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第24話

 七番は唖然とした。

「おっさん。俺が中で何やってたか、わかるよな」

「おい。人を殴ってその態度はなんだ? お前が殴ったんだろ? 人の痛みもわからないなんて最低の野郎だな。俺たちは仕事をもらうんだぞ。合格を受けて塔に向かうんだよ。なのに台無しにしてる……この倉庫、誰が管理してるかわかっているのか? 言ってみろ」

「ば~か」

 ジローは言った。

「あんた、こういう時だけ正論なんだな。今言ったこと、忠にも言ってみな。泣き腫らした忠にも同じこと言ってみな。俺たち、あいつがシェルターで治療してること、知ってるよ。あんたが忠のママ、どれだけ殴りつけてきたか全部聞いてる」

 七番は固唾を呑んだ。

「言っただろ? どんな些細な罪でもここへ来るってさ」

 七番は膝を付いた。家の庭、あの小さな砂場で少年が虫を見ている。一度も「パパ」と聞いたことがない。背中で女の声が届く。こちらは何とか「パパ」と呼んでいるようだった。

 七番は力なく額を床に付けた。



「おっさん、もういいよ」

 七番は微動だにしなかった。卑しい泣き声のみが響いた。

 冷たい床に涙がこぼれ、ジローの足元に流れた。

「俺たちも忠が無事ならいいんだ。あんたの詫びなんかどうでもいい。たとえ狼に食われちまってもさ」

「森には入ったことなんてない。本当だ」

「それは違うな。俺たちトラックで運ばれたんだ。通ってないなんておかしいよ」

 七番は顔を上げた。

「違うんだ。自分の足で向かったことはないんだよ。女神を潜ると、二度と戻れないと聞いていたからさ。君たちのような勇気はなかった……これでいいだろ」

「ジロー」

 一番が言う。

「この人も恐怖を覚えたんだ。俺たちと同じ」

「わかってる。殺すのは忠の意思だ。意思からチャンスを分捕る気はねえよ」

「許してくれ。殴ったのは事実なんだ」

「黙れよ。ここを出てもそんな態度できるのかよ」

「廊下へ出てください」

 アナウンスが聞こえた。 

 男たちは廊下へ出た。ジローは最後列に付いた。十二人、乱れなく直線に並んでいる。

 監視が先頭に立った。

「私に付け。いいな」

「イエッサー!」

 一同は廊下を歩いた。

「停止」

 足が一斉に止まった。耳元にもう一人の足が遅れて入ってきた。

「誰だ」

 一番から十二番、両足を揃えていない者はいなかった。

「私です。面接官です」

「なぜここに?」

「いえ、先ほど八番に殴られて」

「八」

「はい」

「殴ったのは本当か」

「殴らなかった証拠でもあるんでしょうか」 

 笑い声が飛んだ。随分久しぶりに届く声だった。

「十二」

 監視は言った。

「お前が殴ったことにする」

「ありがとうございます」

「待ってください。面接官に危害を加えるなんて前代未聞です。私にも主張があります」

「今更何を言う」

「違うんです。その、態度が許せず」

「面接は終わったはずだ。君も上の者に報告するがよい」

「はい!」 

 面接官は去った。八番の肩が揺れていた。

「監視。殴ったのは俺です」

「わかっている。今はいい。歩け」

 男たちは廊下を歩いた。扉から陽の光が立ち込めていた。東の空だ、とジローは思った。  

「整列」

 男たちは一斉に足を揃えた。つま先は一ミリすらも出ていなかった。十二人。声を殺して扉の前に並んでいる。

 誰一人、頬を緩めるものはいない。ジローは監視を一瞥すると、倉庫内の壁に目を戻した。所々に燕の糞がこびりついている。足下にも、同じ糞の跡が印のように付着していた。


「少しだけ動いてよろしいですか。糞を踏んでいるんです」

 監視はジローに近づいた。ジローはその間、目を逸らさず相手の顔を見た。

「よく言ってくれた。私もここが嫌だ」

 監視は肩をつかんだ。手袋の厚い生地が食い込む。ジローは苦痛に顔を歪めた。声を喉奥に閉じ込めた。

「少しだけ動け。燕の的になってはよくない」

 ジローは言われるままに足を前に出した。

「ここは来客が絶えないんだ。燕もよく働いているな」

「このあとは」

「塔に向かう。まだ見えないが」

 監視はジローの肩から手を離した。ジローはため息をついた。列が再び歩き始めると、図ったように一匹の燕が飛んできた。薄暗い倉庫内を切り裂き、巣に着いた。

 男たちは全員その塔の方向に顔を向けていた。

 ジローは声を押し殺したまま歩き始めた。先頭に立つ一番の肩が見える。監視は一番の右、サイドカーさながらぴたりと付いている。小石を踏み砕く足音が続いた。猫であれば一目散に逃げる、不快な音だった。

 塔は朝日を浴びて半分だけ白く輝いていた。入口付近に人影はなく、静かだった。青空を突き刺している。

 監視が門の扉を開けた。


「ここからは塔の住人に従え。私はこれで帰る」

「質問」

 ジローは手を上げた。

「頂上までは何階ですか」

「一〇五階だ」

 男たちはざわついた。ジローと一番以外、顔から生気が消えている。

「だが安心しろ。何も頂上まで上がることはない。役所は十二階にある。そこが職場だ」

「……僕から」

「そうだ。番号順に入ってもらう。いいか? とりあえず空腹を味わえ。汗をかけ。自分だけが選ばれていると思うな」

 監視は去った。

 一番が扉の前に向かった。

「俺から入る」

「冗談じゃねえよ。俺も入るぞ」

 ジローは言った。

「何のために番号もらったのか考えるんだ。俺から行かなきゃ、たぶん殺される。ミノルさんが言ってたこと、忘れたのか? 順序があるんだよ。それに従えばいい」

「……わかった。頼んだぞ」

 七番が顔色を変えた。汗を拭ってジローのそばに詰め寄った。

「ギャングが来るのか」

「他に誰が来るってんだよ。K地区なら常識だろ」

「俺はそいつに借りがある。家から連れ出されたんだ」

「だから何だよ、おっさん。忠を追い込んだくせによ」

「あの子は母親を怖がってたんだ。ほんとだ」

「うるせえ! あんたがボコったんだろうが」

「忠に手を上げたことはないぞ。本当だ」

「あんた、忠についてしゃべる権利なんかねえよ。弟に近づくな」

「俺は七番だ。〈あんた〉じゃない」

「やめろ。俺から入ればいいだろ。七番さん、あんたも後を追えばいい」

 一番は塔に入った。

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