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第23話

 男たちは控室に入った。

 薄汚れた壁にはスピーカーが一台、申し訳程度に設置してある。十二人は椅子に着いた。アナウンスまで長い沈黙を守る他ないようだ。

 照明が点滅を繰り返していた。十二人が瞬時に消え、また姿を現す。床に何人かの影が不気味に伸びた。背の高い男が一人、立ち消えた。

 七番はなぜ監視が自分を助けたのかわからなかった。床によじれたのが今では嘘のように映る。確かに靴底で激しく突いたはずだ。右手で抑えてみる。痛みが残っている。手のひらに腹の肉がある。靴は作業着を押し込んでいた。乾いた音だった。同じ唾液を呑む。苦味も、甘みも、粘り気すらもない。ただ温いだけで、腹を満たすには程遠かった。 

 一人の若者が席を立った。

 何を思ったのか、扉の前に向かった。

「おい」

 七番は言った。

「お前、さっき何か言っただろ」

 若者は微笑んだ。村で見た覚えがなかった。十二番。間違いなく列の最後から監視を呼んだ男だ。

「おっさんさあ、そんな言い方、やめてくれるかな。俺たちあんたのためを思ってさ」

「ここは誰が管理してると思ってんだ。言ってみろ」

「ばーか」

 十二番は鼻で笑った。他の男たちは黙り込んで聞いている。

「なぜここに来た」

「そういうのがバカだって言ってんの。わかったか、おっさん」

「それが君の主張なんだね。わかったよ。私の負けだ。ギャングについては聞いていたからね」

 七番は滴る汗を拭った。



「どうぞ」

 この男も一員なのか、妙に顔つきが穏やかだった。きっと何百人と話す仕事のため、厳しい顔を避けているのだ。

 七番は正面の椅子に着いた。面接室は薄暗く、窓もない。

「村から参りました。罪名は、DVです」

「配偶者に?」

「ええ。跡形もなく」

「殴ったと」

「はい。連れ子を泣かせましてね。私の言動、その他、あれもこれも苦痛だったみたいです。私は子供、苦手なんですよ。だから常日頃からろくに話してもいない。彼が鉄パイプを持ち出したのは驚きましたが」

「あなたはそれを見てどうされましたか。ご自分の罪に気付きましたか」

「彼は泣いていました。あんな鉄の棒、一体どこで拾ってきたのか知りませんけど」

「もう一人いましたよね」

「妻ですか。黙ったままでしたよ」

「その原因について聞いているんです。すでにあなたのことは報告を受けていますから」

「ついさっきその若者と話したばかりです。扉の外で」

「何を言っているんですか」

「違うんです。その、私をここへ通知した若者と」

「先ほどの若者とは初対面でしょう。彼があなたを通知した証拠などありません。それに他の作業員を名指しするのは禁じられています」

「彼も罪を犯していますよね」

「配偶者への仕打ちについて聞いているんです。跡形もないくらい、殴り続けたわけでしょう」

「違うんです。私はどうかしていました。どうかしていました。どうかしていました」

「何を言っているんですか」

 ブザーが鳴った。

「面接は以上です」

 七番に面接官の目が突き刺さっていた。ここへ入った時から変わらない目だ。口だけは穏やかで、顔つきは何も変わっていない。芋虫の死骸でも見つけたようだった。

「本日は、貴重なお時間、ありがとうございました」

 一礼すると、声が飛んだ。

「何を言っているんですか。このあと二次面接があるじゃないですか」

 扉を叩く音が鳴った。

「おや、誰でしょう。八番は失格ですね」

「十二番だと思いますよ。ついさっき話したばかりで」

「どうしてわかるんですか? ノックだけで人を判断できませんよ。その鉄扉は人の拳など受け付けません。叫び声を防ぐためです。お分かりですか」

 ノックの音が続いた。 

「八番さん」

 アナウンスの声が聞こえた。八番と呼ばれた男は扉の奥へ消えた。

 七番は十二番に詰め寄った。

「何でノックなんかしたんだよ、俺の面接だろうが」

「ばーか。俺がノックしたなんて証拠どこにあるんだよ」

 十二番は微笑んでいる。

「俺、監視から指示受けてんだよ。控室では頭を下げるなって」

「愚かだ。そういう正義感ほど人を追い込むんだよ」

「いいじゃん」

 声が飛んだ。一番だ。

「俺だって面接が終わったら同じこと言うと思うよ。下、向くなってね」

「馬鹿野郎!」

 七番が言うと、周囲から高笑いが飛んだ。聞いたこともない、大きな笑い声だった。

「お前。もっと目上の人物に敬意を払ったらどうだ」

「あんた」

 と、別の男が言った。

「控室は私語禁止だよ。わかってる?」

「待ってくれ。さっき下向くなって言ったのも私語だろ」

「違うよ。そう指示されただけ」

「こっちは何も指示されていないんだよ。わかるか?」

 また笑い声が飛んだ。七番は思わず振り返った。

 すると一番が口に手を抑えて肩を揺らしている。死ぬほどおかしいらしい。

 また別の声が飛んだ。

「あんたね、ちょっとは状況わきまえたらどうかな? トラックで何にも学んでないね。あの荷台さ、先に乗った者から番号が決まるんだよ。これ、どういう意味か分かる? 一番を長く閉じ込めておくためなのさ。で、あんたは七番目ってわけ。ラッキーセブンだよ。わかる?」

「これからどこへ行くんだ。倉庫内で働くのか」

 今度は静まり返った。笑い声が一気に引いている。まるで鮫が出た浜辺だ。

「俺は殴ったわけじゃない。泣かないように拳を使ったんだよ。それだけだ」

「馬鹿か」

 一番は言った。この男も十二番同様、生意気な口を持つ若者だった。二十歳くらいか。荷台から降りた時は印象がない。同じ廊下を歩き、同じ裸電球の下を過ぎたのだ。青白い顔の割に、口だけは達者なようだ。

「そうやって弁明するからだよ。倉庫に来たってことは、村で何かやらかしてるわけ。俺も含めてさ」

「君は何をやった。言え」

「そんなに気になるの? でも面接で言ったこと、また話す気にならないよ」

「言えよ。口答えする気ならな」

「十二番と同じことしただけ。二人で捕まったんだよ」

「下着盗んだって言ってたな。俺の罪に比べれば安いもんだ」

「そうだよ。でもあんたより罪が軽いって誰が決めるのさ。盗まれた方は無傷って言えるかい?」

 消えた笑い声がまた戻った。

「無傷とは言ってない。俺の言葉がよくなかった。反省する」

「わかってんじゃん。ここはどんな軽い罪でも連れて来られるの。アブラゼミを踏みつぶしても通報されたら終わり。アゲハチョウの羽をむしっても通報されたら終わり。もちろん、奥さんの顔を凹ませてもね」

「黙れ。殴ったわけじゃないって言っただろ」

「それってさ、あんたの息子にも同じこと言ってない? 名前知ってるけど」

 七番は青ざめた。

「そのガキの名前、言ってみろ」

「……言いたくないな」 

「言えよ。ガキの名だ」

 扉が開いた。八番が面接を終えて出てきた。 

 控室に立つ男たちは一斉に扉を見た。嘲笑が消えた。

 半開きの扉の向こうに物音はない。面接官の倒れた足が誰の目にも明らかだった。

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