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「――なるほど」

 アシュリーは顎に手をもっていき、何かを考え込んでいる様子だ。

 さすがに突拍子もないことを言ったと思われただろうか。

「あの、すぐに信じるのは難しいかもしれないけれど……」

「いいえ。私は、レイラ様が不用意に嘘をつくとは思っていません。あなたのことは信じていますよ」

「それじゃあ……」

「たしかにご不安になられるのも無理はありませんね。ですが、こう考えてはいかがでしょうか? レイラ様が選んだ未来こそが、この世界である、と」

「私の選んだ未来……」

「たとえば本の中の話です。物語には、一人称、二人称、三人称、三人称神視点というものがありますね。【乙女ゲーム】というものは神視点で描かれる中、ヒロイン様の一人称に沿って物語が進むという側面があることをレイラ様の説明で私は理解しましたが、その点は間違いありませんか?」

「ええ、そうね」

「つまり、神とは【この世界】のことを示し、レイラ様はヒロインの一人であるということです。ゲームのプレイヤーが様々であるように。レイラ様の主観で動いている物語こそ、あなたの選んだ未来なのですから、たとえニーナ様が現れたからといって、あなたの未来を捨てる必要はないということです。レイラ様にはレイラ様の未来が、ニーナ様にはニーナさまの未来が、それぞれあるのですよ」

 アシュリーの説明には納得できるものがあった。

 けれど、それでも前世のことがわからない以上、この世界がイレギュラーな状況であるゆえに様々な可能性を見出してしまうのだ。

「で、でも、アシュリー、それは屁理屈ともいえるのよ。だって、乙女ゲームとしてはヒロインイコールプレイヤーだからこれはいわゆるNTR(寝取られた)みたいな感じで、私がヒロインの立場に成り代わってそれでアシュリー様の攻略ルートを奪ったみたいになってしまっているんじゃないかって……だから、疎まれるべき私は消えなくてはいけない存在なんじゃないかって……」

 混乱に陥ったレイラはすっかり前世の未久のような挙動を繰り返してしまう。すると、アシュリーがレイラの両の肩にそっと手を置いた。そして目線を合わせるようにして顔を覗き込んでくる。

「どうか落ち着いてください。あなたがこの世界に呼ばれ、そしてそんなあなたに呼ばれたのが私なんです。きっとあなたが転生したことで私が召喚されたのでしょう。つまり、私が選んだのは、その時点でもうレイラ様だけなのですよ」

「アシュリー……」

 たしかに異世界転生したその理由は、そこに行き着く。ツガイになるべき二人だと、これまで結びつけられていたのだ。でも、まだレイラは安心できていなかった。そんなレイラを励ますようにアシュリーは話を続けた。

「これから先も私にとってのヒロインはただ一人、あなただけです。たとえこの世界に俯瞰している神がいたとしても、私が未来を誓う相手はあなたなのです。仮にこれが別の世界だ、と主張する神でも現れない限りは、ここは間違いなく私たちの世界です」

「その神様がこれから現れたりしない?」

「……大丈夫です。現れたりしません。私は知らない神は信じませんから」

 揺るぎない意志を伝えるアシュリーに、レイラの胸が熱くなる。不安定に揺れる足元が強い力でぐっと支えられたみたいに落ち着いた。ホッと脱力する一方、少しだけ気になることが思い浮かんだ。

「私たち……これから先、神様の前で誓うことになるのに、そんなことを言っても大丈夫?」

「おや、レイラ様は、ノーマン様の元で教わったのではなかったのですか? きっと詰め込みすぎて忘れてしまったのでしょうね」

「え?」

「大聖堂や祭壇はありますが、我が国では神様本体には誓いません。精霊や魔法や剣の……私たちは国を護るそれらに誓うのです。そして結婚式では、互いの愛しい人に未来を約束する誓いを立てるのですよ」

 だから、何も心配することはないのだ、とアシュリーが言う。彼が紡いでくれる言葉には力があった。それは彼が聖騎士として力を蓄えているからというだけではない、そこにレイラへの溢れる想いや愛情があるからだ。

「まだ、ご不安ですか?」

 レイラは首を横に振った。

「あなたの言葉は、何かの魔法みたいね。それも強力な勇気というバフをくれる……」

 バフとは、力を増強するスキルのことをいう。

「それはまた……ノーマン様に何かいやみを言われてしまいそうなセリフですね」

 顔を見合わせてから二人はどちらともなく唇を重ね合わせた。短い休憩の時間を惜しむように、小鳥がさえずるように啄みあって、それからそっと抱擁を交わした。

「あなたの不安が消えるように、今夜はたくさん愛を捧げましょう」

「ええ。でも、その……お手柔らかにお願いするわ」

 レイラは閨事を思い出して、顔を赤らめてしまった。役目のときにはどれほど彼が抑えていたのかを身を持って経験したからだ。

 彼は巧みに、そして激しく、レイラを求める……いわゆる絶倫といっていいくらいに逞しかった。思い出すと顔が熱くなってしまう。

「私としましても、自重するつもりはあるのですが、あなたがあまりに可愛く……煽らなければ、です」

 今度、顔を赤くするのはアシュリーの方だった。周りの薔薇たちよりも揃って頬を紅潮させている姿は他にはあまり見せられない。



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