『……あなたは誰?』
沈んでいく意識の中で問う声が聞こえた。
『あなたこそ誰なの?【あなた】は消えるべき存在でしょう? ねえ?』
そう。ニーナ・プレスコットがこのゲームのヒロイン。
私は、レイラ・メイスン。ヒロインではなく、ただのモブ女。
そのモブ女として転生したあと、灰かぶり姫と蔑称をつけられて伯爵家で虐げられていた。
ところがある日、救世主を召喚した聖女として王宮に召し抱えられ、その後、聖王女を経て王女へと下った。
王女という身分はそもそもヒロインだけが戴けるものであったはず。それなのに奪い取ったから罰が下ったの?
消えるべき存在、つまりモブ女のレイラは悪役令嬢としての立場だったのかしら?
ヒロインのニーナが闇落ちをした。その原因はレイラのせいなのだろうか。
でも――この世界はどこか正規の世界とは違っていた。歪みはあったが濁りはなかった。
【特殊形式】でアシュリーを攻略することができるようになった。その言葉を支えにしていた。
それでも不安は尽きなくて、そんなレイラをもっと強い力で支えてくれたのは、何よりも愛しい彼の存在と、彼から捧げられた言葉だ。
(……そう、まるで強力なバフ魔法のような……心強さがあった)
『どうか落ち着いてください。私が選んだのは、レイラ様なのですよ。私にとってのヒロインはただ一人、あなただけなのです。たとえこの世界に俯瞰している神がいたとしても、私が未来を誓う相手はあなたなのです』
(ヒロインは……私? でも……)
『レイラ様、私はあなたのことを、心から愛しています』
(アシュリー・クレイ……私の大好きな人)
『この花を、私だと思って側においてくださいませんか。厳冬を乗り越えるほど丈夫で、なかなか枯れない強い花なのです』
(アメジストの、花……綺麗な、あなたの瞳に似た色の花……)
『……待っていてください。私の大事な花嫁。ここに必ず帰ってくると、約束しましょう』
(やく、そく……)
そう、約束した。
戻らなきゃ。必死にもがくレイラに幻影が絡みつき、足を掴んで引きずり落とそうとする。
苦しい。息ができない。
『ねえ、あなた。この世界のヒロインになる覚悟はあるの?』
ヒロインは二人も要らない。
この世界ではたった一人でいい。
じゃあ私は要らない?
いいえ。
この世界という意味は、アシュリーが教えてくれた、彼と結ばれる、レイラの世界ということなのだ。
覚悟……。
覚悟なら、もうとっくにできている!
アシュリーと共に生きていくのだ、と。
そう認識した瞬間、激しく昂る熱がぱっと花火のように弾けた気がした。
魂の核が破壊された、のではない。その逆だ。一気に、意識が覚醒していた。
「――アシュリーと、約束したもの……っ」
そう叫んだ瞬間、響いた自分の声にハッとしてレイラは瞼をぱちりと開いた。
激しく息が切れていた。起き上がったつもりでいたが、少しも動けない。汗ばんだ身体がじっとりと重たく、頭がぼうっとする。
やがて、霞んだ視界はやがてクリアになっていき、歪んだ世界に焦点が合いはじめる。
唇を動かそうとしたとき、誰かの声が飛び込んできた。
「――レイラ様!」
ひょっとして、とレイラはその声の主の顔を見る。
心配そうにレイラを覗き込んでいるその人は、約束を交わした大切な人。
「アシュリー……」
「よかった。目覚められたんですね」
アシュリーはそう言うと全身で脱力するかのように、肩で大きくため息をついた。
「私……」
さっきまで誰かと話をしていた。あれはニーナに似た女のような気がした。
「三日ほど魘されて寝込んだままだったんですよ」
「三日……」
アシュリーの隣にはノーマンが汗を拭う姿があった。
「つきっきりでアシュリーが傍に」
と、ノーマンはそれだけ言った。
「そう、だったの」
レイラは喉のあたりをさすった。声がかすれていたのだ。
「水を。それから、汗を拭きましょう」
レイラはアシュリーに支えられてゆっくりと上半身を起こし、水瓶を受け取って喉を潤した。久しぶりに感じた水の感触は痛いくらいに冷えていた。
思わずせき込みそうになると、アシュリーの手がレイラの背中をゆっくりとさすってくれる。
「あり、がとう。アシュリー」
「峠は越え……こうして目を覚まされたとはいえ、根本的な問題は解決していません」
レイラは自分の見える範囲で肌の様子を確かめた。
見覚えのある呪詛のうねりがちらちらと浮かぼうとしている。
「これは……?」
「今は抑え込んでいる状況です。一時的な処置にすぎません」
「襲ってきた女は……」
「女? あなたにはそう見えたのですか?」
ノーマンが怪訝な顔をする。
「え、ええ。違うの?」
「私には闇の力がそこに在るように見えました。おそらく呪詛返しによる幻影でしょう」
「以前にアシュリーが浴びた呪詛を、私が消したから?」
「ええ。正確には消したように見えて受け皿になっていたということです。力だけを聖騎士に譲渡した……呪詛の名残があなたの奥底に種火のように沈んでいた。何かの拍子にそれが発火した……心当たりはありますか?」
ノーマンの説明は相変らずわかりやすくて理解はできた。そしてその心当たりについてはとっくに解決したものだと思っていた。それでも奥底にある不安は消しきれていなかったのだろう。
「呪詛を消すには聖なる力が必要、ということですよね」
アシュリーがノーマンに尋ねると、ノーマンは静かに頷く。つまりは以前にした儀式を行うということだ。
「今度は私があなたを救う番です」
「……アシュリー」