戸部マリア、28歳。
私が沢田法子と付き合い始めたのは大学になってからだ。
乗馬サークルの先輩で私から告白して交際が始まった。
馬に乗る姿が男装の麗人のようで美しくて、先輩は私の憧れだった。
人付き合いが苦手と言いながら、私の前ではとてもお喋りになる。
その事で私は彼女にとって自分が特別なのではないかと意識し始めた。
法子さんは私に恋愛感情があるかはわからないけれど、人として好きだと言ってくれた。
私の恋愛対象は女だ。
幼い時に誘拐された男に悪戯をされてから男が怖くなった。
家族以外で唯一心を許せる男は聡だけだ。
昔から知っている事と、彼は決して私に乱暴しないと分かっているからだろう。
法子先輩は高校の時に男性と付き合った事があるが、女性と付き合うのは初めてらしい。
彼女が高校の時に付き合っていた恋人はモラハラDV彼氏だったと話を聞いた。
私は同じように男性に乱暴された彼女は、私と同じような傷を持っていると私は勘違いしていた。
別れは突然来た。
法子先輩の乱暴な元カレが法子先輩の大学卒業と同時にプロポーズして来たのだ。
その時に私は話に出ていた元カレの正体を知る事になる。
彼は法子先輩の高校の時の教師、本田雅治だった。
同じ大学付属の高校に通っていた私はその人を知っていた。
温和で優しい先生だったのに、学生に手を出し乱暴までしている。
誰にも聞かれてはいけないという事で、私たちはラブホテルで別れ話をした。
私がウィッグをつけて男の格好をしているのを先輩は笑っていた。
川上陽菜に脅されたラブホテルの映像には沢山の秘密が詰まっていた。
教師である本田雅治が学校の学生に手を出し、乱暴を働いていたこと。
そんな男と法子先輩は結婚したいこと。
あの動画が明らかになれば、それなりに騒ぎになる。
同じ高校出身ではないから真希ちゃんにはバレなかったが、本田雅治はうちの高校では知らない人のいない人気先生。
はっきり言って、聡のような美形を見慣れている私から見ると若いだけの先生だ。
でも、女子校という特殊な環境であるがゆえに彼はモテた。
どんなにモテても生徒とは一線を引いている雰囲気があったのに、生徒に手を出したとは意外だ。
そして法子先輩もそんな禁断の恋をしそうなタイプには全く見えない。
本田雅治は法子先輩が大学を卒業するのを待っていたと言ってプロポーズして来た。
法子先輩と一緒にいて私は幸せだった。彼女も同じ気持ちだと思っていたが、実際は違ったらしい。
ラブホテルに入るのは初めてだが、閉塞的で淫猥な雰囲気。
壁が赤くて目がチカチカする。誰が使ったかも掃除したかも分からないベッドに法子先輩と並んで座った。
大き過ぎる鏡に映っている自分が酷い顔をしている。
カラオケボックスにすればよかったと後悔した。
あそこに鏡はない。
周囲は私を美人だとかナイスバディーとか言うが私は自分が嫌いだ。
私が女でなければ、あんな被害には遭わなかった。
もしかしたら、男の子相手でもあの変態男は悪戯しただろう。
急に寒気がして私は自分の体を抱きしめる。
男が怖い、女の方が綺麗だし人に乱暴したりしない。
固定観念だと分かっていても、少なくても私の中ではそうだった。
『本当に本田先生の元に行かれるんですか? 乱暴されてたんですよね』
『あの時は私も子供で、彼を怒らせるような事をしてしまっただけよ』
法子先輩の頭の中は既に本田雅治でいっぱいだった。
『また、きっと乱暴されます! 男の人って乱暴なんです』
私の必死な訴えを彼女は一笑した。
私はその顔が意地悪に見えて不安になった。
『私と別れるのに未練はないんですか?』
私は蚊の鳴くような声で彼女に尋ねる。
『楽しかったよ。マリア。でも、女同士の私たちにゴールなんてないじゃん。潮時だよ』
彼女の言葉に泣きそうになるのを必死に我慢した。
私は彼女に言いたい事が沢山あった。
これだと、まるで私が本田雅治の不在を埋める為だけに利用されたみたいだ。
でも、私は彼女にそんな事は言えなかった。
聞き上手で大人しく話を聞いてくれる私が好きだと言っていた彼女の理想に私は縋るように合わせ続けていた。
『ゴールって結婚ですか? 結婚なんてしなくても好きな人と一緒にいるだけで十分じゃないですか?』
『⋯⋯好きか。私、本田雅治に身を焦がすような恋をしてたんだよね。そういう感情はマリアには持てない。そもそも私レズじゃないし』
私と別れる為に敢えて冷たくしているのかもしれない。
私はそう思い込もうとしていた。
『キス、してくれましたよね?』
『それくらいできるよ。でも、なんか違うんだよな。先がないって言うか。居たら良いけど、居なくても良いっていうか』
胸をナイフで刺され続けるような感覚。
法子先輩はいつも優しかったのに、この時だけは私を傷つける言葉ばかり吐いた。
『本田先生みたいな人はやめた方が良いと思います。教師なのに生徒に手を出してたんですよ。そう言う不道徳な方は⋯⋯』
私が言いかけた言葉を法子先輩は手で塞いでくる。
『私の好きな人を非難するのやめてくれる? 自分と同じところまで私を落とそうとしないでよ』
一瞬で心臓が凍った。私が法子先輩と過ごした思い出が黒い絵の具で塗りつぶされていく。
告白する時に物凄い勇気を出したこと。初めてのデートにキス。
何もせずに手を繋いで眠った夜。
(汚さないで)
きっと、最初で最後の恋かもしれない。
私はそっと私の手を覆う法子先輩の手を取る。
『法子先輩の幸せを心から祈ってます。結婚の邪魔になるといけないんで、私たちはもう会わない方が良いですね』
『ありがとう。マリアなら、そう言ってくれると思ってたよ』
彼女はニコッと笑って私の唇に軽く自分の唇を合わせてきた。
決して良い別れをした訳ではない私と先輩。
しかも私はその時の動画で脅されもした。
それなのに、私はまた法子先輩の手をとってしまう。
法子先輩は大学卒業と同時に結婚した。
法学部に通っていた彼女は弁護士を目指していたが、本田雅治が今時珍しく妻は専業主婦が良いというタイプだったので諦めた。
恋愛とは好きになった方が負けなのだろう。
私は彼女の言いなりだったが、彼女は本田雅治の言いなりだった。