目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

40)

 祝宴の準備についてもギリギリまで待つようにと指示があったそうだ。国王の病状がどうなるかわからなかったからだろう。万が一のことがあれば、それどころではなくなってしまうのだから。

 図書館で読書をするという気分にもなれないし、座学に勤しむような集中力は保てそうにない。であれば、今も魔力を注いで結界を張り続けているノーマンの助手を申し出た方がいい気がした。

 ノーマンは現在、誰も近づかない王宮の離れにある塔の中で魔法陣を敷いている。彼にも休憩は必要だろう。

 レイラは厨房に立ち寄り、料理人の邪魔にならないように様子を窺う。

「王女様、どうなさいましたか?」

「忙しいときにごめんなさい。ノーマンに差し入れをもっていってあげたいの」

「お安い御用ですよ。それでは、ハーブティーとお茶うけになる菓子を幾つかご用意いたしましょう」

「ありがとう。助かるわ」

 レモンと蜂蜜入りのハーブティーと、ころんと丸く膨らんだマフィンを用意してもらえた。

 それから茶器や皿を台に載せて運ぼうとすると、ちょうど用事があって顔を出したアビーが慌てたように駆けてくる。

「レイラ様! 私がやりますわ」

「皆忙しそうだし、これくらい」

「いけません。怪我や火傷を負うことだってあるのですよ。それに、今宮廷内は緊張に包まれていますから、それがレイラ様にとって不利益な流れになることは望んでいません」

 たしかにそれはアビーの言うとおりだ。レイラは肩を竦め、彼女に役目を譲った。

「わかった。あなたの言うとおりにするわ」

「はい。どちらへお運びするのでしょう?」

「離れの塔に行きたいの。実は、ノーマンが一人でこもりっきりになっているのが気になっていて……」

「承知しました。では、レイラ様がお先に移動されてください。私はお二人の分を運んでまいりますわ」

「ええ。アビーありがとう。お願いするわね」

「はい。お任せくださいませ」

 笑顔で送り出してくれたアビーに別れを告げ、一足先に離れの塔の方へと急ぐ。離れの塔とは王宮のすぐ側に位置しているので、今いる場所からそう時間をかけずに到着できる。かつては母屋として利用していたこともあったらしい。古くさびれてしまってから魔法使いであるノーマンの居城となっているというのだが。

 いつも何かにつけて側にいて小言や嫌味をいうノーマンが静かなのはなんだか寂しいような気がして落ち着かない。それこそ嫌味の一つで追い返される気がしないでもないけれど、とりあえず顔を見て戦況を報告するくらいはいいだろう。

 外を通るので、レイラはフード付きのローブの形をした外套を羽織って移動する。外間に続く廊下の先に、離れの塔に続くアプローチがある。その周りには王宮の方の庭園と同じだけの庭が整備されていた。時々吹きすさぶ木枯らしによって雪がちらちらと入ってきて緑の絨毯を白く染める。とはいえ、明るい時間

 至るところに近衛兵は配置されている。死角という死角は潰され、魔法使いのノーマンによって魔法障壁が展開されている。王宮内は安全。自然とレイラはそんなふうに捉えてしまっていた。

 そんな安全神話がいつから自分の中に在ったのか。聖女として聖王女として崇められた経緯があったからか、騎士たちや聖騎士となったアシュリーの存在がそうさせたのか。それとも、安堵からの油断か。

 レイラはこのあとに思い知らされることになる――すぐ近くに殺気が近づいていることにまったく気付かなかった。



(……離れの塔、たしかに古いけれど、住めないような隠れ家というわけではないわね)

 古い扉を押すと、不自然なくらいにすっと開いた。まるで待ち構えているかのように。ノーマンの仕業なのだろうか。たまに神通力をもったような口ぶりをすることがあるので、あながち予想は外れてはいないかもしれない。

 魔法障壁の呪文と光がこぼれる気配を、レイラは察することができた。聖女としての力は譲渡したとはいえ、魔法使いのノーマンが発するもの自体は感じることができるのだ。

 しかしそれもレイラ以外の普通の人間では察知能力はそこまでではないらしい。聖女としての名残なのだろうか。

 それにしてもそもそもこの異世界に転生したあと、聖女の力が知らずに芽生えていて救世主である騎士アシュリーを無意識に召喚していたのだという。今考えてみると、随分と無理矢理な説明のように思える。

 前にも仮説を立てたことがあったけれど、ノーマンにも役目があるような気配があった。その役目のためにレイラを聖女に仕立て上げた、と考えた方がしっくりくるような気がするのだ。

(灰かぶり姫……って言ったときのノーマンの思わせぶりな態度……気にかかるのよね。そのあたりの話をふたりきりのときになら聞かせてくれるかしら? ただの妄想癖の私の考えすぎなのかな)

 とにかく今はノーマンの顔が見たい。そう思って先へと進もうとしたとき、ふっと白い影が現れた。

 レイラが悪寒を感じたそのとき、見覚えのある顔の女が目の前に現れた。

 ひっと喉の奥で声が潰れる。

 血にまみれた緋色の刃がギラリと妖しく煌めいている。ニッと不気味に微笑んだのは、ニーナ・プレスコットの顔をした間者の姿をした女。

(ニーナが何故……)

 目の前は薄暗く、頭の中は真っ白な光に包まれている。すぐに乙女ゲーム思考の脳内展開を行うような余裕は今のレイラにはない。何がどうしてこうなっているのかまったく状況が掴めない。

 ただ、自身がバッドエンドへと向かっている最中なのだということだけは肌で感じる。

「どうして――?」



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?