だめだ、とはノーマンは言わなかった。
けれど、もしもアシュリーがレイラに力を使ってしまったら?
「待って。その聖なる力は、今度は私に譲渡されるの?」
「いいえ。あくまでも力を分け与えるだけです。聖女様にも聖王女様にもなれません。元に戻るのは不可逆の法則で禁じ手です。世界の理を崩せば、精霊の加護すらも失われることになりかねません。ですから、分け与えるだけならばその心配はありませんが……」
「ノーマン様、私ならば大丈夫です」
「戦で聖剣を振るったあとに、余力があるというのかね?」
ノーマンの問いに、レイラはハッとする。
聖なる力は万能と呼ばれるものでありながら、その実は隙になりえる側面も持ち合わせているということだ。アシュリーがレイラを救うために集中して力をもっていかれれば彼自身の防衛力が薄くなってしまう。
「レイラ様を救えない私に、価値などあるでしょうか」
「しかし」
珍しくノーマンが及び腰だ。それをアシュリーが見切ったように尋ねた。
「私が消滅するかもしれないと心配されているのですね?」
その言葉にレイラは一瞬にして不安になってしまった。
「……っそうなの? ノーマン」
「その可能性がまったくないわけではありません。すべては聖騎士の力次第ですが……」
ノーマンが険しい表情でそう言いかけたとき、ちらちらと光の泡が集まってきた。
「これは……精霊の光?」
以前に見たことがあった。あれは、儀式のあとのことだった。
「是、と精霊も背中を押してくれているのでしょう。この応援は大変心強いことです。ですから、私なら大丈夫です」
アシュリーの動かぬ凜とした意志に、ノーマンはようやく頷いた。
「わかりました。その間、私が結界を張っていましょう。儀式の間は侍女と小間使いにすぐに用意させます」
それからノーマンが結界を張り直している間、用意された儀式の間に移動したレイラとアシュリーは、奥にあるベッドへと横たわった。
レイラが目を覚ましてから数刻しか経過していないため、アシュリーが気遣いながらゆっくりと時間をかけて触れ合ってくれる。
「……辛くはないですか?」
「ええ。少し息苦しかったくらい。あなたの顔が見られたら、気持ちが楽になったみたい」
「レイラ様 ……」
「アシュリー……あなたが帰ってきてくれて、嬉しい」
「ええ。これからはもうずっと一緒ですよ」
抱き合って唇を重ね、吐息の交換をしながら、熱を分け合うように舌を搦めた。
呼吸が乱れ、唇が離れたそのとき、間近でアシュリーと目が合う。彼の瞳は以前に見たガーネット色へと変わっていた。それでも以前のように獣じみた荒々しさはなく、理性を失わない。
その分、レイラの方がアシュリーへの激しい想いの火種を抱えて今にも爆発しそうになっている。
「……っああ、愛しい人、レイラ様」
アシュリーへと腕を伸ばす。
「アシュリー、もう、きてっ……」
「……っ愛してます。レイラ様……もう、私はあなたに遠慮はしませんよ」
レイラは言葉を紡ぐことなく頷き、アシュリーの首に腕を回した。
するとアシュリーはやさしく唇を重ねてから、耳元で囁いた。
「あなたを、愛しています。レイラ」
「……アシュリー、私もよ」
やがて互いに果てを感じ、アシュリーが覆いかぶさってくる温もりを感じて、レイラはふっと力を抜いた。
甘い痺れが全身に広がっていく。それはアシュリーがくれたものだと思うと、何よりも心地のいいものだった。
そうして愛しい人のすべてに満たされていくと、蝕まれていた呪詛の毒が剥がされていくのを感じた。
儀式で結ばれるだけではいやだと思ったこともあった。けれど、アシュリーの想いが流れ込んでくるのを感じることが尊くて、今は彼の想いがただ嬉しくて泣けてきてしまう。
やがて、奥底に沈んでいた自分では意識していなかった漠然とした不安さえも霧散していくのを感じていた。
最後に残された余韻は、大好きな人への愛おしさだけだった。その安堵の吐息を落とすと、レイラはアシュリーの腕につつまれていた。
アシュリーが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫ですか? 少し……いや、かなり無理をさせてしまったのでは」
汗ばんだ前髪を梳いてくれるアシュリーの指先が心地よくてそのまま眠ってしまいそうになる。
「大丈夫」
甘えてくっついたあと間近に見上げると、やさしげに滲んだアメジスト色の瞳とばちりと視線が交わった。
何かを言うよりも先にアシュリーの方から唇を重ねられた。というよりも強がりを封じたかったのかもしれない。
「素直に言ってください。辛かったら薬湯をもってきますから」
「……本当に平気よ。少し疲れただけだから。アシュリーの方こそ大丈夫なの?」
「ええ、問題ありません。戦地へ赴く前は、満ちた力を聖剣へと余すことなく宿すようにするためしばし禁欲をせよ、とノーマン様には仰せつかりましたが……」
アシュリーは何かを思い出すような顔をして言った。
「そ、そんなこと言われていたの」
「はい。ですが、戦地から戻って儀式を行っても尚、私の体調に変化はありません。ですから、その必要はなかったようですね。であれば、あなたを不安にさせないように愛を注ぎきっていけばよかった」
「あ、アシュリーったら」
たまに恥ずかしげもなくアシュリーがこういうのでレイラの方がどうしていいかわからなくなってしまう。すると、アシュリーはくすりと微笑んだ。
「事実、あなたへの愛がたった数日で枯れることなどありません。また、今も、レイラ様からの愛は溢れる泉のように止めどなく私の内側に送り込まれていましたから」
アシュリーはそれでも真面目に愛を囁き、その想いをまっすぐに捧げてくれる。
もはや恥ずかしがっている場合ではなかった。レイラは頷いて、アシュリーの唇にそっと自分から唇をくっつける。
そして改めてレイラは愛しい騎士の無事の帰還を喜んだ。
「……お帰りなさい、アシュリー」
「約束通りの帰還です。レイラ様、このあとのことは、覚えていらっしゃいますよね?」
「ええ、もちろんよ」
レイラが頷くと、同じようにアシュリーも唇に約束を果たした証を捧げてくれたのだった。