい会社やってたから分かるんだ」
「そうなんですね。まあ、慣れてしまえば緩さも受け入れられたかもしれないのですが、東京のかっちりした感じに慣れてるとキツイですね」
なぜ、急に札幌の『レッドグルメ』の話になったかは分からないが、私は彼女の話を聞くことにした。
「それって、周りが緩いから楽な方に流れた結果なんだよね。結構、アウトな事やっているのにみんながやってるから気が付きもしない。でも、ちゃんとやってる人は必ずいるの。真面目にやっている人が損するのは違くない?」
私は『レッドグルメ』の職場を思い浮かべていた。
編集長と関係を持った方が発言権があり、仕事が円滑に進みそうな雰囲気。
そんな中で真面目に仕事していて嫌な人がいる。
すぐに逃げ出した私には分からなかった。
「三友商事も立ち回りが上手い人が得をして、真面目にやっている人が損する傾向にはありますね」
渡田さんが深く頷いた。勤続30年の彼女には私の見えていない風景も見えていそうだ。
「ずっとムカついてたのよ。服部倫也室長ね。綺麗でできる奥さんと結婚して、愛妻家気取り。それなのに、若い派遣に手を出しまくり。私的な交際費も会社の経費で落としてるからね。それ、横領だから」
「確かにその通りです。私、服部室長にはよくしてもらってたので、彼に嫌な感情は抱いてませんでしたが結構クズですよね」
「服部室長は、相手を見て手を出してるからね。まず、正社員には絶対手を出さない」
確か彼の社内メールを解析していたが、派遣ばかりに手を出していた。
若い派遣にはボディータッチが多い彼も私には触れなかった。てっきり、私がそういうことが苦手なのを気が付いてもらえたと解釈していた。
あれだけ浮気男を破滅させてきた私が許容していた男を渡田さんは許していない。
渡田さんは事務職とはいえ勤務歴が長い。
服部室長を含め多くの社員が彼女に気を遣っていた。
私の知る限り彼女は服部室長から直接の害は受けていないはずだ。
それでも、自分の退職と共に人事に告発するくらいの憎しみと執着を持っていた。
その怒りの根源が何かは分からない。ただ、商社に勤める男には会社に残っている事務職を少し馬鹿にしているようなところがある。
事務職はお嫁さん要因的な要素があり、残っているという事は売れ残れだと見做される。
渡田さんは安定した仕事をしながら、独身で趣味を楽しみたいという価値観を持っている人だと以前から思っていた。
しかしながら、商社の男どもは自分達から選ばれなかった女としか、30歳過ぎて残っている事務の社員を見ない。
もしかしたら、渡田さんも服部室長から嫌な事を言われたりしたのかもしれない。
人が執着するのりは必ず理由がある。
「派遣は3ヶ月でいなくなりますしね」
「でも、派遣の子は上の人とうまくやれば更新して貰えるかもって期待するでしょ。そういう気持ちを利用してるの」
「それ、かなりヤバくないですか」
「もちろん、絶対そんな言動はとってない。でも、派遣の子の期待感を利用してる」
私は服部室長の社内メールボックスの浮気相手リストを脳の中で再生する。
「あれ? 服部室長、正社員にも手を出してません?」