普通、ゴブリンといえば背の低い小鬼のような魔物だ。だが、村にやってきたゴブリンのボスは、身長は四メートル以上、身体は筋肉質で腕は丸太のように太く、いかにも屈強な魔物だった。逆らえば、村人の粗末な小屋など簡単に倒壊させられてしまうだろう。
「オレのオンナが逃げやがったぞ! どうしてくれんだチクショウ!」
巨大なゴブリン……ボスゴブリンは誰に話すでもなくわめき散らしながら無駄に大きな足音を立てて歩いてきた。目についた村人に片っ端からガンを飛ばし、威嚇している。周りには下っ端の小さなゴブリンたちをぞろぞろと従えていた。
ポスカたちは民家の陰に隠れて、偉そうな行進を眺めた。
「あたしはあいつのお嫁さんにされるところだった」
サラは嫌なことを思い出したのだろう。顔がこわばっている。
「あいつがこの辺りのゴブリンたちを仕切ってて、村に悪さをしてるの」
「エステル、あのボスゴブリンと面識はあるか?」
「いいえ、まったく。つまり偉そうなだけで大した者 ではないでしょう」
王子であるポスカと、彼に仕えるエステルは、必然的に身分の高い魔族や、有力な魔族との交流が多い。
「だろうな。とりあえず様子を見よう」
ボスゴブリンたちの隊列は、村の男集団の前で止まった。男集団の中心には村長がいる。
「おいおい、どうしてくれんだ! オレのオンナが逃げやがったんだぞおい! どう責任を取ってくれんだおい! じいさん!」
挨拶も前置きもなくボスゴブリンがわめいた。太い足で地面を踏み鳴らし、威嚇している。
「そもそもお前らが逃がしたんじゃねえのかよ! もしそうならオレに反逆したってことだからよ、あの約束はナシでいいよな!」
村長はうろたえることなく、
「娘を一人捧げれば、これ以上村に悪さはしないという約束だったはずじゃ。だから我々は、あなたに娘を捧げたんじゃ。それ以外は何もしていない。娘が逃げたのは、あなた方の不注意だったのでは?」
「ふざけるなよ、お前たちは悪くないとでも言うのか!? 逃げるヤツが悪いに決まってるだろうが! あの女は供物としての自覚がたりねえ! こうなった以上、約束はナシだからな! てめえら、食い物を片っ端から持っていけ!」
ボスゴブリンは下っ端のゴブリンたちに命令した。
「待ちなさい!」
物陰から飛び出していったのはサラだ。サラににらまれた下っ端ゴブリンたちは足を止めた。
「おおっ! オレの妻になったサラちゃんじゃないかー! どこへ行ってたんだ、心配したんだぞっ?」
「妻になんか、なってない!」
サラはボスゴブリンをにらみつけた。
「いい? あたしはちゃんとあんたたちの供物として連れ去られてあげたでしょ! それで約束は成立なのよ! そのあと、あたしはあたしの意思であんたから逃げたんだし、あたしはもうこの村の人間じゃないから、この件は村には一切関係ない! 文句があるならあたしに直接言いなさい!」
「サラちゃんは自分の意思で逃げたのか? どうしてなんだ? オレとのイチャラブ生活はまだ始まったばかりなのに」
「あんたとイチャラブも結婚もしたくないから逃げたの!」
「いや、そんなこと言っても、オレ、もう魔界の役所に婚姻届、出しちゃったし」
「勝手に出すなあああっ!! お断りよ! っていうか、あたしサインとかしてないし! とにかく、村にこれ以上嫌がらせをするのはやめて!」
「オレはサラちゃんのことが本気で好きだ。だから、サラちゃんがオレとの愛の巣に戻って来てくれるなら、村に嫌がらせするのは、やめてやってもいい」
「愛の巣とか言わないで……」
サラは全身に鳥肌が立ったのか、両手で自分の身体を抱いてブルブルと震えた。
「あたしのこと、本気で好きなら、あたしの意思も尊重してよ」
「そうしたら、オレは村を襲わない約束をしただけで何も手に入れられない。損をしただけだ! それは困る!」
話は平行線のようだ。
「サラちゃん、オレと一緒に暮らせばきっとオレと結婚してよかったと思うはずだ! だからオレのところに来い!」
ボスゴブリンが太い腕をサラに伸ばした。サラは恐怖でとっさに顔をそらすことしかできなかったが、代わりに村の男たちが、手に持った農具でボスゴブリンの腕を阻んだ。
「おい、なにすんだ? オレに逆らうとどうなるか、分かってるんだろうな?」
ボスゴブリンは男たちをにらみつけた。下っ端ゴブリンたちも牙を剥いて村人たちを威嚇し始める。
「村長、もう我慢できません」
「やっぱりこんなのは間違いだ」
「サラだけにこれ以上背負わせるわけにはいかん」
「そうだそうだ」
村人たちが口々に声を上げた。
「みんな……」
サラは目に涙を浮かべた。
村長がサラの前に歩み出る。
「これが新たな村の総意じゃ!」
「お前ら、オレに盾突きやがったな! いいだろう! もう手加減しねえぞ! こんな小さな村、滅ぼしてやるからな!」
ボスゴブリンが空に向かって大声で吠えた。村の端々まで響き渡るような声だった。それを合図に下っ端ゴブリンたちは地面を踏み鳴らし、片腕を空に突き上げた。
「ポスカ様」
「ああ、もう充分だな」
物陰で様子をうかがっていたエステルとポスカは慌てることなく騒ぎのほうに足を向けた。
ポスカが手のひらを地面に向けると、あちこちの地中から植物の芽が顔を出し、一瞬のうちに成長してツタを伸ばした。ツタは意思を持った生き物のように動き、村人たちとゴブリンたちを一人残らず締め上げた。
双方の悲鳴とどよめきの中、ポスカは皆の前に姿を現す。
「これはてめえの仕業か!? いったい何者だ!」
鍛え上げられた肉体を持つボスゴブリンでさえ、からまったツタを簡単にはほどけない。