「いいか。これを番地通りに入れていく。それだけでいい」
監視は各階を巡回、新入りには同じ説明を続けていた。
大きなテーブルに書類の山があった。天井まで堆く積んでいる。
「いつまで続くんだ。冗談じゃねえよ」
愚痴に付き合う者はいなかった。
「お前ら、よく飽きないな」
無視しているのか、誰も振り返ることはなかった。一番は黙々と書類を棚に入れている。都会への転 居届も含まれているらしい。
「こんなクソ田舎来るんじゃなかったよ。スーパーで段ボール潰すだけの毎日なんて面白いわけないよな」
聞こえるような声だった。
「あの女、仕組んでたんだよ。だから俺をここに連れてきたんだ」
一階分、一時間ごとに人が入る。正午から開始。十二番まで休むことなく続く。
女の連れ子。忠の名前を七番は胸の内で繰り返した。拳を出したことは一度もない。
ある朝、K地区について女から聞いた。村一帯に連絡網が行き届いている。だから、虫を潰してもギャングが飛び込んでくる。窓から山に伸びる塔を眺めた。
スーパーの倉庫で出会ったなど、都で誰が本にするだろう。空箱を畳む。ただそれだけの作業が続いた。
七番はため息をついた。
「時間だ」
監視が言った。七番は他の男たちと共に階段を降りた。五階に着く。内装は全く変わらない。高い棚が部屋全体を囲んでいる。
「いいか。これを番地通りに入れていく。それだけでいい」
監視は再び階段の下へと消えた。
八番が参加しても作業に変化はなかった。書類は減るどころか、前の階より増えている。
「同じくらいの量だと思うけど」
別の作業員が言った。蛍光灯の真下まで隙間なく積んでいた。そのため室内は薄暗く、八人の男が行き交うには狭く感じた。足音のみ、誰の耳にも届いた。壁時計はなく、大きな窓が一つだけある。
七番は作業に入った。
「違いますよ」
背後から声が飛んだ。
「何がだ」
「いえ。あなたの整理の仕方。整理の仕方」
「何が違うんだ」
「二回言った意味、わかります?」
一番ではなかった。八番も黙って手を動かしている。
何番の男なのか、見当はつかない。
「ここは私語禁止だろう? 倉庫と同じだ」
「……すみません」
声の主は背後に消えた。倉庫と同じ。そう口にした直後、諦めたように去った。
ブザーが鳴った。全員の手が止まると、声もなく階段へ並んだ。
「整列」
監視は言った。七番は一列に参加、すぐに背中の人影に気付いた。
「おっさん」
八番は言った。
「あんた、あと四人迎える覚悟あるかい?」
「なかったらどうするんだ。俺は村へ帰る」
「でも忠君、あそこにいるよね」
忠の名前を聞いて口をつぐんだ。忠、忠、忠……胸の内で呼ぶだけなら、もう千回はとうに超えていた。
「なぜ息子の名を知ってるんだ」
「そんなの、誰かに聞いたからに決まってるだろ。ここは連携してるんだよ。ラッキーセブンの意味、わかってる?」
「知らねえな。お前こそエイトマンじゃねえだろ?」
笑い声が起きた。また倉庫と同じだ、と七番は思った。
「一番さん、すみません」
七番は手を挙げた。
「後ろの男、生意気なんです。どうにか監視に伝えて頂けますか」
「わかりました」
一同は階段を下りた。踊り場で九番が合流した。倉庫での印象はなかった。今、初めて見るような顔だった。
「お前、初めてか?」
七番は言った。
質問には答えなかった。青白い顔のままだ。
「あと三人、迎える覚悟あるか?」
「おい」
声が飛んだ。
「人の台詞、パクるんじゃねえよ。リーダーは一番なんだぜ」
「黙れ。俺が年長者だ。倉庫のようにはいかないんだよ」
書類を持つ手に震えはなかった。窓に倉庫が見える。あそこからやってきたのだ。煙突が伸びているのがわかった。真っ白な煙を吐き出していた。
スーパーで段ボールを片付けた日から、何度塔を見上げたのか、今更数える気にもならなかった。積み込んだ大量の紙。また、紙。背中にゼンマイ仕掛けの男たちが数人。胸のゼッケンに触れる。倉庫から歩く際、同じように胸に手を当てた。
村での記憶、あの朽ちた木造の家での出来事が鮮明だった。女が叫んでいる。その横で小学生の子供が泣いている。罵倒したばかりで、声が部屋中に残っている気がした。
「みんなもう少し我慢してくれ。一階までもうすぐだ」
誰も答えなかった。
前の階で皮肉を浴びせた男を見た。八番だ。
「おい」
八番は振り返った。
「随分大人しいじゃないか。腹でも痛いのか?」
「やめなよ、おっさん」
「うるせえ。お前ら俺より体力あると思ってんだろ。俺より早くできると思ってんだろ。俺はスーパーの倉庫でずっと段ボール潰していたんだ。これ程度の作業に応えるわけねえんだよ。あと三人だろ? 十番は何やってる? 十二は元気なのか? 地上に降りたら、ちょっとは目上の人物を敬ったらどうだ?」
監視が来た。一同は手を止めた。
「時間だ。十番が入る」
一同は下へ降りた。階段は不思議と清潔だった。多くの人が出入りするはずが、ゴミ一つ落ちていない。
十番の印象も薄かった。同じトラックの荷台に乗ったはずが、倉庫でも口を開けたことがなかった。青白く押し黙った十番の影はほぼ見つからなかった。
「お前。あまり無理するなよ。あと二人で上がりだ」
七番は手の書類を盗み見た。〈忠〉と文字がある。同名だろう、と作業に移った。
突然倒れた青年に、誰一人振り向かなかった。
白い紙が虚しく床に散っている。
「お前ら」
声を出しても一同は手を止めない。一番は見向きもせず束となった紙を入れている。
「人が倒れたんだぞ。誰も助けないのか」
八番は棚の前で肩を揺らしている。
「何がおかしいんだ。ばかやろう」
七番は自分以外の男を睨みつけた。八人。どれも似た顔をしている。
トラックの中で突き合せたはずだった。朝、ギャングの目から逃れる術はなかった。乗れ。その一言が脳天に刺さっている。
七番は息を吸い込んだ。
「人が倒れてんだよ! 聞こえないのか!」
階段から監視が現れた。
薄笑いの八番が手を止めた。ひくひくと刻んだ肩が止んでいる。
「お前たちは下に行け。この男は私が見る」
「あの」
「何だ」
「私はさっきから誰も助けないのかと言いました。誰も助けませんでした。誰一人も」
「……報告しておく。下に行け」
七番は階段に向かった。
「僕から、少しだけ」
一番は言った。
「十番が欠けました。これで村には帰れません」
「おい」
「何でしょう。ルールに従いましょうよ」
「あのな、お前がリーダーか何か知らないけど、一人一時間ずつって聞いてるぜ。あと二人で上がりなんだろ? まさか上からやり直しじゃねえだろうな? 俺だって八番のままじゃ帰れねえしよ」
「待ってくれ」
七番だった。
「俺たちがどんなにもがいても、ギャングは見ている。勝手なことはできない」
「わかってんだよ、おっさん。勝手に死んだ奴のためになんで帰れなくなるんだよ。もうすぐ地上だってのによ」
「大丈夫だ。そのまま下に向かえ。一人、入ることになるが」
「僕からは以上です」
一番はテーブルに山となった書類をつかみ、棚へ急いだ。足音が響いた。七番はしばらくその背を見ていた。
「あんた」
八番が肩に手を当てた。
「さっきは小馬鹿にして悪かった。嘘でも笑ってみたかったのさ」
「別に気にしていない。私はきっとどこへ行っても、同じ扱いを受ける。スーパーの倉庫の方がきつかったさ」
「十一番の奴、来るぞ。どんな面だったか知らねえけど」
「俺も覚えていない」
「なあ、一番って管理人に指示受けてんのかな。最初に入った人間だから」
「あいつは俺たちより働いてる。十二階からな」
八番はため息をついた。
他の作業員は黙って仕事を始めている。一枚の紙が棚へ、また棚へと吸い込まれていく。変わった様子もなく、私語もなく淡々と作業を続けていた。
監視は十番を運んだきり、戻ってこなかった。窓の外は暗闇に包まれている。九人。誰もが疲れを隠そうとしていない。
階段から男が一人、姿を現した。
七番は手が止まった。他の男たちも同様に手を止めた。息を呑み、新しく入った男に視線を投げた。
「俺がミノルだ」
男は書類の山へ向かった。