法子先輩に引っ叩かれて、私は思わずその場に倒れ込んだ。
「大袈裟! 何なのそれ、私が悪いみたいじゃん」
呆れるように呟く彼女を私はじっと見る。
私が好きだった彼女はそこにはいない。
女の彼女なら安心だと思っていたが、彼女も暴力を振るう人だった。
「別れたい。私、もう、法子先輩と一緒にいたくない」
頬を抑えながら訴えると彼女はふっと笑った。
「私から離れてどうするの? アラサーで生活能力もない癖に。何もできない不良債権を面倒見てあげてるんだよ」
私の髪を掴みながら囁く彼女に私は何も言えない。
本当は言いたい事は沢山あった。
今住んでいるマンションも私の部屋。光熱費も私が支払っている。
彼女は客観的に見れば転がり込んで来た居候だ。
何も言い返せる訳がない。
部屋も光熱費を払っている貯金も両親のお金。
私には何の力もない。何もできない不良債権。
「⋯⋯」
「私はもう仕事行くから。ちょっと反省してよね。これ以上苛立たせないで。流石にご両親に養育費請求したいわ。こっちは馬車馬のように働いているんだから」
法子先輩はそう言い残すと部屋を出ていく。
私は1人残された部屋で絶望していた。
誰にも必要とされていない、何もできない自分。
アラサーなのに両親の助けがないとどうにもならない。
法子先輩が両親にお金をせびりに行くと言っていた。
もう、これ以上両親を失望させたくないし、迷惑もかけたくない。
私はキッチンに行き包丁を手に取る。
そのまま自分のお腹を一思いに刺した。
びっくりするくらいこの世に未練がない。
何の為に生まれて来たのか自問自答する日々から解放されると思うとホッとした。
♢♢♢
目を開けると見知らぬ天井がそこにある。
真っ白で飾り気のないシーリングライト。
(病院?)
「やっと起きた? 流石に構ってちゃんの自殺未遂みたいなのは止めて。忘れ物取りに帰ったら切腹しててびっくりしたわ。せめて浴室で手首切ったら?」
半笑いの法子先輩の顔がそこにあった。
彼女は私が本当に好きになった人だけれど、今は知らない人のようだ。
いつからこんな人だったのか分からない。
変だと思うところはあったけれど、今は怖い。
そして私は死ぬ事に失敗したようだ。
衝動的にしてしまった事で死んでいなくてホッとしている自分がいる。
これ以上、両親を悲しませるようなことはしたくない。
「法子先輩。私たち別れよ」
「また、その話? 私以外付き合った事ないから分からないのかもだけれど、別れ話で気を引くのってうざいよ」
「私、もう法子先輩のこと好きじゃない」
「ああ、そうですか。じゃあね。バイバイ」
ビックリする程、あっさりと病室を出ていく彼女に私は一瞬放心とする。
その後、看護師さんから発見が早くて大事に至らなかったが一日様子を見るとの話があった。
しんっとした個室の病室。
自殺しようとしたなんて事が両親に知られていなくて心からホッとする。
私はスマホの連絡先欄を出し、五十嵐聡に連絡をした。
五十嵐聡は私が病院にいると聞くと、すっ飛んで来てくれた。
「マリア、どうした?」
真っ青な顔した聡に私は申し訳なくなる。
彼は本当に優しい人だ。
私が脅されていると知り、『別れさせ屋』の手伝いという危ないことまでさせてしまった。
「ちょっと、手を滑らして包丁でお腹切っちゃった」
明るく言ったのに、絶望顔をする聡に私は居た堪れなくなる。
「うちの母がね。帝王切開で私を産んだらしいんだけど、こんな感じかな? みたいにやってみた」
私は小学校からのエスカレーターで進学して大卒だが、頭は決して良くはない
自殺未遂の言い訳も酷すぎる。
「⋯⋯馬鹿、マリア。しっかりしろ」
聡が私の肩を痛いくらいに掴んで目を見据えてきた。
彼は私の嫌いな男なのに、私を安心させてくれる人。
私の両親も心から私を愛してくれていた。
それなのに、恋している自分に酔って、傷ついて追い詰められ馬鹿な事をした。
私は目の前の男には幸せになって欲しい。
「私はもう大丈夫。それより、私は真希ちゃんが心配なの」
「真希?」
怪訝そうな顔をする聡に私は頷いた。
彼も流石に一面トップだった原裕司の起こした事件は知っているだろう。
「原裕司の事件、真希ちゃんがワザと彼を刑務所送りにするように誘導したんじゃないかな」
「いくらなんでも⋯⋯」
髪をくしゃくしゃやる聡には本当は思い当たるところが沢山ありそうだ。
「真希ちゃんは復讐相手を社会的に葬ってきた。はっきり言って、オーバーキル! でも、変わって来てたよね」
真希ちゃんが処理した『別れさせ屋』の仕事のやり方には明らかにわかりやすい違いがある。
最初はターゲットを再起不能なまでに痛めつけていた彼女。でも、ある時から彼女はクズなターゲットにも寄り添うような行動を見せている。
原裕司は真希ちゃんを苦しめた超本人。
彼への復讐は終わったはずなのに、残りの人生詰むくらいの報復を彼女は追加でした。
「聡! しっかりして、聡と過ごして真希ちゃんは変わってたの。でも、元に戻っちゃったというか、前より酷い⋯⋯」
扉をノックする音と共に私の両親が現れた。
私は思わず聡の顔を見る。
彼が両親に連絡したのだろう。
父も母も目に涙を溜めている。
私は日本一の親不孝者だ。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」
私が開口一番に言った言葉を聞いて、2人の目から涙が溢れた。