「寝室はこっちだ」
ポスカが先頭で歩き、寝室へ向かう。その後ろで、サラは何かを企んでいるような顔をしていた。一方、エステルは冷たい無表情でサラを横目に伺っている。
「ここだ」
廊下の両側に等間隔にドアが並んでいた。
「寝室はとりあえず6つ作った。使うかどうかは別として」
「6つ!?」
サラが大声で繰り返した。
ポスカは手前の1つのドアを開けて中を見せた。
「あまり広くはないが、完全なプライベート空間だ。一人一つ」
木製のベッドと文机、クローゼットがある。ベッドはキングサイズなので、三人くらいでも充分寝られる。
「動物の毛皮なんかがあればよかったのだが、今はふかふかにした植物の繊維を敷いてある。どこかでもっと上質な布を入手したら、改良したい」
「はいはいっ!」サラが唐突に手を挙げた。「あたし、ポスカ様と一緒の寝室がいいです。いいですかー?」
「王子と、一緒の寝室……? この小娘は何を言っているのでしょうかねえ」
ポスカの代わりにエステルが答えたが、その目は若干赤く血走っていた。
「ポスカ様、人間とともに寝るなど危険すぎます。この女はまだ信用できません」
ポスカは苦笑いした。
「危険とは思わないが、いちおう若い男女だし、一緒に寝るのはどうかと思う」
「……ポスカ様はもう結婚してるんですか?」
「いいや、まだ相手はいない」
それを聞いてサラは顔をピカッと輝かせた。
「じゃあ婚約者とか恋人は!?」
「特にいない」
「やったあああああっ!」
サラが飛び上がった。それを見たエステルは、顔をしかめ、
「魔界の王子に向かって、なんとずうずうしい質問を……。言っておきますが、あなたのような人間はたまたまポスカ様の慈悲深さに助けられただけであって、まったく恋愛や結婚の対象にはなり得ませんので、妙な期待を持たないことです」
「そうなの!? じゃあポスカ様はエステルさんのことが好きとか!?」
「うぐっ……!?」
エステルは急によろめくように足踏みしたかと思うと、右を見たり左を見たりと挙動不審になった。
「わ、私は、ただの侍女の一人。ポスカ様に釣り合うなどとは思いませんし、増してや仕える主人に恋をするなど……」
その先はごにょごにょしていてポスカとサラには届かなかった。
「なんというか、俺は別に妻にする女性の身分や種族や生い立ちは気にしない。人間だろうが侍女だろうが王族だろうが関係ないと考えている。今は特定の相手はいないというだけだ」
「じゃああたしもアリっ!?」
「ならば私にも可能性がっ!?」
サラとエステルが同時に叫び、互いに顔を見合わせた。
「もちろん可能性はある。初めから否定するつもりはない。当然だろう?」
ポスカがそう続けると、女二人の間にバチバチと火花が散った。両者は額と額がぶつかるほど顔を近づけてにらみ合う。
「なんでエステルさん喜んでるんですかぁ!? さっきまで興味ないって言ってたじゃないですかぁ!」
「興味ないとは言ってませんし調子に乗るのもいい加減にしろよ小娘がッ!」
「お、おい……それくらいにして……」
ポスカが間に入ると、女二人はいつもの顔に戻った。
「素晴らしいお考えが聞けただけで今は充分です。ポスカ様、一生ついていきまぁすっ!」
サラはニコニコで、ポスカの腕にさり気なく抱き着いた。
「この女……まだ出会ったばかりだというのに、この馴れ馴れしさ……」
エステルはサラを憎々しげににらんでいた。
「あとは、そうだな……こっちに来てくれ」
ひと通り室内の説明が終わったところで、ポスカは次の場所に二人を誘った。
「生活するには食料を調達する必要がある。どこかで買ってきてもいいが、自給自足するのもいいと思う。そこでだ。畑があるといい」
「森の外に作るんですね!」
「いや、わざわざ遠くにする必要はない」
三人は洞窟ハウスの外に出た。
ハウスのそばには小川が流れ、心地よい音楽のように水音が聞こえる。周辺の地面は凸凹で、他の場所よりは日光が差し込んでいるが、農業に適しているとは言いがたい。
「この辺に適当に畑を作っておこう」
「ポスカ様、ここ、森の中だから日当たりは微妙だし、石だらけで畑には向いてないような気がするけど……」
サラが心配そうに言うと、ポスカは、
「問題ない。エステル、あれを持ってきたか?」
「はい、指示通りお持ちしました」
エステルはどこからともなく小さな麻の袋を取り出し、ポスカに手渡した。
ポスカはその袋の留め紐をはずして、中に入っていた白い粒を地面にパッと撒いた。
種だ。
だがずいぶんと雑な撒き方だ。
「いくぞ」
ポスカは手のひらを、地面に散らばった種に向けた。
種が青い光に包まれたかと思うと、芽が出て葉が出てにょきにょきとツルが伸び、成長していく。普通ではあり得ない速さで育った植物は、あっという間に地面を覆い尽くし、顔より大きな深緑色の実をつけた。
「うそっ……もう野菜が出来ちゃった……しかも、おっきい……」
サラはこんなに大きな野菜は村では見たことがなかった。
「カボチャという野菜だ。異世界人から買った。煮ても焼いてもホクホクしてうまいぞ」
ポスカは一つ持ち上げて手に乗せ、ずっしりとした重さを確かめた。
「あなたにとっては驚くべき光景でしょうが、私にとっては全てがまったく見慣れた光景です。なんせ幼少期からポスカ様のことを知っていますからね」
エステルはサラへの対抗心を見せつけるように言った。
「ポスカ様ってすごーい! すごすぎます!」
サラはまたもやポスカに抱き着いた。
それを見たエステルは、「離れなさい! いちいちポスカ様に抱き着くんじゃない!」とサラの腕を引っぱって、力づくでポスカから剥がした。
「どうして? ポスカ様が嫌がってるわけじゃないのに」
「嫌がってますが?」
エステルはポスカをにらむ。
「え? ……嫌なの?」
サラが「傷ついた」と言いたそうな顔でポスカを見つめる。
「死ぬほど嫌ですよね?」
エステルが目だけで「そう言え」とポスカを脅していた。
女二人の視線を浴びるポスカは、「嫌とまでは言わないが、困るというか……まあ、控えてもらえると助かるんだが……」と、どちらにも配慮した、しかし曖昧な返事をした。
それを聞いたエステルはイラッとした様子で、
「いいですか? あなたは人間です。差別をするわけではないですが、全面的に信用したわけでもないので、ポスカ様に対してくれぐれも不審な行動を取らないように。私の仕事は王子の護衛も兼ねていますので」
「言われなくても不審な行動なんて取りませんってば」
「あー、二人とも、これから一緒に住むわけだし、仲良くしないか?」
ポスカがあきれて提案すると、二人は、
「もちろん、ポスカ様がそう言うなら」
「ええ、無論です」
と、微笑んで握手をかわした。しかし二人とも相手の手を握りしめた拳には、妙に力がこもっているようだった。
そのとき、ガサガサとやぶが音を立てた。
サラが驚いてそちらを見ると、先ほどの狼の姿の魔獣を数倍に大きくした、巨大な狼が三人の前に飛び出してきた。
太く鋭い牙を剥き、低くうなり、敵意に満ち満ちている。
「また魔獣!?」
「ケルベロスですねえ。この森の主でしょうか」
「恐らくそうだろう」
「なんでそんなに落ち着いてるのっ!?」
サラはガタガタ震えながらポスカの後ろに隠れた。狼の魔獣に追い回されたトラウマがはっきりと残っているせいで、震えが止まらず、身の毛がよだつ。
「俺もエステルも、こいつらが近づいていることに気づいていたからな」
「そうなの!? あたしだけ知らなかったっていうこと!? 教えてほしかったんだけど……」
「すまん。これほどの瘴気を放っていれば、人間でもさすがに気づくと思った」
「逆によくこんな『悪臭』に気づかずにいられますね。その鼻が羨ましいです」
「あたしだけ超鈍感みたいで恥ずかしいんだけど!? 人間ってそういうものじゃない? あたしが変なの!? 誰か教えて!」
「誰に言っているんでしょうかね」
エステルはあまり興味がなさそうに、自分の髪の毛先を整えていたが、ふと思いついたようにポスカに真顔を向け、
「ところでポスカ様」
「なんだ?」
「ケルベロスの肉というのは美味しいのでしょうか?」