さて、鏡花宮近くなると宮の周りの者たちが遠巻きにしている。
それは私の隣にいる、大型のネコ科の猛獣にあたる豹のせい。
「ガルル」
とやや唸るような声を上げながら、私の近くをついて歩く姿は堂々としたもので大変良い見栄えである。
威嚇としても、護衛としても大変優秀であるのでこのまま碧玉宮での飼育は決定で良いなと思ったのは間違いなかった。
凛々しい豹を従えて、龍安様ともに鏡花宮へと向かう。
「陛下!ようこそ、鏡花宮へ」
そんな声かけをして来た侍女に、豹は一層低く唸った。
「ガルル。ガウ」
あぁ、この侍女がこの子に嫌なことをしたのね。
私は豹の様子から、今回の事件の犯人を早々に発見してしまった。
そして微かに香る、この子が吐き出したにおい玉の香り。
「あら?一緒に居るのは陛下だけではなくってよ?」
今回は胡貴妃の宮に行くため、ばっちり貴妃スタイルで臨んでいるので会話はお上品にね。
微笑んで声を掛ければ、私が一緒なのは気に入らないのをそのまま態度に出してしまう。
侍女としては、レベルが低すぎるわね。
私の舜娘をごらんなさい、主への態度にイラついても武器発射五秒前で耐えて顔にも出さないわよ?
なんて私が思っていると、舜娘は地味な嫌がらせに害虫の好きな餌をそっとばら撒いていたのを目線の端で確認してしまった。
舜娘、なかなか地味でも効果のある報復をと内心感心している横で陛下が話し始めた。
「胡貴妃が飼育していたと思われる豹が脱走して、劉貴妃の碧玉宮の壁を破壊した。今回の脱走が、故意と思われる故に調べに来た。被害者でもある豹も、劉貴妃に励まされ報復を考えているようだし、この子は賢いから誰が原因か教えてくれるだろう」
陛下の言葉に、私への態度の悪かった侍女は目に見えて顔色が悪くなった。
まず間違いなく、彼女が脱走の犯人なのだから仕方ないと思うが、やったことが悪いことなのでしっかり裁かなければならない。
しかし、今回の一番の被害者はこの母豹なので、まず母豹には私が話したように上手に服だけ破いて差し上げるのが良いだろうと考えていたところ……。
「まぁ、素敵。陛下がここにいらっしゃるなんて初めてですわね!」
可愛らしい声と、それに似あう可愛らしい桃色の祷裙姿の胡貴妃が現れた。
侍女が侍女なら、その主の貴妃も同じか。
綺麗に無視する胡貴妃に、微笑みながらブリザードしちゃいそうです。
武門のうちの姫として、礼儀と挨拶を徹底されていたので挨拶の無い人見ると、力業で教えそうになっちゃうのよね、危ないわ……。
「ごきげんよう、胡貴妃」
本来なら筆頭貴妃の私に胡貴妃が挨拶しなければないのだが、その様子が一向に見えないので私から声をかけてあげた。
すると胡貴妃はわざとらしく、今気づいたかのように返事をする。
「まぁ、劉貴妃もご一緒でしたの? ごきげんよう。 あら?この子がどうしてここに?また逃げ出したの?」
なぁんて暢気なことをおっしゃっております。
猛獣はしっかり管理なさいよ!
こういう人は責任感も無いのだから飼ってはいけないと思うのよね。しつけだってしないだろうし……。
この子はしっかり人の言葉のわかる賢い子なのに……。
野生から捕まった子は、二度と野生には帰れない。
だからこそ責任もって飼うのならお世話をしなければいけないのだ。
それが出来ている環境とはとても思えない。
やっぱりこの子は、私がしっかり面倒見ましょう。
「逃げ出したのではなくって、逃がした人物がここにいるのです。だからこの子に、その人を教えてもらいに来ました」
ニッコリ私が言えば、私の足元で良い子に座っていた母豹は「ガウ」としっかりお返事を返してくれる。
その頭を撫でてあげると嬉しそうに目を細めてもっと!と私の手に頭を擦り付けている。
本当に可愛くて賢い子だわ。
「さぁ、あなたに悪いことをして私の宮に行くように仕向けた人は誰?」
私の問い掛けに、母豹は最初に陛下に話しかけて私を鼻から相手にしないような態度を取った侍女だった。
私の予測に間違いはなく、彼女が今回の犯人だったようだ。
そして初めに話していたように、彼女自身には傷をつけないようにしつつもしっかり服を咬み千切って戻ってくると私にその布を渡してくる。
そして、その布を見ればこの子に飲み込ませたにおい玉の汁が滲んでいた。
大変間違えようのない証拠に私は頭を撫でて褒める。
「さすがね。これは間違いない証拠だわ」
頭を撫でながら言う私の言葉に、服を千切られてショックを隠せていない侍女がハッとして顔を上げる。
「どんな証拠があるというの? この子は脱走癖のある子だから、きっといつも通り小屋から抜け出していったに違いないわ」
そんな風に話す彼女をしり目に、私は母豹が千切って来た布地を陛下に渡す。
「陛下、ここにこの子が苦しまされたにおい玉の汁が付いています。この子が吐き出したものと比較すれば間違いないかと。匂いを嗅いだ私が同じだと思うのですが、他にも意見を聞くと良いでしょう」
そう言って私は布地には確かに黒を感じる中に緑がある、微かな汁がしっかり着いた布地を見えるように渡したのだった。
「確かに、着いているし微かに匂うな。こんな匂いのきついものを、においに敏感な生き物に飲み込ませようとするなど正気に思えないな」
そんな感想を抱くくらいには微かな汁でさえ、とっても匂うのだということが伝わるだろうか?
こんなものをイヌ科には劣るとはいえ、ネコ科も人の数倍の嗅覚を持つ生き物だからひとたまりもないのだと、なぜ分からないのか?はなはだ疑問だ。
仕掛けた本人ですら、きっと臭かっただろうと思わずにはいられない産物だったので本当に母豹には同情を禁じ得ない。
「とっても苦しそうで辛そうで、どうにかしたくって建物に激突して、その衝撃で喉につっかえていたにおい玉が取れたのです。お腹に子を宿しても耐え切れずに暴れるほどのものだったとお伝えいたします」
私の言葉に、陛下は一つ頷き一緒に来ていた武官に言った。
「この侍女を捕らえよ。後宮に住まう生き物はみな私のものであり、私のものを害した者は許せぬ」
そんな陛下の沙汰に胡貴妃は驚きを隠せていない。
「まぁ。この子は確かに陛下への献上品でそのまま私の宮でお世話しておりましたから、てっきり私の子かと思っていました」
なんて、のたまうので陛下はニッコリと言う。
「それなら碧玉宮の壁の修理は胡貴妃に拠出願おうか? それに、この子は既に自身の主を決めてここから立ち去る気のようだ」
そう、あの後も母豹は私の足元でしっかり座って良い子に人間のお話が済むのを待ってくれている。
本当に賢いいい子なのである。
「後宮はすべからく皇帝である私のものだ。だから、どこに行くかも、何をするかも私が決める。そして、貴妃のゆくすえも生き物の住処を決めるのも私次第なのだと自覚せよ」
その言葉に私は皇帝を表す如く跪拝して答えた。
「承知しております、陛下」
私に習い、私の侍女に護衛の武官も習って陛下に跪拝する。
しかし、胡貴妃の周囲は立ち尽くしたまま。
胡貴妃もまた胡国の姫であるがゆえに、跪かれても跪くことは殆どなかったのだろう。
その後も殷龍国で貴妃となりかしずかれる日々なのだから。
それでもこの殷龍国では皇帝たる龍安様にはどの者も跪かねばならない。
この国で一番偉いのは龍安様だからだ。
この国で誰にも頭を下げることのない人物は龍安様だけなのである。
「さぁ、そなたは誰を主とするかしっかり主張せよ」
そんな陛下の言葉に母豹は「ガウ」と答えると私の足元でしっかりと立ち、私の側に従うとクルっと回ったあとにしっかりまた座ることで示した。
ネコ科の大好きを示す、尻尾をぶつけることも、その後巻き付けることも忘れない。
「うむ、実に分かりやすいな。この豹は今後碧玉宮にて世話し、梓涵に任せる」
「御意」
私は答え、さらに陛下が告げる。
「此度は胡貴妃の侍女の怠慢による被害故、監督不行き届きとして胡貴妃に蟄居二週間を命ずる」
こうして、壁に穴あき事件は、最短で犯人確保と豹の保護が成立し私の宮でお世話することが決まったのだった。