塔の中は安全だった。幹部の下、厳重に個人情報を取り扱っている。各家庭の平均所得、出生数、転入、および転居の届。各種社会保障。月のゴミ収集にまつわること。例えばフライパンは不燃ゴミ、三〇センチまでの炊飯器は燃えるゴミ。プラスティックごみは週二回。古本、段ボールは毎週末、村と提携する業者に任せている、等々。
背の高い男が黙々と続けていた。十一番である。クスリともしない顔だった。
「お前、よく動いてくれるな。すごく助かるよ」
ミノルは言った。
「あと一階だ」
十一番の男は頷くだけだった。夜が降りていた。星が瞬き、黒い森を照らしている。
正面玄関へ続く階段にジローがいた。
「おい」
一番の横に着いた監視が睨んだ。
「入口で待つと約束したはずだ。階段に立つのは御法度なんだ」
「十一時過ぎましたが」
「ここには時計がない。なぜそんなことが言える?」
「窓からみんなの姿を見ていたんです。地上からでも辛うじて見えますから」
「なぜ時間がわかるか聞いている」
「それは動きが同じだからです。一時間経てば窓からいなくなる。ちょうど二階の景色もそうでした。背の高い十一番のおかげです」
「ジロー」
一番は言った。
「俺たちを通してくれ。頼む」
ジローは口を閉ざしている。
ミノルは一番の横に立って言った。
「通せ。入口で話しを聞いてやる。我々は地上に向かう」
ジローは道を開けた。男たちはミノルに続いて塔を出た。ジローは声を押し殺して十一人の列に付いた。暗闇が降りている。
正面付近でジローは七番に近づいた。
「村に帰るのは十一人。今から俺が決める」
「何のことだ。お前は仕事していないだろ? 俺たちはせっせと汗水たらしてここまでたどり着いたんだよ。何も頑張っていないのにでかい口叩くなよ。俺みたいに苦労しないと村には帰れないぞ。ミノルさん、そうだろ? こいつ間違っていませんか? 仕事していないのにさ」
「間違っていないな。あんたの胸の番号、もう一度見るといい」
七番の目が見開いた。胸に手を当てる。ラッキーセブン。手汗で濡れている。
「怯えるって意味、わかるか?」
七番は逃げ出した。その瞬間、背の高い十一番が壁となった。
「やめろ……!」
十一番は男の両手を後ろから掴んだ。
血の海だった。ミノルの顔も真っ赤に濡れていた。森から梟が鳴いた。男たちは茫然と死体を取り囲んでいた。
ジローは溜息をつき、ナイフを地面に落とした。
「鬼は森の侵入者を許さないだけ。別に俺たちが狙いじゃないんです」
一番は例の女性について説明した。十歳。小学四年生の春休み、この森で見た蜘蛛。体が割れて、鬼たちを丸呑みした記憶について話した。
荷台の中は静かだった。厚い布が男たちを囲っている。トラックは闇夜の中を突き進んでいた。
「今もどこかに。鬼たちを食らって生きていると思います。俺、そのお姉さんと少しだけ話したんです」
「そいつは信じねえな。裸の女なんかどこにいるんだ。転がってるなら俺がぶち込むぞ。体めいっぱい使った仕事の後は、無性にやりたくなるもんだ。港に娼婦がいるのはそのためなんだよ。あの村じゃ、クソババアしかいないけどな」
八番は言った。額から汗が流れ出ている。
「鬼については知ってるぞ」
十一番が言った。
「ミノルさん、俺たちを村に届けるまで止めないと思う」
「てめえで鬼、殺せってか」
「善悪で判断できるほどこの森は甘くない。ギャングも鬼程度で止まるわけにいかないんだ」
男たちは押し黙った。
「外の様子、俺が見る」
「ジロー」
「大丈夫だ。鬼なんか殺せばいいだろ」
ジローは荷台から顔を出した。布の隙間から風が吹き込んできた。
下から赤い手が伸びた瞬間、一番は咄嗟に手を伸ばした。爪先が肩に食い込でいる。ジローは苦痛に歪んだ。
それはヒトではなかった。目を凝らすと二本の角が見える。笑っている。
荷台は声が入り乱れ、あちこちで罵声が飛んだ。
今の誰だ、十番か。違う。死んだ七番じゃねえの。違うよ。
ああ、そうだ。ここは昔からお化けが出ると聞いてる。
ジローはいなくなった。
十一番は荷台の下を覗いた。
「ジロー」
反応はなかった。トラックはスピードを上げている。赤い化け物も去ったようだ。
「おい!」
八番は蒼白していた。残る男たちに向けて言った。
「てめえら、こんな時にぼさっとしてんじゃねえよ。ちっとは動いたらどうなんだ? 見てみろよ。みんな今みたいに食われちまうぜ」
「黙れよ、おっさん」
一番が言った。
「さっき言ったこと覚えてないのか? ミノルさんは村までトラックを走らせる。俺たちを信頼してるんだよ。おっさんこそ、ちっとは頭働かせて物言えよ」
「お前」
「何ですか」
「俺の方が先輩だろうが。鬼程度で偉そうに」
「あなたこそ先輩程度で偉そうに」
「うるせえ! 倉庫の時から生意気言ってんじゃねえよ! 鬼に連れ去られた野郎、見たか? もう肉すら残ってねえんじゃねえのか?」
「……俺が、遅かっただけです。ジローは生きていますよ、きっと」
「死んだよ。ここはガキ一人で生きる世界じゃねえの。お前も村のジジババから聞いてるだろ? 一度足を踏み入れたら最後。肉片すら残らねえところなんだ」
一番は荷台から森を覗いた。闇一色だった。夥しい樹の影が過ぎる。冷たい風が頬を叩いた。ジローの姿はなく、ただトラックの走行音のみが響いている。果てしなく、深い森が続いている。
「静かに」
耳に飛び込んだのは梟の声だった。
ついさっき血の海と共に響いた声と同じだった。