沢田法子と接して以来ずっと感じていた嫌な予感は的中した。
なぜマリアさんがあの女に惹かれたのかは分からない。
沢田法子は相手によって見せる自分を変える人間だ。
ボスである城ヶ崎百合子に対しては腰が低く大人しい。
しかし、特に法律の専門家でもない私に対しては上から目線だ。
城ヶ崎慎一郎と婚約してから当たりはより強くなった。
給湯室で二人になった時に、ボソッと私を避難するような事を聞こえるか聞こえないかの声で囁く。
きっと私を傷つけたいのだろうが、その程度で傷つく甘い人生は送ってきていない。
「あざと女」、「若いだけ」など彼女が言ってくる言葉は私も自覚している。
人に好かれたいと気が付けばあざとく振る舞う自分が私自身も嫌いだ。
「若い」と言うのは城ヶ崎慎一郎が私を婚約者として採用した理由の一つだろう。
彼が私と結婚する目的は跡取りを作ることだけなのだから。
「すみません。マリアさんのことは私に責任があります?」
「えっ? 真希に責任があるなんて、そんな訳ないだろ。沢田法子には責任があるだろうけれど」
聡さんの言葉に頭がモヤモヤした。
沢田法子のような人間は別に特別でもなんでもない。
彼女は自分の雇い主である城ヶ崎百合子は尊重するし、マリアさんのことも愛していれば尊重しただろう。
でも、彼女はマリアさんを愛していなかったのだ。
付き合った理由も曖昧で、他の男と結婚し、うまくいかなかったら資産家のマリアさんの財産を狙ってくる。
そんな自己中心的で周りを傷つける人間などいくらでもいた。
ただ、マリアさんのようなお嬢さんが好きになる人はまともなのだと勝手に勘違いしてしまった。
「私が人を好きになれるだけで羨ましいなんて無責任なこと言ったらから、あのクズ女とよりを戻したんでしょ!」
私が少し大きな声を出してしまったのに、聡さんがびっくりする。
程なくして、メイン料理のマヒマヒのポワレが運ばれてくる。
グラスに白ワインが注がれるのを見ながら私は自分の気持ちが沈んで行くのが分かった
(一番のクズは私だ⋯⋯何やってるんだろ)
愛のない結婚を元からするつもりだった。
愛はなくても、経済力があれば良い。
ケチな私が値段も確認しないくらいのディナー。
聡さんがこのディナーを予約していたら、私は色々と指摘していただろう。
今注がれた白ワインは大手家電量販店の酒売り場でも売っていたのを見たことがある。
所詮その程度のワインを仰々しく、ワインクーラーに入れて高く振る舞う。
外回りばかり綺麗でも口をつければ、その質は大したことないと分かるだろう。
でも、このクリスマスイヴという特別な日とイルミネーションを望める夜景が相まって判断力を鈍らせる。
この部屋は窓がないから、提供された飲みの物とメイン料理と向き合いやすい。
ワインは翌日残るような安い味をしているし、メインのマヒマヒもエグみが残っている。
個室に案内してくれたのはありがたいが、このレストランはその程度だ。
聡さんと食べる食事はどれも美味しかったが、眼前の料理は美味しくない。
というか味がしない。
マリアさんが自殺未遂をしたという事実が私を追い込む。
私は自分の人生がいくら最悪だと思っても自ら命を断とうと思ったことはない。
マリアさんのような側から見れば経済的苦労を一生しなくて済み恵まれたルックスをしている人が死にたいと思った。
それは、彼女が本当に愛する人から裏切られた証でもある。
私も一度だけ死にたいと思った時があった。
五歳の時に誰も迎えに来ない保育園で三番目の連絡先である祖父の連絡先に先生が電話していた時だ。
私は自分が親に捨てられたのだと知った。
私の母は私が生まれてから一度も祖父に私を見せにいっていない。
連絡先だって許可も得ず勝手に記入したのだろう。
私は両親に捨てられた事を悟ると同時に、まだ見ぬ祖父が私を受け入れていくれるか不安で仕方なかった。
それと同時にこれ程に皆がいらないと言っている自分の存在意義を考えた。
このままいなくなれば皆ほっとする。
もう昔のことなのに、あの時の地獄のような感情だけは鮮明だ。
マリアさんがどんな事を考えて絶望したのか、彼女と違う私は分からない。
ただ、私が両親を愛し振り向いて欲しくてもがいて捨てられた絶望。
同じものをマリアさんが抱いたとしたら⋯⋯。
「真希、大丈夫か?」
聡さんが手を伸ばして私の頬に伝う熱いものを拭う。
彼は私をマリアさんを思って泣いたと考えていそうだ。
実際の私は、自分が五歳の時捨てられた時を思い出し堪らなくなっている。
「大丈夫です。マリアさんって人を見る目がないですね。私は初見で沢田法子がクズだって見抜きましたよ」
全くの嘘だ。
私は彼女と初対面で羽田空港であった時は好感を持っていた。
ただ別の場面であったときに彼女が人を値踏みするような人間で、安く見られ蔑まれ傷ついただけ。
「沢田法子は確かにクズだが、城ヶ崎慎一郎は大丈夫か? 半年前に離婚したばかりで真希と婚約って⋯⋯。それに、さっきエレベーターの上ボタンを押してたぞ」
気まずそうにする聡さんは自分がヤキモチを焼いていると誤解されたくないのだろう。
ヤキモチをまだ私に焼いてくれるのならば、ありがたい。
婚約者である城ヶ崎慎一郎は、今宵私が誰とどうしようと興味がないのだ。
「スイートルームで恋人を待たせているんです」
人の秘密を勝手にアウティングするのは最低だ。
それでも、私は自分の抱える虚しさを聡さんに知って欲しかった。
人に甘える事を知らず過ごして来たのに、私は今、彼に甘えている。