ポスカ、エステル、サラの三人は森の出口に向かって歩いた。目的地はサラの住んでいた村だ。
「森の中と違って人の目のある場所に行く時には、あまり目立たないほうがいいと思うのだが」
ポスカとエステルの頭には左右一対の角が生えていて、帽子をかぶった程度では隠し切れない。肌の色も人間とは異なる冷たい色だし、顔や腕には派手な紋様も刻まれている。
「擬装しておいたほうが無難でしょう。ここは私が」
エステルが何かつぶやくと、三人を青白い光が包み込んだ。
「ちょっと、なにぃ!?」
サラが叫んだ。光はすぐに消えた。
「あっ、角が消えてる!」
サラはポスカとエステルを見て、また大声を出した。そういうサラ自身も、魔族特有の紋様が消えて、以前の顔に戻っている。
「人間らしく見えるか?」
「はい! 魔族って全然分からない!」
「さすがエステルだな」
誉められたエステルは「侍女として当然です」とまんざらでもない様子で答えた。
「角、どこに行っちゃったの?」
「魔法が見る者の精神に干渉して、見えなくしているだけです。実際にはちゃんと同じところにありますので、当然触ることもできます」
「へえ、全然わかんない」
「かまいません。理解できると思っていませんので」
「今あたしバカにされた……?」
「さあ行きましょうか」
先にエステルが歩き出す。
道中、ポスカがサラに偽装魔法の仕組みを詳しく話していたが、理解はあまり進まなかった。
村の入り口が見えてきたところで、サラの足が止まった。
「どうした? 大丈夫か?」
「うん……ちょっと緊張しただけ。もう二度と戻ってくることはないと思ってたから」
サラは村の総意として生贄に選ばれ、村を荒らすゴブリンへと貢がれた。一度は死をも覚悟した。村人はサラにとって裏切り者と言ってもいいだろう。
そんな、自分を捨てた村へとまた戻ってきたのだ。
「でもたぶん、大丈夫」
小さな村だった。人口は100人もいないほどで、粗末な家と、畑と、家畜小屋があるだけ。
サラが住んでいたうちに向かって歩いていると、同じくらいの年齢の若い女性が駆け寄ってきた。
「サラ!」
「ルリア!」
「生きてた! 無事だったんだ!」
「うん、あたし逃げてきたんだよ」
二人は泣きながら抱き合って、言葉を交わした。
ポスカとエステルは邪魔をしないように、しばらくその様子を見守っていた。
別の村人たちもサラの存在に気づき、一人また一人と集まり始めた。
「本物か……?」
「なんでサラが!? 連れてかれたはずだろ!? おい、どうなってるんだ!?」
「ゴブリンはどうした!? ゴブリンはどうなったんだ!?」
村人たちが集まり、辺りはガヤガヤと騒がしくなった。サラの無事を喜ぶ者もいれば、困惑している者、頭を抱えた者もいる。
「落ち着くのじゃ。みな落ち着くのじゃあ
!」
そこへ現れたのは、立派なヒゲを蓄えた老人だ。静まり返ったギャラリーの中から、サラの前に一人歩み出た。
「村長……」
サラはためらいがちに呼びかけた。
「サラなんじゃな?」
「そうだよ」
「そちらのお二方は?」
村長の窪んだ目がポスカとエステルをとらえた。
「たまたま近くを通りかかった者だ。この娘が倒れていたので、手を貸した」
ポスカが穏やかな声で答えた。
気の良さそうな好青年――そんな印象だが、普通、こんな辺鄙な土地をたまたま通りかかった、なんて怪しいと思うだろう。村長も当然そう思ったようだが、あえてそこには触れずに、「それはそれは、なんとお礼を言ってよいものか」と頭を下げた。
だが再び上げた顔には、強い警戒の色がにじんでいた。
「申し訳ありませぬが、ここから先の話は村の問題。今、厄介なことが起きているものでして、もてなしもできず心苦しいが、お引き取り願えますかな」
村長が丁重に告げると、
「嫌だ。俺も話を聞きたい」
ポスカは人懐っこい笑みを浮かべたまま言った。
まさかこんなにもストレートに断られるとは思っていなかっただろう。村長の太くて白い眉がぴくりと動いた。後ろの村人たちは、もっと動揺していた。
「なあに、純粋な興味だ。ここで何が起こっているか、俺の目で確かめたい。それに、困っているんだろう?」
「サラ、この人たちに話したのか?」
非難の目がサラを射抜いた。
「……話した。だいたいのことは」
「…………」
村長は沈黙し、どうすべきか考えているようだったが、やがてポスカの顔を見て、
「なんとか出ていってはいただけないかのぅ?」
「嫌だね」
「あなたがたは村の問題とは無関係。あなたがたが何を言おうが、言うまいが、決めるのは我々村民じゃ」
「かまわないさ。この村が繁栄しようが、消滅しようが、俺にとってはどうでもいい」
ポスカは飄々と答えた。
明らかに村人たちの多くがポスカの言動を不快に思っていた。が、村長は、
「ここに居座るのは勝手じゃが、あなたがたの身に何か起きたとしても、我々は関与しないのでそのおつもりで」
「そっちも俺たちのことはいないと思ってくれ。じゃあ、もう一つの目的を果たしに行こうか、サラ」
ポスカたち三人は村人の集まりから離れ、サラが住んでいたという家に向かって歩いた。村人たちの視線はずっとポスカたちの背中にそそがれていた。
「村人たちの様子は実に様々だったな。再会を喜ぶ者もいれば、まったく喜んでいない者もいた」
「あたし一人が犠牲になれば、村を守れるんだもの。みんなもともと悪い人じゃなくて、ただ自分の大切な人を守りたいだけ」
「だが、サラを捨てた連中だ。俺はゴブリンに野蛮な行為をやめさせることができる。だが、あえて放っておいて、サラが受けた苦痛を、あいつらにも少し味わわせてやることだって可能だ」
「あたしが受けた苦痛を……みんなにも……?」
サラはまったく新しい発見をしたかのように、驚きとともにポスカの言葉を繰り返した。
「その通り。サラがそうしたいと言うほうにしよう。サラが決めていい」
「あたしが、決める……」
サラが元いた家は、鍵がかかっていた。
「開かない……。鍵は生け贄に選ばれたとき、没収されたから持ってないよ、ダメだ」
「エステル、頼む」
「承知しました」
エステルが手のひらをドアの鍵穴にかざすと、ガシャリと音がしてドアが開いた。
「一瞬で……!?」
「さあ、中へどうぞ。私が言うことではありませんが」
中の様子は変わっていなかった。サラが使っていた料理道具や調味料、香辛料などもそのまま残っていた。
サラが持っていくものを選んでいると、ポスカが、
「迷うなら全部持っていけばいいんじゃないか?」
「でも、さすがに全部は持てないし」
とサラは当たり前の答えを返すが、
「エステル、頼む」
「はい」
エステルはサラが抱えていた道具を受け取り、それをヒュンとひと振りした。
道具が消えた。
「へ!? あたしのフライパンどこに行ったの!?」
「一時的に魔界に転送しました。洞窟ハウスに着いたら引き戻しますのでご安心を」
「そういうわけで、荷物の心配は不要だ」
「魔法って便利すぎ……」
サラはあっけに取られていた。
あらかたの道具を魔界に転送し終え、エステルの魔法でドアに元通り鍵をかけ、三人はほとんど手ぶらで家を出た。
「これで思う存分料理ができる!」
サラはさっきよりも少し明るい顔をしていた。
だが、村の様子はさっきとは違った。女性や子供たちは家に入り、戸を閉める。男たちは足早にどこかへ向かう。
「あっ……」
サラにとっては見慣れた光景だ。うつむき、ポスカの上着の裾をぎゅっと握る。エステルはその様子を見ても、離れろとは言わなかった。
「ご登場ですね」
「ああ、俺たちも行こう」
ポスカたちは村の男たちの背中を追った。
人だかりの向こうに、ひときわ大きな影が見えた。人間の倍はあろうかという身長に、筋骨隆々の身体。大人の男たちでさえ腰が引けてしまうその相手は、大柄なゴブリンだった。