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第13章 美味しい関係が苦過ぎる

第103話 浮気されたなんて恥だと思ってます?

今日は私の初出勤だ。

神奈川県川崎市の武蔵小杉。

二十年くらいまでは中小の工場が多かった場所。

今は所狭しとタワーマンションが建っている。

そこの雑居ビルの3階に、百合子さんは「城ヶ崎百合子法律事務所」を構えた。


1台しかないエレベーターを上っていくと、3階に到着する。

エレベーターが開いた途端、廊下もなく事務所。

「百合子さん、今日から宜しくお願いします!」


「久しぶり、真希ちゃん。遠かったでしょ、神奈川は」

「めちゃくちゃ近かったです。渋谷から15分くらいで来ましたよ」

「そうなの? 車だと結構掛かったわ」


百合子さんは松濤の家にまだ住んでいるのだろうか。

わざわざ此処に事務所を構えた理由が不明だ。


「まあ、座って。契約するから。真希ちゃんって真面目ね。まだ、始業の30分前よ。後でパラリーガルも来るけど、その人は時間ぴったりにくるの」

「それはそれで難しいですよね。多分、その方は時間ピッタリまで周辺で時間を潰していたりしませんか?」

「えっ? その可能性は考えなかったわ。私と2人きりが気まずいのかも。結構大人しい子なのよ」


百合子さんに促され応接セットの椅子に座る。

白く清潔感のある革張りのソファーは新品で有名デザイナーのもの。

デスクも時計もお洒落でお金の掛けている。

(お嬢様だもんな。それなのに、この雑居ビルを選択したのは以外⋯⋯)


私が椅子に座ると、クリスタルのグラスに赤いお茶を淹れられた。

グラスを裏を見ると有名ブランドの刻印がある。一個5千円はするはずだ。


口にしたお茶は、甘酸っぱい木苺の味がした。

「美味しい」

「でしょ。さっき、あそこのショッピングモールで買ってきたコーディアルなの」

「2500円くらいするものですよね」

「そうだったかしら」

ここでお金の話をするのは下品だと思いつつも、会社の経費で購入しているのだろうから口を出すべきだろう。


「クライアントに出すのは麦茶かアイスコーヒーで良いと思いますよ」

「でも、それだと飲む喜びがなくない?」

「飲む喜びいらないです。相談に来ているのですから」

百合子さんは目をぱちくりした。

渉外弁護士事務所で働いていた経験はあるらしいが、自分で備品などを揃えるのは初めてなようだ。

(経営も初めてだよね⋯⋯)


彼女のサバけた感じが好きで理想の上司だと思っていたが、早速不安になってくる。



「百合子は渋谷とかに事務所を構えるのかと思ってました」

「実は、私、横浜の事務所に働いてたのよ。弁護士登録も神奈川でしてるの。司法修習が横浜で、結構気に入っちゃって」

「そうなんですか? なぜ、横浜ではなく川崎市の武蔵小杉に事務所を?」

「知り合いに会いたくないのよ。雑踏に紛れたいっていうか⋯⋯披露宴の招待客とかに嘲笑されそうで」


人というのは分からない。

百合子さんは堂々として見えて、意外と繊細な人だ。

「披露宴って、15年以上前ですよね。流石に皆さんそれぞれの人生に必死で人様の結婚式は覚えていないかと思います」

「そうかしら? 私は出席した結婚式の席次まで全部覚えてるわ」

彼女は離婚を人生の失敗だと思っているようだ。


「離婚なんて珍しくもないと思います。別にマイナスなイメージもありません。私は幼少期、親の離婚を望んでましたよ」

「そお? うちの親戚に離婚した人間など存在しない勘当だ!って父から責められたわ」

「それは酷いですね。百合子さんは浮気された側なのに」

「⋯⋯浮気された事は、親には隠してるの。離婚理由は性格の不一致って事で説明してるわ」


予想以上にがんじがらめの考え方をしている彼女に私は驚いてしまった。


「もしかして、浮気されたなんて恥だと思ってます?」

「そりゃそうよ。そんな男を選んだのも、そんな男を繋ぎ止められなかったのも私なんだから」

「百合子さん、その考えは流石に⋯⋯浮気する男を見抜くのって難しいと思います」


美人で賢く、お嬢様育ちの彼女の価値観は、クズ親に囲まれ幼少期に地獄を見た私の価値観とは全く異なっていた。

私から見ると、百合子さんに落ち度はないように見える。

挫折を知らなそうな方だから、男選びの失敗のショックが大きいのかもしれない。

彼女はこれから企業ではなく、人を相手にする弁護活動をするなら今のような発言は結構まずい気がする。

経歴から察するに社会の上澄みしか知らない彼女に少しの不安を覚えた。


駐妻のような閉鎖的コミュニティーでやっていけるコミュ力があるのだから、顧客の前では発言に気をつけると信じたい。


「ふふっ、それもそうね。まずは、契約をしましょうか」

百合子さんの感覚に不安になっていた私だったが、雇用契約書は非常にしっかりできていた。

お嬢様で庶民の感覚はないが、仕事はできそうだ。


「ホームページの作成って今から私がするんですよね。広告もこれから出すって感じですか?」

「そんな不安な顔しないで。とりあえず収入は弟の会社の顧問弁護士って事で確保できているから」

「顧問弁護士!? 弟さんも会社を経営しているんですか?」

「父が経営している会社の子会社だけどね」


先程、百合子さんは親から勘当されたような事を言っていた。

それでも、弟さんとの繋がりはあるようだ。


そして弟さんの会社は百合子さんの父親のグループ会社を。

「勘当された」とか言いながら、親のお世話になっているようにみえる。



私はマリアさんがレズビアンをカミングアウトした事で勘当されたという話を思い出していた。

マリアさんは悠々自適な資産家の令嬢で、『別れさせ屋』というアウトローな仕事以外の就業経験がない。


セレブの世界はよく分からないが、「離婚」や「LGBTQ」に対して世の中より厳しそうだ。

実際、多様性と言われても世の中は「LGBTQ」に対して冷たいのは私自身が体感している。


「人を愛せるだけで羨ましい」みたいな事を言って、マリアさんをカミングアウトするように唆したのは私。

 私は子が「LGBTQ」とカミングアウトした時の反応なんて想像してもいなかった。

マリアさんのような恵まれた人はカミングアウトしても、親に抱きしめてもらえると思っていた。


 実際、私はマリアさんの家が資産家という事しか知らない。

勝手に働かなくてもお金があるから、親に愛情持って育てられたと嫉妬まじりに誤解してた。


(今は、まず自分のことだ)

契約書にサインをしていると、エレベーターの到着音がした。








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