――出立の日の前夜。
アシュリーが部屋を尋ねてきた。
アメジスト色の花束を携え、彼は微笑んだ。
レイラはさっそく受け取って花を覗き込み、その香りを嗅いだ。
「どうしたの? こんな素敵なお花……」
「我が国の初冬の候にしか咲かないアメジストの花です。レイラ様が私の瞳の色が好きだ、とおっしゃってくださったことを思い出して……」
「アメジストの花……」
美しい青みのある紫がかったその花は、まさしく宝石のように美しく、アシュリーの瞳に似ていた。
茎はまっすぐに折れない芯があり、花弁は王冠のように上を向いて凜としている。彼そのものの気配を感じさせるものだった。
(花言葉は確か……)
ノーマンとの座学でこの国にも花言葉があることを学んでいた。
(夫婦愛。家族愛。あなたと家族になりたい……)
ジンと胸の裡が痛くなった。
花の美しさとアシュリーの想いに心を打たれて何も言葉にできないでいると、アシュリーはレイラの手をとった。
「レイラ様、私はあなたのことを、心から愛しています」
「アシュリー……」
「この花を、私だと思って側においてくださいませんか。厳冬を乗り越えるほど丈夫で、なかなか枯れない強い花なのです」
「やだ。まるでお別れになるみたいに言わないで」
レイラの瞳に涙があふれる。嬉しかったのに寂しくなるようなことをいうアシュリーのせいだ。
するとアシュリーはレイラの眦にキスをした。
「……すみません。そんなつもりでは。どうか泣かないでください。私はこれが別れだなんて思っていませんよ」
宥めるようにやさしく、アシュリーは言った。
「じゃあ、どうして……今こんなときに、そんなことを言うの」
「こんなときだからこそです。何が起こるかはわかりません。別れとは思っていなくても、無情に奪われる命があるということを、私は身をもって経験しています。以前までは、私は剣として盾として、騎士としての使命を優先してきました。それを誇りに思っていました。無論、今もその気持ちはあります。ですが、以前のようにこの場で命を賭しても構わないとは思えなくなったのです。必ず生きて帰る。貴方の顔を見るために戻るのだ、と……私の居場所を見つけた。それを示したかった。伝えたかったのです」
「アシュリー……」
「貴方がほしい。貴方の心が欲しい……貴方を我が姫君にするのだと、妃にするのだと誓って。この気持ちを信じてもらうためにも、必ずこの戦に勝利すると誓います」
だから、とアシュリーはレイラにアメジストの花束を捧げた。
「……待っていてください。私の大事な花嫁。ここに必ず帰ってくると、約束しましょう」
アシュリーは以前に交わした指切りを覚えていたらしかった。小指を差し出してくる。
レイラは涙で滲んだ視界を払い、アシュリーを見つめる。まっすぐに澄んだ、明けの空を約束する眼差しがそこにはあった。彼は約束してくれた。必ず【明日】を届けてくれると。
「ええ。信じて待っている。必ず。約束よ」
そしてレイラは、彼の指に自分の指をしっかりと絡め合わせたのだった。
吹きすさぶ嵐のような風とちらつく雪……そんな厳しい寒さが続く中での戦況は、逐一報告された。
度々変わる戦局に息を詰めるような想いでレイラは彼らの無事を願い続ける。
当初目論んでいた遠征予定の半分を消化したあたりで勝利の流れはこちらに引き寄せられたらしい。
これから予定通りに皆が帰還する予定だと斥候から連絡があったときには、レイラは安堵のあまりに膝から崩れ落ちた。今までで一番ホッとした瞬間だった。
騎士団が帰城する予定となった当日の昼頃――。
「夕刻には騎士様たちがお帰りになられます。騎士様たちをお迎えできるよう準備をしっかり行いましょう」
「はい!」
侍女アビーが他の使用人の女達と気合を入れて準備に取り掛かる姿が見られた。
一方、国王の病状は危篤かと思われたが、現在は小康状態が続いている。ひょっとしたら持ち直すことも可能かもしれないという医術者の意見に、臣下たちは安堵した様子だ。
しかし、快復したとして年齢的なことも考えると療養を続けるべきで、政権をこのまま握ることは難しいだろうという話をしているのをレイラは耳にした。
騎士団が帰城したあとは、アシュリーが後継者として騎士王に選定されることになるのは濃厚だろう。
つまり後継者の第二候補となっている王女であるレイラは後継者代理を務めることはなくなる。残された役目はいずれ騎士王として戴冠するアシュリーの花嫁となるべく慎ましく過ごすことだけだ。
けれど、レイラはじっとしていることができなかった。
(あと私にできることは……)
現状、王宮内はどこもかしこも慌ただしい。使用人のような真似をしたらそれはそれで品のないことをすべきではないと上から逆に叱られてしまうだろう。その前にお目付け役のノーマンから注意を受けそうだが。
聖女の万能の力さえ失ったレイラにできることといえば、ただ彼らが無事に帰還することを祈り続けることと、誰かの手伝いをすることくらいだろう。
(アビーは忙しそうだし……厨房の方もばたついていたわ)