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第116話 そんなに買い物が大切だった?

父と母が仏像のように凝り固まっている。

私と法子先輩は向かい合うようにソファーに座っていた。

いつも柔らか過ぎると思っていたソファーが今日は固く感じる。


「初めまして。沢田法子と申します。マリアさんとは大学生時代からの付き合いです」

開口一番、私との付き合いの長さを主張する法子先輩。

私は混乱していた。


私は彼女と付き合っていたと認識していたけれど、彼女は本田雅治が戻ってきたら私を直ぐに捨てた。

まるで、元々私の事など好きではなくて寂しさを埋める為だけに一緒にいたと言っているようだった。


「ご結婚なされてましたよね」

母が言いずらそうに伝える。

唇が震えていて声を出すのも辛そうだった。


「はい、してました。でも、マリアが放って置けなくて」

私をチラリと見る法子先輩。

その真っ黒な瞳に私が映っていない。

そんな訳ないと食い入るように見つめても、どこにも私はいなかった。


「放って置けないとはどういう意味で」

父の発言に法子先輩がクスッと笑う。

私は彼女が次に何をいうのかわからなくて怖くてたまらなくなった。


「どデカいトラウマを抱えた子ですから。当然一般的な生活はできないと理解しております」

「えっ?」


私は思わず気の抜けた炭酸のような声が出た。

彼女は私の誘拐事件のことを話しているのだろう。

大々的にニュースになったその事件。

彼女を含めて私と直に接する人間は皆それにあえて言及しない。


一般的な生活とは何のことか分からない。

確かに私は大学を卒業してから働いてはいない。


『別れさせ屋』の仕事をしていたけれど結果は出せなかった。

お金を稼ぐことが働くというなら私は無職。


『金持ちニート』法子先輩の言葉は言い得て妙。

でも実の所、私の一族は広大な都内の不動産収入で暮らせていてガツガツ働いてはいない。

毎日のように職場に行くことを働くと定義するならニート一家だ。


「マリアが離婚の原因だったのかな?」

父が頭を抱えながら尋ねている。

(違う! 違う!)

喉まで声が出かかっているのに、私は法子先輩を失いたくなくて声が出なかった。


「そうです。こんなに可愛い子を放って置けないじゃないですか。子供の頃の被害も彼女の落ち度は何もありませんよね」

私を見せつけるように抱き寄せる法子先輩。

母は突然息が苦しそうに仕出した。


強いストレスによる過呼吸症状。

うちの家族にとって私の誘拐事件がどれだけ闇を落とした大きなことか法子先輩は理解していない。


「私、ロースクールに行きたいんです。学費を出してくれませんか? これから戸部家の不良債権である戸部マリアの面倒を見るんです。できますよね?」

私はこの時になって初めて自分が両親にとって残念な存在なんだと気がついた。

自分は彼らの娘だから無償の愛を受けるのは当たり前だと勘違いしていたが本当に愚かだ。


「それから生活費、マリアは月いくら使っているか把握してないようですが、最低でも月100万円はください」


この時には私は理解していた。

法子先輩が口にするのはお金の話ばかり。

彼女は私の事など愛してなどなかった。

だけれども、お金がありそうだから私を利用しようとした。


「いい加減にしないか。金目当てでうちに近づいてきたのか」

ポロポロととめどなく流れる涙を流す母の背を撫でながら言う父。

私が目を背けていた事実を随分と簡単に言ってくれる。


「マリアさんを愛しています。ただ、彼女が苦労しないような経済的支援の確約を求めてるだけです。あくまで私の言葉は彼女への愛から出るものです」

私の頬をぐいっとして、私を見つめる真っ暗な瞳。

その瞳には何も映していなかった。


私は頭では理解していた。

彼女が私に擦り寄ってきたのは最初は寂しさを埋める為で今は経済的な理由。

それなのに、私は変な意地を持ってしまった。


「⋯⋯こ、こんなお金目当てで寄ってくる人やめなさい」

息苦しそうに私に伝えてくる母は心から私のことを考えている。


「お金目当てなんかじゃない。私と法子先輩は心から愛し合っているの」

家族相手に私は謎の捨てられないプライドを発動させる。

私は本当に情けない人間だ。


ろくに働いたこともなければ両親におんぶにだっこ。

親に散々心配と迷惑をかけているのに、まだまだ隠している面倒ごとがあった。

私は自分がとんでもない不良債権だと認めたくない。


私には愛してくれる人がいる。

ちゃんと自立できる。


「私がこんな風になったのって、全部お母様のせいでしょ」

私は自分でも何を言っているのか分からなかった。

でも自分の価値を保つ為に母を批判する言葉が止まらない。


母が唇を真っ青にして震えている。

それなのに私は彼女への口撃が止まらない。


「どうしてトイレに付いて来てくれなかったの? そんなに買い物が大切だった?」


自分でも言うはずのなかった言葉が溢れてくる。

母の双眸から涙が溢れ出てきた。

私と同じように、それ以上にあの事件で傷ついている母を見てきた。

あれ以降、母はなかなか食べられなくて20キロ以上痩せた。


通常の生活を取り戻すまでには多くの時間を要した。

取り戻せない時間で母の一番の傷を私は責めている。


突然、頬に鋭い痛みを感じる。


「マリア、勘当だ! 二度と戸部家の敷居を跨ぐな!」

父が私を引っ叩いたようだ。

私は被害者なのに、一生気を遣わなければいけなかったのだろうか。

その時はそんな被害妄想に取り憑かれていた。


母が崩れ落ちるように泣いている。

「金目当てとか、乞食扱いされてまでご両親に関わりたいとは思いません。行こう、マリア」

私の目の前に差し伸べられた法子先輩の手。

私はその手を取るしか選択肢がなかった。


今まで散々愛情を注いでくれた両親を捨て、私を何とも思ってないような人の手を取る。

そんな状況私自身が一番良く理解していた。

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