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第6話


「おかえりなさい。ラリエット様。今日もお疲れ様です!」

「ただいま戻りました」


 にこやかな笑みを浮かべ迎えてくれた門番に小さくうなずいて、聖女宮の敷地に足を踏み入れた。


 聖女が暮らす住居区である聖女宮には、日々の暮らしに必要なありとあらゆるものがそろっており、ここと王城を行き来する以外は聖女が外に出る機会はそう多くない。聖女の務めの一環として城下で民を癒したり、祭祀に出るくらいがせいぜいだ。

 聖女の力を悪用されないように、とか、他国に誘拐され取引の道具にされないようにいった理由かららしい。


 一応は王城と長い回廊でつながってはいるけれど、王族と言えども自由に立ち入ることは禁じられており聖域のような扱いだった。

 聖女宮で働くことはある種のステイタスでもあり、若い女性にとっては良縁への近道とも言われている。もっとも聖女の務めが多忙な上休みらしい休みもないせいで、仕事はなかなかにハードらしいけど。


 そんな聖女宮の奥まった場所にある聖女棟へとたどり着いた瞬間、メイドのリリアが焦った顔で飛びついてきた。


「あっ、ラリエット様! ちょうどよかった。実はついさっき急ぎで聖薬を用意してほしいって依頼がありまして……。しかも明日の朝までにほしいっていうんですよ!」


 聖女宮の数ある仕事の中でもナンバーワンの人気職である聖女つきメイドに選ばれたのは、子爵家の三つ子令嬢、リリアとコンスタンス、そしてメイベルである。


 選ばれた理由は、三つ子ならば結束も固くもめごとを起こさないだろうから、らしい。なんでも過去に自分だけ聖女に気に入られようとして抜けがけしたり、そのせいで他のメイドともめたりといった騒ぎがあったとかで。


 読みは見事に当たった。貴族とは言え三つ子の家は非常に慎ましい家柄で、三人ともとても気さくな性質だった。おかげで平民出のふたりの聖女を小馬鹿にすることも、下手に取り入ったりすることもない。

 今ではすっかり、自分たちのよき理解者となっていた。


「明日の朝まで? 数は?」


 困り顔のリリアを落ち着かせるように、穏やかに問いかけた。


「それが、百個ご入用だそうで……。なんでも魔獣たちの制圧に、第二騎士団の皆様が急遽出向かれることになったとか」

「百個……!?」

「そうなんですよ。まったく……ついこの間たくさん納入したばっかりですのに……!」


 そう言うとリリアは、頬をぷっくりとふくらませた。


 確かに明日の朝までに聖薬百個を用意してほしいとは、なかなかの無理難題だ。

 けれど騎士団長直々の頼みということは、相当急ぎの召集がかかったということだろう。


 ならば仕方がないと息をつき、小さくうなずいた。


「わかったわ。すぐにとりかかるから、他のお仕事は適当に明日以降に振り分けておいてくれる? きっと夜遅くまでかかるはずだから」


 そう告げれば、リリアの後頭部でひとつにまとめた髪がひょこんと揺れた。


「はい! もちろんお任せくださいっ。ニナ様が戻りましたら、すぐに手伝いするようにお伝えしますねっ」

「そうね。お願い」


 パタパタとスカートを翻し去っていくリリアの後ろ姿を見送り、さっそく腕まくりをして調合室へと向かった。


 聖女の自室のある聖女棟には、日々の務めに必要なものすべてがそろっている。

 たとえば、聖薬を作るための調合室や各種材料をそろえた保管庫、聖女信仰や国について知らされた貴重な文献が並ぶ図書室など。


 それも皆、こうした急な要請に備えてのことだ。


 聖薬は、その名の通り聖力を込めた特別な効果を持つ薬のこと。

 切り傷や火傷、病などに抜群の癒し効果を持つとあって、特に兵たちにとってなくてはならないものである。


 けれど聖女の持つ聖力量によって出来が大きく左右されるため、ニナが作った聖薬の効果は今ひとつだった。


 とはいえ百個ともなれば、少々の効果の違いは目をつぶってもらうしかない。


「えーと……、必要なのはこれとこれと……、あとは……」


 調合に必要な素材を一通りそろえ、作業台に向かう。


 カチャリ、トポトポトポトポトポ……。コトリ。

 ぶわり……!


 できあがった聖薬に手のひらをかざし、ゆっくりと聖力を流し込んでいく。手のひらから出る仄白い光が、瓶の中でゆらりと揺れた。


 瓶を目の高さに持ち上げ、中の様子を確認する。


「うん。いい感じ」


 同じ手順をその後も何度も何度も繰り返し、黙々と作業を続けること数時間。


「よし、これで半分完成ね。そういえばニナったら一体どこをほっつき歩いてるのかしら……。まったくもう」


 もうとっくに務めを終えて戻ってきているはずのニナが帰ってこない。

 しびれを切らし、ちらと時計に目を向けた。すると同時に、調合室のドアが勢いよく開いた。


「ちょっとどういうことよっ。聖薬百個なんて無理に決まってるじゃないっ。もうっ!」


 ドスドスと荒い足音を立てて入ってきたニナが、開口一番愚痴をこぼす。


「ちょうど半分作り終えたところよ。残りを作るの、ニナも手伝ってね。朝までに届けなきゃいけないの」

「げっ! 今から五十個なんて絶対に無理っ! 間に合いっこないわよっ。まったく皆して聖女をこき使って……!」


 苛立ちを隠そうともせずに勢いよく椅子に座り込むと、ニナは渋々聖薬作りに取りかかった。


 そして黙々とふたりで聖薬を作ること、数時間――。


「あぁっ! もうっ限界。疲れたっ」


 ニナが苛立った声を上げ、調合用のさじを机にぽいっと放り投げた。


「魔獣って言ったって小さいやつでしょ。なら、ちゃちゃっと力自慢の騎士様たちで一掃できるんじゃないの?」

「それがなかなかの数らしいの。次から次へとやってくるものだから、今度は徹底して叩くつもりらしいわ。聖薬は念のためよ」

「むぅ……」

「とにかくこれも聖女の大事な務めなんだもの。あと少しだから頑張りましょ。ニナ」


 務めに熱心とはお世辞にも言えないニナをなんとかなだめすかし、手を動かし続けた。


 カチャリ……、コトン。ふわり……。


 いつしか窓の外は日が傾きはじめていた。


 途中ちょっとだけ休憩に行ってくると言ったきり、結局ニナは戻ってこなかった。ニナらしいというべきか、なんというか。


 ラリエットはやれやれと息をつき、残りの聖薬をひたすら黙々と作り続けたのだった。



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