聡さんに初めて本音を打ち明けた気がする。
私たちはデザートまで美味しく食べると楽しい時間を過ごした。
思い起こせば彼は私を追って福岡に行って、札幌に行って、カナダまでついて来た。
最初は私と川上陽菜を追って、次は私を追って来てくれた彼。
別に楽しい時間ばかりではなかったのに、楽しい思い出や美味しい料理が思い出せる。
彼と結婚できなくても、友人としてでも一緒にいたい。
彼の家族からは歓迎される関係ではなくても、私の人生に彼が必要だ。
私たちは結局レストランの閉店時間を告げられるまで、会話が止まらなかった。
「聡さん、やっぱり今日家に行っても良いですか?」
「もちろん」
聡さんが軽い感じで返事をする。
普通の男女なら、ここで甘い雰囲気になったりするのだろう。
でも、聡さんが敢えてそういうムードにならないようにしてくれているのが分かる。
彼と私と雨くんで過ごしたマンションの部屋はそのままだった。
何故か部屋に入るなりホッとする。
この部屋には聡さんの爽やかな匂いがする。
心が落ち着いて満たされて行くのが分かった。
ずっと祖父と過ごして来た家は私を寂しくさせたが、ここは違う。
「もう、遅いからシャワー浴びたら寝た方が良いぞ。明日の午後マリアの見舞いに行こう」
玄関で立ち止まっている私に聡さんが声を掛けてくる。
「はい」
私は一つの決意をした。
明日、朝が来たら私は城ヶ崎慎一郎に会いに行く。
久しぶりに幸せな朝を迎える。
聡さんと寄り添いあって寝たベッドは温かくて離れ難い。
長いまつ毛を伏せた彼を愛おしいとは思うが、抱かれたいとは思わない。
私はそういう事はできれば一生したくない。
私は隣で寝ている聡さんを確認し、ベッドサイドにあるスマホをとった。
正直、聡さんが今も私と一緒にいたいと思っているかは不明。
彼は優しい人だから、また私の境遇に同情している。
彼なら女は選び放題のはずだ。
何も私にこだわる事はない。
そして、私自身も聡さんと一緒になりたいとは思っていても夢のまた夢だと分かっていた。
とにかく今の私が自分の為にできるのは城ヶ崎慎一郎と婚約破棄すること。
彼と結婚をして経済的に苦労をしなくても、私はただ生きていれば良い訳じゃない。
金銭的に厳しくても、カモフラージュのように利用されるなら一人でいた方がマシだ。
『大切なお話があるので、できるだけ早く時間を作っていただければと思います』
私がメッセージを送信して1分もたたない間に返信が来た。
『いいよ。昨日のホテルのスイートにいるから来て』
城ヶ崎慎一郎からのメッセージに心臓が止まりそうになる。
彼のパートナーがまだ部屋にいるのではないだろうか。
私は彼に恋してる訳でもないのに、彼のパートナーに会うのを避けていた。
私はそっと寝巻きから着替えてホテルに向かう。
聡さんは私の寝巻きも捨てないでいてくれた。
最も、彼は雨くんの物も何も捨てていない。
ホテルに到着するなり、コンシェルジュの男性が近付いてくる。
「城ヶ崎慎一郎様から伺っております」
「はぁ⋯⋯」
無表情の彼が一体何を考えているか分からない。
エレベーターまで案内されると、カードキーを翳し最上階の62階のボタンを押す。
「では、ごゆっくりお寛ぎください」
頭を下げているコンシェルジュの彼は他人で頼まれた仕事をこなしている。
でも、流石に今日城ヶ崎慎一郎が誰と部屋に泊まっているかは知っているだろう。
私は居心地の悪さを感じながら、エレベーターが最上階に着くのを待った。
エレベーターが開くと同時に目の前にある大きな黒い扉が開く。
先程のコンシェルジュが私の到着を城ヶ崎慎一郎に告げたのだろう。
「どうぞ、入って」
昨日よりも幾分ラフなシャツスタイルで、朝なのに爽やかに笑う彼。
扉の閉まる音が妙に大きく感じた。
入り口には男物の靴が二つある。
中でまだ彼の恋人が眠っているのだろう。
私は自分が馬鹿にされている気分になった。
彼からすれば、朝早い時間にも関わらず私を爽やかに出迎えたつもりかもしれない。
しかし、彼の恋人も私をカモフラージュとして使うことを知っていると思うと寒気がした。
まるで私は二人の恋の為に腹を貸すだけの道具みたいだ。
「いえ、ここで結構です」
「そう? 大事な話なんじゃないの?」
私は大きく深呼吸する。
「慎一郎さん、この婚約を破棄して頂けませんでしょうか?」
一気に言い終えた私を鋭い目で彼は睨みつけた。
「はぁ?」
一瞬にして不機嫌になる彼に体が震える。
彼が簡単に許してくれる訳ないって分かっていた。
それでも、ここまで怒らせるとは思ってもみなかった。
ドンっと扉に手をつかれ私を睨みつけてくる彼。
暴力的なその視線に驚いてしまった。
今まで、彼が私に親切にして来たのは腹を貸すからだ。
彼が恋人との愛を貫くのには私が必要。
「すみません。慎一郎さんの秘密に関しては他言しないと約束します。だから、どうか婚約破棄してください」
私は頭を深く下げる。
空気で彼の怒りが伝わってきて怖くて顔を上げられない。
「⋯⋯理由を聞こうか」
「⋯⋯理由」
心臓が飛び出そうなくらい煩い。
私は瞬時に言葉が出なかった。
恋人のいる男に嫁ぐのが虚しなったという本音を隠し、出産が怖くなったと説明した方が良いだろうか。
跡継ぎが産めないとなると彼の中で私と結婚する価値はなくなる。
(ダメだ、最低限の誠意として本音でぶつからないと)
「私で自分をカモフラージュしないでください⋯⋯。私は道具じゃないです」
もっと上手い言い方があったかもしれない。
しかし、この時の私は自分の心に合った言葉をそのまま紡いだ。
───私は道具じゃない! 私を尊重してくれる人と一緒にいたい!
心があげている悲鳴に従ったが、その言葉は城ヶ崎慎一郎を本気で怒らせてしまった。
「あのさあ! 顔上げろよ」
私には終始穏やかに接してくれていた彼の怒号にスッと顔が上がる。
燃えるような怒りを感じる瞳に再び謝罪の言葉が漏れた。
「すみません⋯⋯」
「俺たちがしたのは色恋じゃなくて、契約だから。そう簡単になしにできないんだよ」
彼の返答なんて分かっていたのに、私は地獄に落ちるような感覚を覚えた。
カタン。部屋の向こうから物音がする。
「慎一郎、こんな朝早くに誰か来たのか?」
私は聞き覚えのある声に目を見開いた。