アシュリー・クレイ。
次代の王、騎士王となった男の話――。
純白のウエディングドレスを着たレイラは、今まで見た彼女の中で一番、綺麗だった。
戴冠式と結婚式が滞りなく済まされたあとも、披露宴、舞踏会、晩餐会と、騎士王と王妃に必要な儀式や宴は多くあった。
ようやく二人きりの時間を許されたのはほとんど深夜を回る頃だった。
何度か着替えたドレスのそのどれもがレイラには似合っていたが、純白のウエディングドレス姿の彼女には特別に感じ入るものがあって、なかなか意識から離れなかった。
できるならば、もう一度、着せてみたいと思ったが、神聖なその美しさは二度と見られないからこそ【奇跡】のように尊いものなのだろう。
「アシュリー、どうしたの?」
二人きりの夫婦の部屋に入ったあと、薄明りの中で抱き合うと、レイラがアシュリーの上の空に気付いて顔をしげしげと見上げてきた。けして目の前の彼女をないがしろにしたつもりはなかったのだが。
「すみません。感慨深いものだな、と思っていたのですよ。レイラ様……いえ、レイラと夫婦になれたことを」
「ええ。とても嬉しい」
声を弾ませるレイラが可愛らしくて、アシュリーは彼女の頬を引き寄せ、そのまま唇を重ね合わせた。
やわらかくて甘い。どれほどでも味わっていたい。
純白のウエディングドレスを着た彼女はもうここにはいないけれど、彼女の肌理こまやかな白い素肌はまた陶器のようになめらかでよい匂いがする。もっとその柔らかさを堪能したいという欲求が込み上がってくる。
「初めて、ね」
「え?」
「その、儀式とか……呪詛を祓うとか、色んな制約があった場合を除いて、私たちが夜をこんなふうに過ごすの」
おずおずとレイラが上目遣いでその胸の裡を語る。薄明りの下でもよく見える彼女の頬から耳にかけてうっすらと緋色に染まっていた。
「私たちが結婚して、初めて過ごす大切な夜ですね」
「ええ」
「こちらへ来てください。レイラ」
いつでもレイラは綺麗だ。彼女に傷一つ負わせたくないという気持ちにさせられる。大切に守りたい、誰よりも大事な人だ。
初めて過ごす夜だからか、また別の緊張感が二人を包んでいるのがわかった。
二人の愛の営みのあと……。
けして乱暴に求めてはいないつもりだが、くったりとしたレイラを見て、アシュリーは我に返った。
「レイラ、すみません」
「もうっ……すぐに謝るの、だめよ」
熱っぽい目でレイラが咎める。その表情も愛おしくて、すべてを彼女の内側に注いだというのに、いくらでも求めたい欲望が止まらない。
儀式が必要だったときとは違うというのに、あのとき以上にレイラが欲しくてたまらないのはどういうことなのだろうか。
「しかし無理をさせてしまったのは事実。もう少し閨事を減らさねば……」
「いいの。そんなこと言わないで。私だって、アシュリーに求められていたいんだから」
胸に頬ずりをする愛しい妃の髪をそっと撫でながら、アシュリーはこの世界に召喚された日のことを思い出していた。
――初めて王宮に召喚された日。
アシュリー・クレイは、意識が覚醒したときに魔法陣の光の柱に包まれていた。
自分の身に何が起こったのかは、すぐには把握できなかったが、なんらかの使命によって呼ばれたのだということだけは肌で理解していた。
側に控えていたノーマン・アークライトという魔法使いに状況を説明された。
「あなたは、聖女様に召喚された騎士。我がラピス王国になくてはならない双翼がひとり、我が騎士団の剣となり盾となり、そして聖女様の守護者であるように務めなさい」
そういう彼は国王代理の騎士団の目付け役だという。
「は、謹んでお役目を拝命いたします」
「よろしい」
「聖女様はどちらにおられるのでしょうか?」
「あなたを召喚した聖女はこちらには居ません。あなたと同じようにまだ覚醒はしていないのです」
「そうなのですね」
「近々、王宮に召し上げられることでしょう。その時は、案内役をあなたに任命いたしますよ。まずは騎士団の方へ」
「御意」
――その後。
馬車が王宮の問を通り、降り立った美しい女性……それこそが聖女様、レイラ・メイスン。
アシュリーはノーマンに言われたとおりに彼女の案内役を務めた。
その時の胸の高鳴りは今でもはっきりと思い出せる。あまりにも甘い衝撃に、アシュリーは慌てて理性を引き寄せた。
『恋、と勘違いしてはなりません。それは、ツガイであるがゆえの衝動なのですから』
ああ、そういうことなのだ。細胞が、魂が、聖女様を双翼のひとつ、ツガイであると認識し、この身が求めているのだ、と。
常に渇望する、彼女への欲求。
側で過ごしている間にも感じるほのかな親しみ。その想いもすべて。
揺れるアシュリーの心を試すように、聖女と騎士の儀式は行われた。
……が、アシュリーはレイラが可愛いあまりにノーマンに一つ願い出た。
「契りは……交わす必要があるのでしょうか?」
「まさか、そう尋ねられるとは思いませんでしたね。我慢強い、堅物男といわれるわけです。しかし……」
「恋、とは言いません。ただ、レイラ様に無理を強いることはしたくないのです。騎士団の皆に、譲渡の儀式……などの背景を聞きました」
「まったく、あの者たちは、余計なことをベラベラと困るのですよ」
ノーマンは頭を抱えつつも、騎士の願いを了承した。
「あなたが耐えられるのならばそれで構いません。逆に、聖女様がそれを望むのならば、叶えて差し上げなさい」
「はい」
――そう。耐えてみせると誓ったその理性は、幾度となく壊れそうになり、そして望まれたときには理性など何も役には立たなかった。いつしか、愛しい彼女に抱いてほしいと求められる熱に浮かされ、あっけなく瓦解していたのだ。そして、情けない、と己の欲深さを恥じた。
(しかし、夫婦となった今ならば……際限なく愛することを許される。無論、彼女のいやがることはしないのが前提だが)
「レイラ……」
愛おしさが募り、アシュリーは思わずレイラを組み敷いて、両の腕に閉じ込めたあとキスの雨を降らせた。
「ん、アシュリー?」
「少し思い出したら、恋しくなってしまいました。初めて会った時からあなたには惹かれていた。そしてどうしても抑えなくてはならなかった悶々とした日々が……」
引き続き、キスの雨を絶え間なく降らせると、レイラが身をよじって赤い顔をする。きっとレイラも当時のことを思い返したのだ。アシュリー自身が我慢強い男だと思っていたことだろう。ただ、彼女を大事だからこそ抑えられていたということがあまり伝わってはいないかもしれない。
「今の私ならば、何も臆せずに、剥き出しの愛を伝えられる、そう思ったら、あなたが可愛くてたまらなくなって」
「アシュリーったら」
「すみません。どれほどでもあなたを愛せるようになったことが、嬉しくて……我慢がもうできません」
潤んだ瞳をした彼女を見つめながら、その想いを断続的に伝え続ける。やまない雨のように、ずっと……渇いた心を満たすように。
「……っ愛しています、レイラ……っ」
「……あ、待って、アシュリー!」
「観念してください。レイラ……私の愛はあなたにしか受け止められないのですから」
レイラがアシュリーの名を呼ぶ、ただそれだけでさえもいくらでも滾ってしまう。
そうしてアシュリーの愛しき妃への想いは、これからもとめどなく溢れるばかりなのだろう。
同じようにレイラも夫の愛に溺れながら本能のままに受け入れてしまう。
もう二度と離れられない、やはり二人は運命の番なのだ。