目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第7話

「村から来た者ですが」

「はい」

「忠君、こちらにいると伺っています」

「……少し、休ませてください」 

 Nは言った。

 窓の外からバイクの音が聞こえた。Nは思わず窓を振り向いた。



 施設に向かう前、Nは郵便配達の男と出会った。思わず見上げるほどの大男である。夕暮れ時、Nは遠くからやってきた人影に足を止め、右手を挙げた。

 バイクを一時停止すると、男は人懐っこい顔で話しかけた。どうやら山道を歩く旅人は珍しいようだった。

「この村ね、小さな道、たくさんあるんだよ。ガス燈のおかげで住宅まで見える。お兄さん、見かけない顔だけど」

「僕は山の向こうから来ました。〈グールド〉に滞在しています」

「ちょうど配り終えたところだよ。いい宿だね、あそこ。水たまりに音符のランプが浮かぶからね」

 郵便配達の男は笑った。Nは思わず息を呑んだ。

 口元に、確かに牙を見たのだ。二本、鋭く下の歯から突き出ていた。

「どうしたんだい? おいらの顔、カゲロウでも付いてるの?」

「いえ」

「村の悪い癖でさ、外から来る人間、みんな警戒するんだよ。おいらも随分、視線を受けるね。ポストに向かう度にね」

 男は帽子を取った。

 角が二本、はっきり髪から生えている。

「驚かせて悪い。あんた、目がいいね。夜更けでも見破るなんてさ」

 Nは微笑んだ。

「とんでもない。道案内してもらっただけです」

「おいら旅人には親切なんだよ。昔から」

「秘密にしますよ。見たことは」

「何言ってるんだい? 村の奴ら、みんな知ってるよ。だから話しても構わないさ。ここは森とは違うから」

「……森」

「そう。おいらの家もある。ちょっとばかり遠いけど。よかったら遊びに来なよ。狼どもがいなくなってるから」

 男はポケットから木の実を出した。

「ある少年と約束してる。ここじゃ詳しく言えないけど」

「わかりました。気を付けて」

「あ、そうだ。バナナシェイクの屋台ね。まっすぐだよ。お兄さんの言う通り」  

 男はバイクで去った。

 屋台の灯りが通りに浮かんでいた。暗闇でも〈バナナ〉の文字が読める。

 店の親父は上機嫌だった。

「この村に度々売りに来てるけどよ、店の売り上げ落ちたことねえんだ。広場での穴掘りに、黒猫を連れた女の子、それにお兄さんのような旅人。いつ来ても、誰かが店に寄ってくれる。バナナ一本も明日の銭になるってもんだよね。月明りの商売も捨てたもんじゃないね」

「実はその女の子と会っているんです。今、おじさんが話した子から」

「あの黒猫抱いてた子?」

「アイドルなんですよ。猫に名前を付けた途端、デビューが決まったんですって」

 親父は笑顔を浮かべた。

「俺、曲名知ってるよ」

「教えてくれますか」

「よし。もう一本、頼んでくれるかい?」

 Nは言葉を覚えた案山子のようだった。

「ください」

 ジューススタンドはうちだけだという。村の住民とは長い付き合い、旅も嫌いじゃないし。

「おまちどお」

 Nはシェイクを受け取った。すりおろしたばかりのバナナ。匂いが強く、白く泡立っている。

 カード残量も僅か。この地に来てから、一度もチャージしていない。

「デビューシングルはね。『桜ソングなんか歌わない』だったと思うよ」

「ありがとうございます」

 Nは店を後にした。

 シェイクの残りが少なくなった頃、図ったように一匹の猫が目の前にやってきた。

 どこかで見た黒猫だった。Nの足元にすり寄って鳴いた。



「ルイーズってさ。いつも外出するの。それで明け方帰ってくる」

 カナは言った。

「それでちゃんと帰ったの? まさか山、飛び越えてない?」

「大丈夫。お姉ちゃんのところまで行かないよ」

 電話を切った。キャンパスなんて全然羨ましくない、と胸の内で繰り返す。この村からどれだけ離れているのか想像はつかなかった。五歳上とはいえ、妙に大人びた声を聞いた気がした。

 カナは階段を上がり、部屋に入った。

 磨いた姿見は姉からのお古だった。「しっかり服、選びなさいよ」と言い残して夏枝は都会に出ている。

 教室の扉、みんなの目が一斉に集まった朝を懐かしく思った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?