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第26話

「いいか。これを番地通りに入れていく。それだけでいい」

 監視は各階を巡回、新入りには同じ説明を続けていた。

 大きなテーブルに書類の山があった。天井まで堆く積んでいる。

「いつまで続くんだ。冗談じゃねえよ」

 愚痴に付き合う者はいなかった。

「お前ら、よく飽きないな」

 無視しているのか、誰も振り返ることはなかった。一番は黙々と書類を棚に入れている。都会への転 居届も含まれているらしい。    

「こんなクソ田舎来るんじゃなかったよ。スーパーで段ボール潰すだけの毎日なんて面白いわけないよな」

 聞こえるような声だった。

「あの女、仕組んでたんだよ。だから俺をここに連れてきたんだ」

 一階分、一時間ごとに人が入る。正午から開始。十二番まで休むことなく続く。

 女の連れ子。忠の名前を七番は胸の内で繰り返した。拳を出したことは一度もない。

 ある朝、K地区について女から聞いた。村一帯に連絡網が行き届いている。だから、虫を潰してもギャングが飛び込んでくる。窓から山に伸びる塔を眺めた。

 スーパーの倉庫で出会ったなど、都で誰が本にするだろう。空箱を畳む。ただそれだけの作業が続いた。

 七番はため息をついた。      

「時間だ」

 監視が言った。七番は他の男たちと共に階段を降りた。五階に着く。内装は全く変わらない。高い棚が部屋全体を囲んでいる。

「いいか。これを番地通りに入れていく。それだけでいい」

 監視は再び階段の下へと消えた。


 八番が参加しても作業に変化はなかった。書類は減るどころか、前の階より増えている。

「同じくらいの量だと思うけど」

 別の作業員が言った。蛍光灯の真下まで隙間なく積んでいた。そのため室内は薄暗く、八人の男が行き交うには狭く感じた。足音のみ、誰の耳にも届いた。壁時計はなく、大きな窓が一つだけある。

 七番は作業に入った。

「違いますよ」

 背後から声が飛んだ。

「何がだ」

「いえ。あなたの整理の仕方。整理の仕方」

「何が違うんだ」

「二回言った意味、わかります?」

 一番ではなかった。八番も黙って手を動かしている。 

 何番の男なのか、見当はつかない。

「ここは私語禁止だろう? 倉庫と同じだ」

「……すみません」

 声の主は背後に消えた。倉庫と同じ。そう口にした直後、諦めたように去った。

 ブザーが鳴った。全員の手が止まると、声もなく階段へ並んだ。

「整列」

 監視は言った。七番は一列に参加、すぐに背中の人影に気付いた。

「おっさん」

 八番は言った。

「あんた、あと四人迎える覚悟あるかい?」

「なかったらどうするんだ。俺は村へ帰る」

「でも忠君、あそこにいるよね」

 忠の名前を聞いて口をつぐんだ。忠、忠、忠……胸の内で呼ぶだけなら、もう千回はとうに超えていた。

「なぜ息子の名を知ってるんだ」

「そんなの、誰かに聞いたからに決まってるだろ。ここは連携してるんだよ。ラッキーセブンの意味、わかってる?」

「知らねえな。お前こそエイトマンじゃねえだろ?」

 笑い声が起きた。また倉庫と同じだ、と七番は思った。

「一番さん、すみません」

 七番は手を挙げた。

「後ろの男、生意気なんです。どうにか監視に伝えて頂けますか」

「わかりました」

 一同は階段を下りた。踊り場で九番が合流した。倉庫での印象はなかった。今、初めて見るような顔だった。

「お前、初めてか?」

 七番は言った。

 質問には答えなかった。青白い顔のままだ。

「あと三人、迎える覚悟あるか?」

「おい」

 声が飛んだ。

「人の台詞、パクるんじゃねえよ。リーダーは一番なんだぜ」

「黙れ。俺が年長者だ。倉庫のようにはいかないんだよ」  


 書類を持つ手に震えはなかった。窓に倉庫が見える。あそこからやってきたのだ。煙突が伸びているのがわかった。真っ白な煙を吐き出していた。

 スーパーで段ボールを片付けた日から、何度塔を見上げたのか、今更数える気にもならなかった。積み込んだ大量の紙。また、紙。背中にゼンマイ仕掛けの男たちが数人。胸のゼッケンに触れる。倉庫から歩く際、同じように胸に手を当てた。

 村での記憶、あの朽ちた木造の家での出来事が鮮明だった。女が叫んでいる。その横で小学生の子供が泣いている。罵倒したばかりで、声が部屋中に残っている気がした。


「みんなもう少し我慢してくれ。一階までもうすぐだ」

 誰も答えなかった。

 前の階で皮肉を浴びせた男を見た。八番だ。

「おい」

 八番は振り返った。

「随分大人しいじゃないか。腹でも痛いのか?」

「やめなよ、おっさん」

「うるせえ。お前ら俺より体力あると思ってんだろ。俺より早くできると思ってんだろ。俺はスーパーの倉庫でずっと段ボール潰していたんだ。これ程度の作業に応えるわけねえんだよ。あと三人だろ? 十番は何やってる? 十二は元気なのか? 地上に降りたら、ちょっとは目上の人物を敬ったらどうだ?」

 監視が来た。一同は手を止めた。   

「時間だ。十番が入る」

 一同は下へ降りた。階段は不思議と清潔だった。多くの人が出入りするはずが、ゴミ一つ落ちていない。

 十番の印象も薄かった。同じトラックの荷台に乗ったはずが、倉庫でも口を開けたことがなかった。青白く押し黙った十番の影はほぼ見つからなかった。


「お前。あまり無理するなよ。あと二人で上がりだ」

 七番は手の書類を盗み見た。〈忠〉と文字がある。同名だろう、と作業に移った。

 突然倒れた青年に、誰一人振り向かなかった。

 白い紙が虚しく床に散っている。

「お前ら」

 声を出しても一同は手を止めない。一番は見向きもせず束となった紙を入れている。

「人が倒れたんだぞ。誰も助けないのか」

 八番は棚の前で肩を揺らしている。

「何がおかしいんだ。ばかやろう」

 七番は自分以外の男を睨みつけた。八人。どれも似た顔をしている。

 トラックの中で突き合せたはずだった。朝、ギャングの目から逃れる術はなかった。乗れ。その一言が脳天に刺さっている。

 七番は息を吸い込んだ。

「人が倒れてんだよ! 聞こえないのか!」

 階段から監視が現れた。

 薄笑いの八番が手を止めた。ひくひくと刻んだ肩が止んでいる。

「お前たちは下に行け。この男は私が見る」

「あの」

「何だ」

「私はさっきから誰も助けないのかと言いました。誰も助けませんでした。誰一人も」

「……報告しておく。下に行け」

 七番は階段に向かった。

「僕から、少しだけ」

 一番は言った。

「十番が欠けました。これで村には帰れません」

「おい」

「何でしょう。ルールに従いましょうよ」

「あのな、お前がリーダーか何か知らないけど、一人一時間ずつって聞いてるぜ。あと二人で上がりなんだろ? まさか上からやり直しじゃねえだろうな? 俺だって八番のままじゃ帰れねえしよ」

「待ってくれ」

 七番だった。

「俺たちがどんなにもがいても、ギャングは見ている。勝手なことはできない」

「わかってんだよ、おっさん。勝手に死んだ奴のためになんで帰れなくなるんだよ。もうすぐ地上だってのによ」

「大丈夫だ。そのまま下に向かえ。一人、入ることになるが」

「僕からは以上です」

 一番はテーブルに山となった書類をつかみ、棚へ急いだ。足音が響いた。七番はしばらくその背を見ていた。

「あんた」

 八番が肩に手を当てた。

「さっきは小馬鹿にして悪かった。嘘でも笑ってみたかったのさ」

「別に気にしていない。私はきっとどこへ行っても、同じ扱いを受ける。スーパーの倉庫の方がきつかったさ」 

「十一番の奴、来るぞ。どんな面だったか知らねえけど」

「俺も覚えていない」

「なあ、一番って管理人に指示受けてんのかな。最初に入った人間だから」

「あいつは俺たちより働いてる。十二階からな」

 八番はため息をついた。


 他の作業員は黙って仕事を始めている。一枚の紙が棚へ、また棚へと吸い込まれていく。変わった様子もなく、私語もなく淡々と作業を続けていた。

 監視は十番を運んだきり、戻ってこなかった。窓の外は暗闇に包まれている。九人。誰もが疲れを隠そうとしていない。

 階段から男が一人、姿を現した。

 七番は手が止まった。他の男たちも同様に手を止めた。息を呑み、新しく入った男に視線を投げた。

「俺がミノルだ」

 男は書類の山へ向かった。

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