「では、戻りましょうか。私もそろそろ稽古に行かなければなりません」
「ええ。私も午後からは座学の時間があるの」
「そうでしたか。さあ、お部屋までお送りしますよ」
「ありがとう」
アシュリーに伴われ、レイラが薔薇園から出たとき、ばったりとロイドに出くわした。
「あっ」
「あっ」
ロイドの隣にはニーナの姿があった。
一瞬レイラは混乱しかけるが、アシュリーと話したことを思い浮かべ、平静を装った。
「なんだ。アシュリー様たちもデートだったのか」
ロイドが頬を染めつつ言う。
聖騎士となったアシュリーのことを、騎士たちは彼を呼び捨てではなく【様】をつけるようになった。
隣にいるニーナもかっと頬を染めている。どうやら好感度はマックスの状態にあるらしい。
「お初にお目にかかります、王女殿下。そして聖騎士様。私はニーナ・プレスコット。プレスコット伯爵の末の娘です」
動揺する気持ちはやはり否めない。
まさか自分が本家のヒロインと遭遇するとは思わなかった。間違いなく彼女は前世でプレイした『ローズリングの誓約と騎士姫』のヒロイン、ニーナ・プレスコットだ。彼女にはレイラのことはどんなふうに見えているのだろう。
世界が入れ替わるような、逆転するかのような、不思議な感覚に見舞われそうになるのを必死に堪え、アシュリーの言葉を思い返しながら、大地に根を張る野草のようにレイラはしっかりと足に力を込めた。
そして、王女らしく恭しい姿勢を保ちながら上品に挨拶をする。
「初めまして。ニーナ。ご丁寧な挨拶をありがとう。私はレイラよ。どうかよろしくお願いしますね」
「はい。レイラ様、よろしくお願いします」
「それで、王女様、また改めて報告はするけど……」
ロイドが口を開きかけたのを察して、レイラは微笑む。
「ふふ。わかっているわ。仲が良くてうらやましいわ」
「王女様と聖騎士様の二人には負けるさ。でも、負けないくらい……そのつもりでいるから」
「ええ。応援しているわね」
「おう」
ロイドは攻略対象の一人、特に運命を担う男枠。前世ではレイラにとっての恋人や夫になる可能性もあった人物と考えると、なんだか妙な気分にはなってしまうけれど。
今、目にしているのは別の世界の恋人たち。ニーナの世界ではロイドが大事な人で、レイラの世界ではアシュリーが大事な人。それでいいのだと今は考えることにする。
二人を見送ったレイラはホッと胸を撫でおろし、アシュリーの方を振り向く。
「負けないように、私たちも幸せになりましょう」
「ええ」
アシュリーの笑顔に見守られ、レイラはやっと胸の閊えがとれた気がした。
そうして部屋に送り届けてもらったあと、さっそくアビーにアシュリーと会えたことを報告しようとしたのだが。
部屋の前に突如ぬっと現れた影に、レイラはひっと声をあげた。
「まったく、どちらで油を売っておられたのでしょうか。王女殿下は……」
仁王立ちで待っていたお目付け役の存在に、レイラは震えあがったのだった。
(最大の敵はこの男かもしれないわ……!)
それからの二週間は実に過酷だった――。
泣き言のやりとりはいくつあったか知れない。とくに毒や幻術に身を慣らす、魔法薬学は辛かった。夜通し、吐き気や震えと戦ったこともある。ノーマンの魔法で、幻覚を見て惑わされそうになったことだってあった。
「聖女の力を失った今、あなたを守る術を得ておくことは大事なことなのですよ」
「私の頼りない力で対峙できるのかしら? 王女には護衛の騎士がついてアシュリー以外にもたくさん抱えているけれど……彼らを突破する敵がくるということ?」
「可能性としてはありえます。結婚式の最中に誰かが乗り込んできて、あなたを攫おうとするかもしれません」
「そのときはアシュリーが側にいる。それでも?」
「たしかにそうですが、万能ゆえに過信すれば新たに発現する隙というものもあるのです。念には念を入れて御守する必要があります。いずれ、騎士王と結婚が叶えば、あなたにも加護が贈られますからね。それまでの辛抱ですよ」
「わかっているわ。私にだってやるべきことをやる責務があるの。ただのお飾りのままではいたくない……」
「そう、その意気ですよ」
…………延々と繰り返される、ノーマンのこの鬼のような教育が役に立つ日が来なければいいとレイラは切に願った。
しかしなぜノーマンはこれほどまでに熱心にレイラに付きっ切りで指導に当たるようになったのか、それが妙に不穏で仕方なかった。
そうこうしているうちに、やがて秋の匂いはゆっくりと遠ざかり、空気は凜と冷えて吐息を白くし、日の出や日の入りが遅くなっていく。やがて、遠くの山々の岩肌が白く染まり、深夜にちらちらと白い雪が舞い降りるようになった。
そして半月ほどが過ぎた、初冬の候。
まもなく国王の誕生祭が近づくというある日のこと。その不穏な予感が的中することになる。
一つは、国王が病に倒れたこと。それも重篤な状況だった。世継ぎの選定がなされていなかったことから、王宮では上院たちが大騒ぎで対応に追われていた。
もう一つは、先の反乱の戦いで鎮圧した領主の隣国が大陸の支配を考え、新たな反乱を起こしたことだ。一度は同盟を結んだ領主との絆は深く、虎視眈々と戦を仕掛ける日を望んでいたらしい。騎士団は急ぎ戦の準備をしなければならなくなった。
国王と聖騎士が王宮から離れる、ということの意味は、思っていた以上に深刻だ。以前までは聖女及び聖王女の存在が王宮にはあった。それは、魔法使いが展開するような防衛魔法のように効いていたのだ。それは、魔法使いが手に負えないくらいの大きな障壁なのだという。
しかし今はすべての力が聖騎士であるアシュリーに譲渡されている。彼は軍を率いる長として出る責務がある。
ここにきて無力化されてしまった自分が、レイラにははがゆくてならなかった。
『あなたのすべきことは、変わらずに学びを身につけることです。国王陛下に万が一にでも何かがあれば、聖騎士であるアシュリー不在の際、代理の王として立たねばなりません。ですから、けっして動揺してはなりません』
レイラが不安に駆られている側で、ノーマンは厳しい表情を崩さなかった。彼の確固たる覚悟が、アシュリーがこの先不在となるレイラの支柱となって励ましていた。
(私だって、アシュリーと本当の夫婦になりたい。求婚すると誓ってくれた彼を信じて待っていたい)