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第92話 まず、地方出身者とか女を馬鹿にしてるじゃない。

「自分の室以外の社員には言い寄られたら手を出してたみたい。自分の室の女性社員には手を出していない」

「人事評価があるからですか?」


 渡田さんがコクコク頷いた。彼のスピード出世の裏には抜群の人事評価があった。

人事評価というのは上司からだけではなく、同じ室の部下からもされる。


かくゆう私も入社して間もなく、服部室長を評価するシートがメールに送られてきた。

服部室長に「宜しく」と耳打ちされ、彼にはお世話になっていたので最高評価で提出した。


 彼の私への親切は全て自分のためだったようだ。


「私、三友商事退社前に、人事部に彼の仕事の経費の横領と、社内メールでの不倫の証拠の数々を人事に転送をしたのよ。その後、服部室長は呼び出しくらって、程なくして依願退職したわ」

「もしかして、自慢の奥さんと離婚もしてませんでした?」

「よく知ってるね。流石、情報通の真希ちゃん」


 やりたい放題の天国から地獄へ、服部室長は職も失い豪邸から追い出され今何をしているのやら。


それにしても、直接害を受けたわけではないのに、渡田さんの鉄槌の下し方が恐ろしい。

浮気男とビッチ女が許せなくて社会的に破滅させていた『別れさせ屋』を始めた頃の私のようだ。


「渡田さん、裕司のことも嫌ってましたよね」

「真希ちゃんには悪いけど、原裕司、本当に嫌いだったわ。まず、地方出身者とか女を馬鹿にしてるじゃない。 ペーペーの時からそうだったのよ」

「それは分かります⋯⋯」


裕司は東京生まれ東京育ちを鼻にかけている節はあった。

やはり東京に先祖から守ってきた土地があり、地元の人間にチヤホヤされてきた影響もあるだろう。

祐司が女を馬鹿にしていると感じたことはないが、彼の家は父親が外で働き、母親は完全なサポートに回っている。


そういった環境で育っているが故に、女は男のサポートをするものだとい考えを持っているのは確かだ。

事実、私も彼のプロポーズを受けるなり直ぐに仕事を辞め、結婚準備をしてくれと言われた。


「それに、原裕司も経費の使い方が服部室長と同じで緩い! しっかり真面目に私的利用と仕事の利用を分けて申請している人より、アイツが評価されているのっておかしくない?」

「確かに祐司の同期の南野明日香さんとかキチっとしてますよね」


 私は隣の室の経費の精算も行っていた。隣の室の南野明日香さんは領収書の裏にがっちり、出席者を全員書く。そして、ランチミーティングにしても会議をするような場所でないレストランなどでのミーティングは交際費として計上してくる。会社にあるマニュアル通りにしっかり仕事をする方だ。男性の社員は領収書を貰えば経費で落とせると勘違いしている節がある。特にバブル世代はキャバクラも交際費として計上できた過去があるからか、未だに接待後に行ったキャバクラの領収書を持ってくる方もいた。酷い場合は同期との飲み会を接待だと偽って会社の経費で落とそうとする。


 そして、裕司は会社のマニュアルより、緩い適当な先輩に習うタイプ。


「南野明日香さん、原裕司の代わりにスペイン行ったわよ」

「そうなんですか、実力的には順当ですね」


 客観的に見て裕司より南野明日香さんの方が優秀だった。しかし、女性というのは男性よりも出世し難い。それは妊娠、出産で仕事を一時離脱する可能性があるからだ。1人目の育児休暇が終わりそうな時、2人目を産み、その育児休暇が終わりそうな時3人目を産むというような事をする方がいたらしい。妊娠、出産については自由だが、そういった女性社員の例があると怖くて大きな仕事は預けられなくなる。アラサ

ー独身の彼女が5年くらいはある海外駐在に行くことになったのはレアケース。


 ふと、自分のスマホが光ったのが分かり、メールを見る。

『忍者の妻を辞めて、弁護士に戻りました。真希さん、一緒に働く気になったら、連絡くれる? 月収40万円は出せるわよ。城ヶ崎百合子』


 私は思わず「40万円!」と心で叫んでしまった。

メールは先程、話題に出ていた服部室長の元妻である百合子さんだ。


「渡田さん、私、明日には東京に戻ります。色々話せて良かったです」

「ちょっと待って! 流石に十五時間フライトして、明日戻るのは勿体無いわ」

「でも、それだけ長くフライトして来た甲斐がありました。活力を渡田さんから頂けた気がします」

「プフッ。流石に、真希ちゃんの親でもおかしくない年齢の私から活力って、それはないでしょ」


 渡田さんが爆笑しているが、私は間違いなく彼女から活力を貰った。

「1人で生きていく」のが嫌で、正体を隠し結婚しようとしたり苦しんでいた。

でも、「1人で生きていく」を楽しんでいる彼女を見ていたら、自分の悩みは悩みでもない気さえしてくる。

それと間違いなく私を元気づけたのは百合子さんからのメールだ。


 月収40万円で、しっかりした上司のもとで働ける職を逃したくはない。

私は城ヶ崎百合子に彼の元夫から紹介された時から憧れていた。


 専業主婦になっても全てにおいてパーフェクトにこなす完璧主婦。

そして、会って話してみると、非常に合理的な性格だと分かった。

上司としては非常に理想的だ。


「とにかく、少しは泊まって行きなさいよ。明日、オペラあるから観にいきましょ」

「オペラ?」

「真希ちゃん、29歳以下だから3000円くらいで観られるわよ」


 どうやら、トロントではミュージカル、オペラ、オーケストラなど29歳以下は安価で観られるらしい。

日本がシニア料金を設定しているのとは逆だ。私にとっては初オペラ。そして、衝動的に来てしまったが、私は初めて日本を脱出している。

 祐司とのスペインに備え作ったパスポートをカバンに入れっぱなしにしていた事で、私は新しい扉を開いた。


「オペラ、私も観に行きたいです!」

「そう、来なくっちゃ」

 海外に行くと人生観が変わるなんて事はないと思っていたが、私は確実にここに来たことで「結婚して家族が欲しい」という呪縛が解かれ始めていた。



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