ケルベロスの頭上に何かが光ったかと思うと、見えないナイフのようなものが無数に降り注いだ。同時にエステルが結界を解いたらしい。風圧と轟音と、ケルベロスの悲鳴が辺りに響く。
再び静まり返った森。
サラは自分のつぶやいた「ひれ伏せ」という言葉が、まだ舌の上に残っているような気がしていた。
ケルベロスは本当に地面にひれ伏していた。
「風の精霊ウィンディか。才能アリだな」
「あたしがやったの!? ポスカ様じゃなくて!?」
サラはまともに息ができず、咳き込みそうになりながら尋ねた。
「もちろんサラの力だ。これだけできれば魔獣に襲われても大丈夫だろう?」
サラは倒れたまま微動だにしないケルベロスを見つめ、次に震える自分の手を見つめていた。それから顔を上げて、救いを求めるように、ポスカを見、エステルを見た。
「この、ケルベロスっていう魔獣、死んだの?」
「魔獣は自我を失い、彷徨う亡霊のような存在だ。救いがあるとすれば、死だけだろう」
ポスカの表情は、そうであってほしいと祈っているかのようだった。
「魔法というのは便利ですが恐ろしいでしょう? イヤならその力、ポスカ様に返したらどうですか」
ちょっと嫌味っぽくエステルが提案した。
サラはもう一度自分の手のひらを見る。
「うん、確かに怖い。今も怖いかも。正直これがあたしの力になったなんて信じられない。でも、あたし、すごくドキドキ、わくわくしてる。この力がもっとうまく使えるように頑張る!」
それを聞いたエステルはきょとんとしたが、「才能アリのようですね」とつぶやいた。
ポスカは安心したようにうなずき、横たわっているケルベロスに手のひらを向ける。すると、透明な職人の集団でもいるかのように、その毛皮が剥がれ、手のひらに乗るくらいの肉が勝手に切り取られ、空中に浮き上がった。かと思えば、肉片が燃え上がり、炎はすぐに消え、香ばしい香りが漂ってきた。
「味見するか?」
ポスカは石を拾い上げると、手のひらでパシンと叩き、平べったくした。ピカピカに磨かれた皿ができあがった。エステルとサラにそれぞれ渡し、その皿の上に、焼いた肉が薄くスライスされて落ちてきた。
「ホントに空中で道具も無しで料理するんだ……」
いつか自分にもそんなことができるのだろうか、なんてサラは考えてみたが、やはり想像できなかった。
「匂いは悪くないようですね」
エステルが肉の香りをかいでいた。
サラは自分の皿にも同じ肉が載っていることを思い出す。
始めは魔獣の肉なんて、と思ったが、あまりに香りが美味しそうなので、ひと切れつまんで口に入れた。
「うまっ!」
やや硬いというか、歯ごたえがあるが、臭みやクセはなく、ほのかな甘みを感じる。村でよく食べる家畜や野うさぎの肉よりおいしい。
「味も案外悪くないですね。さすが森の主だけあると誉めておきましょうか」
隣でエステルも満足げにふた切れ目を口に運んでいる。
「なら、この肉は小さくして冷凍保存しておこう。キッチンの地下に冷凍室を作る」
ポスカは今思いついたことを早速実行に移した。ガタガタと辺りが揺れただけで、冷凍室とやらが完成した。そして、あれよあれよという間に、ケルベロスの肉体は解体され、大量のおいしい肉となって洞窟ハウスの地下に運ばれていった。残った骨や皮などの残骸は、ポスカが魔法で一瞬のうちに焼き尽くし、土に還した。
「あの、あたし、今度料理してもいいですか? 料理だけはちょっと自信あるのでー」
サラはケルベロスの肉を食べて、料理をしたくなったのだった。料理でなら、ポスカの役に立つことができるかもしれない。
「ぜひ頼む。俺としてはありがたい」
「どれほどの腕か分かりませんが、異論はありません」
「ありがとっ! ……そうと決まれば、いろいろ道具があるといいんだけど」
「皿でよければいくらでも作るが」
「嬉しいんですけど、お皿以外にも、スプーンとかフォークもほしいし、できれば村で使ってたみたいな調味料とか香辛料とかもあるといいなって」
「あまり細かいものや精巧なものは作るのが難しい。それに調味料のようなものは知識がないし、簡単には作れない。どこかへ買いに行くか?」
「ポスカ様、私たちにはお金がありませんが?」
エステルが鋭く割り込んだ。
「確かにお金には困っていませんが、金持ちというわけでもありません」
「うっかりしていた。となると、すぐに物をそろえるのは難しいか……」
ポスカは思案顔で腕組みをした。
その姿を見たサラは、ポスカにできるだけ手間をかけずに道具や食材を集める方法を考えようと思った。
「そうだっ! 村に行けば、あたしのうちに、使ってた道具も食材もまだあるかも」
「ふむ、村か。迷惑なゴブリンをしばく必要もあることだし、行くとするか」
「はいっ!」
「お供します」
三人はフラド村へと出発した。